Episode16. 希望
気が付くとそこはベッドの上………などではなく、ベッドほど柔くない場所に横になっていた。見知らぬ天井、と言うわけでもない。
ゆらゆらと揺れ動き、遠くの方で聞こえる波打ち音が既に見知った場所であることを告げている。
(あ、そうか私………………戻ってきたんだ、現実世界に)
だが、愛彩の見知っているその場所と少し異なるとすれば、周囲に色々な物が散乱しており、まるで強盗に入られたようだということで。
朧げな視界に捉えていたのは船内の備蓄庫。約八日間の船旅に消費した食料が置いてあった場所を開け、愛彩が横になれるスペースが無理矢理作られていた。
「にしてもあれだけの血を流しといてよく生きてたな………私」
実はすごいんじゃないか、と少しばかり自分を鼓舞し、ゆっくりとその重鈍な体を持ち上げる。まだ眩暈は止まず、少しふらつくも何とか動くことはできる。
近くにはアスタリアが腕を組んで座っていた。しかし疲弊しているのか、目を瞑って起きる気配は全くない。
「少し……………波風にでも当たってきますか」
と、愛彩はその部屋を後にした。
フラフラと壁を伝って歩き、やがて愛彩は船のデッキへと着いた。
途中、他の人たちの間を通ったが、誰一人として起きていない。しかしあれだけの過酷な状況を脱したのだ、疲労困憊していて当然だ。
………あとは寝るしかやることがない、と言うのもあるだろうが。
外に出ると既に朝日が昇っており、周囲を見渡すが大陸などどこにも見えない。
一体あれからどれだけの時間が経ったのだろう……………そう思うが、それを確認する手段は今どこにもなく。
ひとまず死に際から生還を果たした自分自身を慶するばかりである。
「にしても、なぁ………」
デッキの端にある手すりに手を掛け、ふぅ、とため息を零す。
それから恐る恐る右腕に目をやった。
「うっわー………包帯ぐるぐるでわかんなー」
愛彩の右腕は人肌の色など一つとして残されてはおらず、指先から肩の近くまで包帯で白く染められていた。それ程までに深傷だったのかと考えるが、実際あれだけの血量を流していたのだから重症であることは明瞭だった。
「いや、それよりも! ………あれって一体何だったんだろ?」
イメージの世界というのが一番有力であると言えるのだが、それにしては現実味が強かったことが愛彩を困惑させていた。
「! もしかして……………?」
昔と比較して科学技術も進歩している。最近ではそういった科学技術を用いて催眠を掛けたり記憶隠蔽したりなど、人的被害もまた出てきているという。もしかしたらあの世界は人間が創り出した世界で、その世界に自分は紛れ込んで…………、
「———って、今この状況でそんな機材も機器もないってのにどうやってやるってんだか」
実際、人の夢を操作する技術があるかと言われれば…………存在する。
だがそれは一般家電のように普及しているわけではなく、一部の研究施設や大学などで管理されている。いわば〝実験器具〟である。
つまり夢の干渉などではない………だとするとやはりイメージの世界なのだろうか。いやけどそれにしては現実的で———………………。
「あぁっ、このままじゃお堂巡りだよぉ………まぁ、あの世界については謎にしておいても大丈夫そうだからいいとして、それよりも問題は今の状況なんだよなぁ」
と、愛彩は眉をハの字にして再びため息をこぼすと、ゆっくりと顎を手すりに乗せた。
手すりを指でなぞりながら、ぶつぶつと呟き始める。
「まず瞬間肉体強化装置を駆使してAIを倒せることはわかった。だけどこれからの戦いで毎回こんな怪我してるわけにはいかないよね。それから、見たところ今はハッキングされた補助AIが銃を握ったりしてたから対処できないこともないけど、あの狼みたいなヒューマノイド以外が出てきた場合も考えなくちゃだし—————」
「………愛彩、ちゃん?」
「そういえば両手両足に瞬間肉体強化装置装着できるのかな? それは今度エレン博士に聞くとして、あと他にどんな能力があるんだろ? それもまた今度博士に聞くとしてそれから—————」
「愛彩ちゃん!」
「——————あぁ………っと」
本当は気付いていた。
気付いていたのだが、反応したくなかった。
だが、流石にもう無理だと感じた愛彩は、ゆっくりとその首を後ろへと向ける。
そこには声色通りの人が立っていて。
「えー………その、おはよう?」
琥珀色の髪が朝日に照らされて光り、眼鏡を介して見える瑠璃色の瞳がきらりと輝く。
その美貌の持ち主の名はメリス=カートン。しかし眉根が寄っており、怒りに触れていることは誰でも理解できて。
その妖艶でありながら険阻な表情のメリスは、そのまま地団太を踏むかのように強く地面を鳴らして愛彩に近づいて。
