Episode11. 立ち向かう勇気

 まもなく八日はあっという間に過ぎ、船旅は終わりを告げる。

 しかし、船から見えたその大陸に、ようやくという感覚を誰もが既に喪失していた。

 迫りくる恐怖に慄然し、鋭い緊迫感が船内の空気を捩る。

 その中でもなお、先頭に立つ二人———アスタリアとメリスは戦々恐々とする様子もなく、この船内で彼らと最もよく関わっている愛彩もまた依然と気概を示していた。


「これから下の階にいる女性や子供とは別行動をしてもらうことになる! だが、別にこの場から離れて家族の下に行ってもらっても構わない。女子供と共に安全圏にいたいというやつは手を挙げろ!」


 アスタリアがそう叫んで数秒後、一人の手が上がる。

 一人、一人、また一人とその手は数を増やしていき、この場にいる過半数の手が上がる。

 当然だろう、いつかの戦争の時もそうだったのだから。

 基本的に戦争に向かったのは男だった。まだ少年と呼べるほどの年若であれど銃を握って敵軍人を殺したという記録さえある。

 対して女子供は戦地よりも遥かに生存確率の高い場所にいた。常に空襲に怯えていたとはいうが、それでも戦地を往く男よりも遥かに生きていたことだろう。

 その生き血と遺骸の中を駆けた凄惨な悲劇から離れて———約百年。

 実際の戦争を知らない今の人々が逃げるのも無理はない。


「………わかった。手を挙げなかった者は俺たちについて来い。手を挙げた者は俺たちの仲間の指示に従え。以上だ」


 アスタリアは落胆したように、そう言った。


アメリカ・カリフォルニア州———モンテレー湾のやや南、デル・モンティ・フォレスト。

普段であれば船が止まることはないこの場所に船が上陸する。


「では、ついて来い!」


 アスタリアの掛け声とともに立ち上がるのはごく僅かで。その中、愛彩が目を引かれたのは佑月だった。


「佑月も一緒に来るの?」

「正直、怖いって思うけど………それでも私は、何もできずに泣くことは嫌なので」

「…………そか」


 ぐっと握られた拳。足は微かに震えており、顔を強張っている。

 しかし彼女は果敢にもこの危機に立ち向かおうとしていた。その小さくも勇敢な背中に、愛彩はほんの少しではあるが佑月の成長を感じていた。


「大丈夫なのかな……?」


 だが、それと同時に不安を感じざるを得なかった。


「心配することはない。今までもどうにかしてきたんだろう?」


 そんな不安を拭うかのような言葉が、右斜め後ろから飛び込んできて、振り返るとそこにはとある男が立っていた。


「お久しぶりです、翔吾君」

「八日間も同じ船に同席していたのだから、その挨拶はおかしな気がするぞ」

「それは翔吾君が言葉を口にしないのが悪い」


 その男の名は滝沢翔吾。

 顔立ちはどこか似ている部分があり、佑月の兄であることが見て取れる。しかし、ハキハキとした性格の佑月に対し、翔吾は表情をほとんど変えず、口数も少ない大人しい人だった。


