Episode17. 知らぬ顔
合衆国を出てからおよそ十日が経ち、最初の頃に比べて船内はだいぶ雰囲気を変えていた。ただ絶望の中でゆるりと死を待っていたあの時から、少しではあるが人々の表情が明朗になりつつある。それもこれも愛彩が彼らに与えた希望のおかげだと言えるだろう。
——————一方で、その愛彩はというと………。
「あー…………」
備蓄庫からトイレ以外で出ることは許されず、用意された簡易型ベッドに一日中横になるだけしかやることがなかった。
聞き手は肩から指先までがっちり固定されて書くことも食べることもままならず。かといって歩くことも(鎮痛剤が切れたらまた気絶するかも知れないので)範囲が限定され。エレンのいる隣の船室に入ろうかと足を運べば追い出され。
………………流石の愛彩も、退屈していた。
「いやまぁ、この状況下で暇っていうのもなんかおかしいような?」
しかし、何をやるにしても制限がかけれられている以上、どうすることもできまい。またしてもアスタリアの逆鱗に触れることは二度と御免である。
「まぁ仕方ないよ。海上にまで追っては来ないでしょ」
「いや、けど船のってAIによる全自動操縦ですよね。だとすると船を飛ばして激突して来たりなんかあるかもですよ?」
「確かに…………けど今のところ一隻も近づいてすらいないけど」
「何か理由があるんですかね?」
「さあ? 博士もわからないって言ってるからどうしようもないっと………うん、大丈夫」
「じゃあいきますか………………せーのっ!」
と、両者が手に持っていた五枚のトランプを一斉にひっくり返す。
愛彩とメリスがお互い相手のカードを確認すると、それぞれ一喜一憂の表情を浮かべた。
「ストレートフラッシュなんて強すぎ……………」
「愛彩もフルハウスじゃない。今日が初めてにしては上々でしょ」
そう言うメリスであるが、どこか自慢げな表情である。一方で愛彩はどこか不満げな様子で。—————三七戦中全敗ともなれば、そんな顔にもなる。
「どうしてそんなに強いんですか?」
「あれ、悔しがってる? もしかしなくても愛彩って負けず嫌いだよね」
「うっ……………」
図星。
愛彩自身、自分が負けず嫌いな性格であることなど嫌というほど知っている。現にその性格のおかげで瞬間肉体強化装置の苦痛に耐え、見事合衆国での戦闘に勝利することができたのだから。
…………そのせいで今、不自由な身であるとも言えるが。
「いやいや、そんな話をしてるんじゃなくて!」
「なに、別のゲームにする?」
「明らかに話逸らそうとしないでください」
「はいはい、なんでこんなにポーカー強いのかって話でしょ?」
そう言うとメリスは物憂げな面持ちで、机のトランプを集めてシャッフルし始める。
その手つきはまるでプロのディーラーのようで、愛彩はその艶美さに不覚にも見惚れてしまいそうだった。
「………………もしかしてカジノで働いてたりした経験が?」
「うーん、それに近いようで遠い感じかな」
「………?」
愛彩は首を捻った。カジノに近いけど遠い———それは何なのかと熟考する。
しかし愛彩が答えを見つけ出すよりも先に、メリスがクスクスと笑い出した。
「まぁ………わかるわけないよ」
メリスはまとめ終わったトランプを机の真ん中に置くと、一番上のトランプの表面を向ける。『スペードのA』が山札の隣に置かれ、それから『スペードの2』、『スペードの3』と続いて山札の上から現れた。
「………………まさか?」
愛彩も流石に感づいたようで、その顔を見るなりメリスは山札を持ち、それを一気に横に並べた。端をクッと持ち上げて、全てのトランプを表面に向ける。その記号は『スペード』『クローバー』『ダイヤ』『ハート』の順番で、その数字はAからKまで綺麗に揃っていた。
「これは私が最初に教えられたトランプの技でね、順番を弄って勝負を操作するんだ」
「? でもカジノとかじゃないんですよね。勝負を操作してどうするんですか?」