「あの………えと、メリス?」
「……………」
「え、ちょ、無言で近付くのやめて⁉︎」
「………………っ」
「え、まっt—————」
パァン、と大きな音が出たかと思えば、メリスを捉えていたはずの愛彩の視線が横に向いていて。痛みが走った頬に手を当てて、ゆっくりとその視線をメリスの方へと戻した。
メリスは今にも泣きそうで、目に涙を浮かべていた。
頬に残る痛みよりも、よほど心が痛くなる。
「…………メリスさん」
愛彩は小さく呼びかけ、目を伏せた。
あの時、あの状況で愛彩は正しい選択したと言えるだろう。その結果生存し、今ここで生きている。だが命を懸けておいて、杞憂だった、と軽々しく口にできるはずもない。
いつ死ぬかも知らないのだから、当然恐怖も苦しくも、怒りもする。———曰く、メリスの悲憤は正当なものだった。
「その………ごめんなさい」
だからといって、どうこうできるはずもなく。
メリスにそう感じさせてしまったことへの謝罪の言を口にする他はなかった。
「私こそ、ごめんなさい………」
「え?」
涙をほろほろと零しながらメリスが発したのは、謝罪に対する宥免ではなく、謝罪だった。
「辛い思いさせてごめんなさい………痛かったでしょ?」
「確かに肉体的には少し痛むかな。けど、あの時はこうするしかなかったし、それに———」
「?」
「…………自分以外の誰かが死ぬ方が辛いから。それが少しでも関わりが強い人からなおさらね。だからごめんなさい」
「愛彩………」
メリスは涙を拭うと、愛彩の首元から背中に手を回して、全身で包み込んだ。
愛彩は微笑んで、メリスの背中に手を回した。
優しい匂いが鼻をくすぐり、全身から伝わってくる温かさがそこはかとなく愛しくて。
愛彩は懐かしい感覚を覚えていた…………。
「そういえば愛彩、体の方は大丈夫なの?」
「? 大丈夫って、見ての通り痛みもなく動かせて…………⁇」
と、そこで視界がぐわんと歪み揺れ、腕を中心に痛みが全身を駆け巡る。
その痛覚に耐えきれず、愛彩は静かに意識を暗転させたのだった。
***
あの戦いが終わって、合衆国を出てから三日が経過した。
もう少しかかるかと思っていた愛彩の覚醒も間も無くして果たされ、予定通り船はオーストラリアへと向かう………もうあと一週間程で到着するだろうという頃。
その船内———薄暗がりの中、アスタリアは備蓄庫に足を運んでいた。
「それで話って何ですか?」
真剣な面持ちで愛彩は問いかける。………のに対し。
「アスタリア………説教ならやめてあげて? 朝方倒れてからずっと説教したからもう十分でしょ」
「違う。確かに今も段階的能力増強を初めて使ってレベル3にまで上げたのは無謀が過ぎると思うし、鎮痛剤の件だってすぐに痛みが…………」
「まーた説教になってますよー」
どこか浮ついた様子でアスタリアを注意するメリスに思わず愛彩が苦笑する。
何故なら、メリスの手には酒瓶が握られていたから………。
「いいからお前は仮眠とっておけ。あと酒は控えろ、後に支障が出たらどうする」
「はーい」
と返事をして、メリスはその部屋を後にした。その背中を見送ると、アスタリアは嘆息を吐き出した。
「すまん、いつもはアイツ酒なんて飲まないんだけどな」
「なんかあったんですかね?」
「ああ…………多分昔のこと思い出したんだろ、明日には戻るから安心しろ」
「昔のこと?」
「俺もよくは知らん。ただ、メリスがあの状態になったら使い物にならないからどうしようもないんだ」
「アスタリアさんも苦労してますね………」
アスタリアの深々としたため息に愛彩は苦笑せざるを得なかった。下手に言葉を投げかけたらむしろ逆効果になりかねない。
アスタリアは二回ほど咳払いをしてその話に区切りをつけると、再び口を開いた。
「でだ。お前、自分の右腕の損傷がどれだけだったか知ってるか?」
「ええまあ、確か骨は数カ所折れて色々なところに罅が入って肩関節脱臼、それと内出血不特定多数とか何とか。靭帯は幸いなことに生きてたそうですけど」
「凄くザックリとしてるが………実際その通りだ」
簡単に言ってしまえば重傷者ということで。
完治まで数十ヶ月掛かるらしいが、その期間のうのうと休んでいられるほど愛彩の気は長くはない。きっとどうにかして早々に戦場復帰を果たすことだろう。
「エレンがひどく驚いていたぞ。〝レベル3に耐え得る人間がいたのか〟とな」
「そうですか………………………………………ん?」
「耳を疑うのも無理はない。だがエレンがそう言うのも必然だ」
冷や汗を流す愛彩を宥めるようにフォローするも、愛彩の不安感が治まることはなく。
アスタリアは「見てもらった方が早い」とPCを操作し始める。
「……………これは?」