「翔吾君も来るんですか?」

「以前も言った筈だが、俺は妹を守る為にいる」

「………そうですか」


 相変わらずのシスコンな発言に、愛彩は淡々と吐き捨てるように呼応した。

 その反応に何を言うでもなく、翔吾は佑月のあとを追うようにして下船する。愛彩もその背中を追って船の出口の方へと向かった。


「———なぁ」


 愛彩たちが通り過ぎる、絶望色に染め上がった人々の中、一人の男が愛彩を呼び止めた。

 振り返ると、その男は数日前この船が日本を発った直後に愛彩に暴行を謀った男だった。愛彩が鼻と手首を折ったこともあり、肌に触れる白色がよく目立つ。


「なんですか? 骨を折ったことに関しては正当防衛なので謝罪する気はありませんよ」

「そんなことじゃねえっ……! なぁ、どうして……どうしてお前はそこまで強ぇんだ?」

「私が、強い……?」


 思いがけない言葉の投げかけに、男が何を言っているのか理解できなかった。


「ああ、お前は強いじゃねえか。『AIを殺す』なんて言うくらいに強えじゃねえか!」

「————」

「なあ、なんでお前はそこまで強いんだよ⁉︎ 恋人が殺されて、なんで前に進もうと思えたんだよ………教えてくれよ‼︎」


 まるで何かを求めているかのように、何かに縋りたがっているかのように男は愛彩に追及する。『愛彩の持つ強さ』とは何なのか、何が根元となっているのか、と。

 やがて男の一方的な発言が終わり、愛彩が口を開いた。

 恐らく……と言うかほぼ確実に、それは男の求めていた解答とは違っていただろうが。


「—————私は、強くなんてない」

「………はぁ?」

「私は弱い。ただ強く見えるように装ってるだけ。今だって気を抜けば泣きそうだし、手足も震えてしまうと思う。………きっと、死にたいとか終わりだって絶望しちゃう」


 けど、そんな『死んでしまいたい』などという感情より、愛彩によって恋人の愛おしさの方が余程強かったことを、愛彩は知っていた。

 そしてその感情は、例えこの世界からいなくなったとしても、その感情だけは変えがたいもので。そしてなによりも一番大切にしているものだった。


「———そんな大切な人から『生きて』なんて言われたんだったら、私だったら死ねないよ」


 だから数日前、《カイン》に歯向かうことができた。抗うことができたのだ。


「だから私は死なない。そして抗う。例えそれが敵いようもない相手でも、もう誰も、悲しませない為に。殺されない為に………」


 この胸の内から張り裂けそうに膨らんだ憤然や憎悪、怨嗟をエネルギーとして、敵を駆逐する———その意思は堅固で。


「………そう、か」


 その頑強な意思表示に何を反論するでもなく、男は納得してその場で膝を折った。男は静かにその場に涙を落とし、地面に這いつくばる。

 その様子を目の当たりにしていた愛彩であるが、愛彩はただ自分の口から吐露した思いに心底驚いていた。どうでもいい………そう投げやりになっていたつもりのその深奥では、そんな気持ちが眠っていたのか、と。


「………じゃあ、私は行くよ」


 ようやく気がついた自分の機微……もとい、立ち向かう勇気の源泉を胸に、愛彩は再び船の出口へと足先を向けた。

 絶望していた人たちの顔が少しずつ上がり、その眼が愛彩を捉える。

 その数多の眼には、微かな光が灯り始めていた。


***


 船から降りると、愛彩たちは用意されていたバスへと乗り込み、すぐにその場を離れる。バスとはいえど日本で走っていた市バスなどの大きさよりも小さく、ワゴンほどの大きさのものであるが。

 そのバスに乗車しているのは六人。手を上げなかった三人———愛彩、翔吾、佑月。それに加えて軍人の三人———アスタリア、メリス、それに船の運転もしていたもう一人。


「そういえばあなたは?」

「あぁ、そういえば僕は人前に出なかったから初対面でしたね」


 確かに、乗船した人々の前に出て説明をしていたのはアスタリアとメリスだけだ。他の人は見かける事があるだけで名前など知り得なかった。


「僕はルーカス=マーティン。……軍人とは言っても、銃を握らない雑用ですけど」

「それでも助かってるじゃない。なにせ、陸・海・空全部イケるからね」

「やめてくださいよ、メリスさん………そういうあなたも陸・海の免許持ちじゃないですか。アスタリアさんだって海・空の免許持ちですし」

「あれ、アスタリアさんって車運転できませんでしたっけ?」

「………」

「いや、免許停止されたんだ。スピード違反で」

「…………」

「いくら端くれとは言えそれは……って、どしたの、佑月?」

「いや、その………私からしたら無縁の話なので」

「あれ、てことは……?」

「車の免許(一次)、持ってます」

「……車と船」


 そうして苦笑した顔をした佑月。しかし愛彩は、『けど』と否定したかった。

 ———私からしても異次元な話なんだよ、と。


***


 日本では道路交通法によりあり得ない速度で走ること、約十分。

 愛彩たちが辿り着いたのは、少し古びた様子の、しかし何やら不気味な空気を漂わせる白い建物だった。

 しかしそこには研究所などとは示されておらず、『hospital』……要は廃病院だ。

 車は廃病院の入り口からは少し離れたところに停車する。


「この地下にエレンがいる。ついて来い」

「にしてもなんでこんなところに……」

「まあ、すぐにわかると思うよ」


 メリスは後部座席三人に微笑を見せると、アスタリアに続いて車を降りる。その後を追うようにして、愛彩、佑月、翔吾と降車した。


「じゃあ、僕は車内で待機してますね」


 ルーカスはそういうと、車を別の場所へと走らせた。


 車を降りた場所から少し歩き、廃病院の裏手へと回る。

 そこには一つの扉があり、先頭を歩くアスタリアはその取っ手に手を掛けた。


「そうだ、三人とも。……驚く準備はしててね?」

「え?」

「はい」

「…………」


 アスタリアは取っ手を回して扉を開ける。アスタリアとメリスの後を追うようにして愛彩たちがその扉を通り抜けると、そこには———


「え⁉︎」

「は……?」

「………!」


 廃病院の扉を開けたその先、そこには昔の病院の内部………ではなく、小さくも、しかし綺麗な建物のエントランス前だった。


「どういうこと……?」

「一応この研究所、お金と技術があって狙って来る人多いそうだから、こうやって外見を隠蔽してるらしいよ。3DCGの応用らしいけど」

「まあ今は契約企業から追われないように、というのが正しい気がするがな」


 メリスの言葉を継ぐようにして放たれた言葉は、この場にいる五人の声ではなかった。その声はどこか老いが感じられ、奇怪な声色を持っていた。

 気が付けば、その声の主は愛彩たちのすぐ目の前に立っていた。


「初めまして。ワシがエレン………エレン=クリスタだ」


 そう口にした老爺———エレンは、愛彩たちを歓迎するかのようにほくそ笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る