「仕事を奪い合うんだよ。………………より好条件な仕事を」
ここまで聞いても、愛彩はさっぱりだった。
カジノに近いが遠く、仕事を奪い合う? ———一体何の話をしているのだろう、と。
メリスは大きく息を吸い込んで吐き出した。しばらく沈黙が続いた後、意を決して言葉を発した。
「私はね…………暗殺者の家系なんだ」
「———」
「暗殺者同士の溜まり場になってたバーがあって、そこで仕事を受けてたんだけど、その仕事の取り合いをトランプでしてたんだ」
メリスはどこか悲しそうに、切なそうに。けれど悔いているように言葉を継続する。
「けど数年前…………私は他の人の仕事を妨害して、家から追放された」
「………………なんで、ですか」
メリスは愛彩を見るなり、作り笑いを浮かべて言った。
「その暗殺対象が——————私の実の妹だったからだよ」
追放されたメリスは、路頭に迷うことになった。
食糧も住む場所もなく、衣服はボロボロの布切れ一枚のような状態になっていたという。
かといって暗殺者たちからは目の仇にされていて、見つかったらどうなるかわからない。…………そんな、恐怖感が生まれるはずの状況で、〝妹を逃した〟ことへの欣喜と憤慨が、ただそれだけがメリスの中を暴れていた。
もしも妹が殺されていれば自分は酷く心を痛めたことだろう。
でも自分が殺すのを妨害しなければなに不自由ない生活を送ることができただろう。
疼く、疼く、疼く、疼く。
その疼きの衝動に駆られて、ナイフを手にした。ちっぽけなペティナイフだ。
切先を初めて向けたのは、路地裏に入っていった男。背後からゆっくりと近づき、全体重をナイフに乗せて刺突した————その男が将来、共に働く人だとは知らずに。
***
メリスの話を聞いてから、およそ三日が経った。
愛彩は相変わらず船内の備蓄庫に仮設された簡易ベッドで横になり、嘆息をこぼす。
メリスの妹————おそらくそれが、アスタリアの言っていた〝メリスの過去〟なのだろう。そして酒を口にしてしまうのは、妹に向けた感情に未だ整理がついていないからと理由付ければ納得がいく。
そして愛彩にとって一番気がかりだった事は、メリスが話の最後に発した言葉であった。
『愛彩はさ…………妹に少し似てるんだ。雰囲気とか性格とか色々ね』
———だから、だったのだろうか。
メリスが愛彩に気を留めていたのは、優しく接してくれていたのは、愛彩が妹に酷似していたからなのだろうか。
メリスは『愛彩』を見ていたのではない。『愛彩を通して映写された妹』を見ていた———そう思うと、愛彩はどこか胸が痛くなる。
「愛彩、もうすぐ着くから準備して」
「………はい」
愛彩のそんな気持ちなど知らずに、メリスはいつも通りの笑顔で接する。
だが以前は優しく温かい物と感じていたそれは、今の愛彩には偽物にしか見えなくて。
———私はメリスにとって、妹さんの模造品に過ぎないんだ。
そう心の中で嘆きながら、備蓄庫を後にした。
***
オーストラリア北西——————ブーダリー。
インディアンオーシャンの付近、その海岸沿いに船が停まる。
「よし、それでは順に下船しろ!」
アスタリアの指示に従って下船はスムーズに行われる。誰一人として言葉を口にせず、しかし表情は日本を発ったときよりも遥かに勇敢に見える。
「それでエレン博士。これからどこに行くんですか?」
車椅子に乗せられ、最初に下船した愛彩は、共に降りたエレンに問いかける。
「あぁ、ここから南東に進む。そこにワシの研究施設があるんだ」
「南東…………砂漠地帯じゃないですか?」
「まぁ行けばわかる」
「ちなみに時間は?」
「ここからだと………………車で六時間くらいだな」
「え、車で?」
記憶に蘇る、時速一〇〇キロを悠に超越するであろう速度の感覚。愛彩は背中をなぞられたかのように、ゾワっと身を震わせる。
「長谷部愛彩、安心しろ。いつか慣れる」