「瞬間肉体強化装置の段階的能力増強における人体の影響と威力を調べた実験映像だ」
ホログラムモニタに映し出されたのは全ての壁が白く塗られた空間。その中心に佇むのは実験用ヒューマノイドだ。米国の平均男性を基に、人間の骨、筋肉、皮膚に至ってまで精巧に作られたものらしい。
そしてその腕に取り付けられたのは少し形状の異なる瞬間肉体強化装置。プロトタイプだからか警告音声は聞こえない。
『レベル
研究員の一人がそう告げると、キイィン、という耳障りな音が響く。
『《インパクト》発射』
研究員の合図の後、AIは足を大きく踏み込んで、拳を前に突き出す。————瞬間、壁を抉った。
一方で腕の方に異常はそこまで見られないようだが、しばらくして、
『腕に損傷有り。罅が入った模様です』
「ぇ?」
スピーカーから聞こえてきた声に、思わず耳を疑った。
続いてレベル2。AIがレベル1同様に《インパクト》を放つと、壁はレベル1の時よりも遥かに崩れ、威力が増加したことが明瞭であると告げていた。
—————と、ここで。
「ぇ…………嘘、でしょ?」
「…………………」
愛彩は目の疑う光景を捉えた。
確かにAIは腕を前に突き出して《インパクト》を放った。そのはずなのに——————拳が下を向いているのだ。
さらに継いで聞こえてきたのは、
『肘関節の少し上で骨真っ二つ、前腕部は………うわっ』
『どうした?』
『えと、その、前腕部………粉砕骨折、です』
そんな、研究員の会話を耳にして、愛彩はエレンが言っていたことをふと思い出していた。
段階的能力増強はレベル1から最高レベル5まで威力や効果、そしてそれによる反動を増幅させる。だが、例えばレベル1からレベル2へシフトした時、その倍率は決して二倍になるわけではない、と。
その倍率は一〇倍になるときもある————と。
その言葉通り、レベル3の実験映像は凄惨なものであった。
《インパクト》を放った直後、突き出したはずの右手が虚空に呑まれたかのように消え、設置されていたカメラの映像が一瞬途切れる。その後別視点の映像に切り替わったのだが。
「エレンがそう言ってた理由がわかったか?」
「まぁ…………そうですね」
そこの映像にAIの姿を捉えることはできない。ただ白い壁の一面が倒壊し、夜の黒が露わになっているだけである。
しかし、しばらくして薄く赤に彩られた液体とともに黒く灼けたような物体が上から落下してくる。———その形はどことなく腕や足のような形をしており。
ゴトン、と他の物体よりも低い音を出して落下してきたのはAIの頭部に当たる部分だった。その頭部ももはや辛うじて認識できるほどで。
曰く————レベル3に耐えきれず、AIの体が爆発四散したことを顕著に表していた。
「…………レベル3はもはや人体が耐え切れる領域を超えているそうだ。レベル
「けど………レベル3を使ったのに、今私は生きてますよ⁉︎」
「その謎は今まさにエレンが調べている。………が、少なからずお前の使用していたものとこの実験で使われていたプロトタイプに特にこれといった差異はないそうだ」
「じゃあなんで……………」
もしもこの実験結果が事実なら、今頃愛彩の体は木っ端微塵になっていたはずだ。だが実際そうはなっていないということは、何かしらの要因があることで。
「エレン曰く————もしかしたらお前の瞬間肉体強化装置のデータがこの戦争を打開する鍵になるかもしれないとのことだ」
「………!」
瞬間肉体強化装置に多くの人間が耐性を会得できれば、それだけ兵力が上がる。そうなれば、この戦争を終わらせることもまた夢ではない。
「この戦争に勝つための可能性をお前はくれた。お前の戦いを見た人たちに戦うことへの勇気と意志を与えた。———お前は俺たちに希望を授けてくれた」
アスタリアはそう言うと、自分の左胸を二回ほど叩いて、拳をそのままに頭を低くする。
「礼を言う」
あのアスタリアから飛び出た思わぬ言葉に、愛彩は思わず目を丸くした。
「あ、アスタリアさんも礼を言うんですね」
「何を失礼なことを言っている。礼は人間の基本だろう」
「ぷっ…………そうですね」
愛彩が微笑すると、アスタリアは不満げに立ち上がり奥の船室へと足を向けた。その部屋は以前少し話をした、通信機器が置いてある部屋だ。
「これからエレンに話がある。お前は寝ろ。くれぐれも手洗い以外で出歩くなよ。お前の身体は鎮痛剤で痛みが一時的に引いてるだけだからな」
「それ昼に散々聞きましたよ………………」
言うが既にアスタリアは部屋の中に姿を消し、愛彩は一人その場に横になった。
自らの意思でゆっくりと瞼を落とし、世界を閉じたのだった。
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