「そんな他人事みたいに言うのやめてくださいよ⁉︎」
愛彩がそう言うと、エレン哄笑した。
「何か可笑しな事言いました?」
「いや…………似てると思ってな」
「似てる……………誰に?」
怪訝そうな顔の愛彩に、エレンは言った。
「ユウという、お前の愛人だったという少年だ」
「!」
予想外の名前に一瞬驚くも、エレンと優が何らかの形で関わっていたことは既知していた。だがそれが、《カイン》などという完全汎用型人工知能の研究だとは流石に思わなかったが。
「…………エレンさんから見て、どんな人でしたか?」
そう愛彩が問うと、エレンは「そうだなぁ」と記憶を辿る。やがてその記憶を集約して、言葉にした。
「生意気なやつだったなぁ………………」
「え、優ちゃんが⁉︎」
思わず驚嘆する愛彩に、エレンは首肯する。
愛彩からしてみれば優しくて格好の良い自慢の恋人だったのだが、どうやら優には愛彩の知らない別の顔があったようで、そう思うと、少し寂寥感が胸に積もる。
そんな愛彩を思いやってか、或いは本音か、たった一言を口にした。
「けど………憎めないやつでもあった」
その言葉はきっと本音だと、愛彩はそう思った。
何の確証があるわけではない。証拠や根拠があるわけでもない。
だが、そう告げるエレンの顔が、嘘偽りがあるようには思えなかったのだ。
「あの…………」
そう問いかけようとした直後、遠方から数多の車がこちらに向かって来ているのが見えた。その車はあっという間に近くまで来て、停車する。
「下船したら直ちに乗車しろ!」
ようやく船から降りてきたアスタリアがそう指示すると、人々は車の方へと移動を開始する。エレンも「さて」と歩を前に進めた。
「また今度、優t………優さんの事、聞かせてください!」
そう言うと、
「わかっておる。研究所に着いた後にでも少し話すとしよう」
口約束のようなものを交わし、エレンはこの場を後にしたのだった。
「さてと………それじゃあ私も行くとしますか」
愛彩は自力で車椅子から立ち上がると、エレンの背を追うようにして車の方へと歩き出した。と、ここで後ろから隣へ翔吾が姿を見せる。
「肩………貸すか?」
「大丈夫。それよりも佑月ちゃんの方に気回してあげてください」
愛彩が一瞥するその先には、翔吾に抱っこされた佑月の姿があった。しかし茅色のローブに包まれたその姿は何かに怯えているようで、がっしりと翔吾の服を掴んでいた。
サンフランシスコ襲撃の映像を見た時から、ろくに食糧を口にしていないというその体は痩せ細り、今にも崩れてしまいそうなほど脆弱に見えた。
「それで愛彩さんに頼みたい事があって」
「頼み?」
大体検討はついていたが、敢えてそう問い返す愛彩。検討が間違っている可能性も考慮した上での判断だったが、それよりも翔吾の口から聞きたいと言うのが、何よりも大きかった。
「少しだけ………………佑月を任せてもいいか?」
それは兄離れを、妹離れをするため——————いや、少しだけ訂正しよう。
彼らの共依存関係を解消するために必要な事だった。
愛彩も彼らの境遇は理解しているつもりであり、翔吾と佑月が別々に人生を歩むことがどのような影響をもたらすかなど、慮ることをせずとも容易にわかる。
だが—————、
「できないです、翔吾君。その方法だと佑月ちゃんは救われない」
「な—————!」
流石に断られないだろうと思っていたのか、翔吾は驚きを隠せずにいた。
「どうして!」
「その話はまた研究所に着いてから話しましょう。…………まぁ、私から言える事はもうありませんけどね」
そう———愛彩が言えることはもう何もなかった。
あとは彼らが気付き、変えようと意識する他はない。これは他者が口を挟んでいいものではないのだ。
だが彼らはいつ気が付くのか……………愛彩はそれだけを懸念していた。
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