Episode10.夜明け
決意表明から数時間、しんと静寂が佇んでいた。
その場に張り詰めたずっしりと重みのある空気に、誰が口を開くわけでもなく、ただその場に座り続けていた。怒号を鳴らした男も今では船の端でしゃがみ込んで頭を抱えている。
そして、その中心にいる緊迫の根源———愛彩は、下を俯いていた。
ボロボロの服に傷だらけの体。露となっている右腕の機械。
そして何よりも、彼らの目には先程の愛彩の表情が焼きついていた。
『人工知能を〝殺す〟』
その時の表情が、この場にいた人の心を奪い尽くす。
愛彩の、恐怖を駆り立てる、殺意に満ちた表情は色濃く残っていた。
「さて、少しこれからの話をしよう」
そんなことはどうでもいいと言うかのように、平然とした様子のアスタリアが奥から姿を見せた。その場の誰もが声の方へと目線を向ける。
「………まず初めに、この船はアメリカに向かっている。特別措置ということもあり、海域や排他的経済水域などは無視して移動中だ」
「アメリカ……?」
何故アメリカに向かう必要があるのだろうか。
皆が揃って思ったであろうその疑問を察してか、アスタリアは話を続ける。
「アメリカへ向かっている理由は主に二つ。一つは人工知能の暴走が既に鎮圧されているということ」
「そうか、アメリカはヒューマノイドがあんまりいないから………」
数十年前から進化を続けている人工知能であるが、その中でも人型の人工知能———ヒューマノイドと呼称される———は主に介護で用いられることがほとんどであり、少子高齢化社会の日本では他国より遥かに多くのヒューマノイドが利用されていた。
対してアメリカは、日本よりも面積が広く、人工知能の生産量は日本に劣っていた。軍事力の関連もあるだろうが、だからこそアメリカは人工知能の暴走を鎮圧することができたのだろう。
「けど、いくらヒューマノイドの鎮圧ができたからと言って油断はできないんじゃないですか? 今じゃほとんどが人工知能によって全自動化されているわけですから」
「電車などの大型なものは爆発して壊したらしい。今でも動いているものはあるそうだが、そこまで時間は要すことはないだろう」
「それに《アンドロメダ》や《ネメシス》、《アルデバラン》などの携帯はその場で破裂するだけですから。街を壊すような被害はないはずですよ」
愛彩の問いかけに対し、二人は冷静沈着に答えた。
確かに、現在報告を受けている中で暴走しているのはヒューマノイドだけだ。他のAI搭載の端末やその他の機器は破裂、損傷、あるいは小爆発を起こしているだけで、《カイン》の時のような被害は出ていない。
「そして、もう一つの理由だが………俺らが彼に会わなければいけないからだ」
「彼……?」
「私たち軍人を船で日本まで向かわせた張本人………もしくは、完全汎用型の人工知能開発の最前線にいた人物」
その名前は、誰しもが耳にしたことのあるものだった。
数年前に完全汎用型人工知能の理論を完成、さらにそれを実行にまで移した完全汎用型人工知能の先駆者。
「その名は———エレン=クリスタ」
***
その後、話は淡々と進行した。
その内容は主にこの船での八日間の過ごし方。乗船している総人数は百二十三人分の食料は確保されており、個室はないものの、トイレやシャワールームなどは小さくとも完全完備。当然、その利用にもルールを設け、もしも男性が女性に卑猥なこと計画・実行した場合は海に投げ捨てるということになった。
けれど、この船の中にはそんな悠長なことを考える人は一人としていない。
それは、唯一残っていた佑月の携帯………そこから接続した動画サイトに投稿された惨劇を目の当たりにしたからだ。
その動画に映っていたのは………………業火。
紅蓮の中を彷徨う人々と、人を狩る鉄の塊。
《カイン》のように銃を構えることはないが、強靭なアームで絞殺し、あらゆる刃物を用いて刺殺し、その重い機体で圧殺する。
ほんの数時間前まで人々が行き交っていた場所は、血潮と屍で埋まっていた。
そして最後には撮影者も見つかったのか、映像は微妙な具合で途切れる。
そうして完成したのは何も話すことのない静寂な空間。
そこでなおも話を続けるアスタリアは、ようやく話に終止符を打った。
「最後に………長谷部愛彩、お前には話がある。ついて来い。他は以上だ」
その場の誰もがしっくりこない、そんな終わり方で。
***
「失礼します」
「はいどうぞ。じゃあこちらに」
愛彩がそこに足を踏み入れると、アスタリアの背を追い、メリスに誘導されて奥へと入っていく。その部屋は大量のダンボール箱が積まれており、空間は誘導された先にある部屋の中心のみ。そこにはパソコンが一台と向かい合う横長の椅子、その奥には大型の機械がある。
「疲弊しているとは思うが、まずは座ってくれ」
「はい」
椅子にドスンと腰掛けるアスタリアと向かい合うようにして、愛彩は座る。
「早速だが………まず、お前のソレはなんだ?」
アスタリアが指差したのは愛彩の右腕。そこにはとある機器が取り付けられている。
メタリックな鋼色にシンプルに彫刻されたような模様のあるガントレットのようなもの。その真ん中には一つのスイッチがあるだけの、一見、ただの玩具のようにしか見えない代物だが。
「私も良くは知らないんですけど、人間の能力を底上げするもののようで………」
「それはどこで手に入れた?」
「ええとですね、八木優………アスタリアさんが私と一緒に逃してくれた男性が所持していたものです」
「もしかして、そいつは人工知能の研究に加担していたのか?」
「そう言ってました」
愛彩がその事実を知ったのは、たった数時間前のことなのだが。
「お前がその使い方を知っていたのは何故だ?」
「それは逃走中に彼が使用したからです。これとは別の、足に付けてたものですけど」
「なるほどな………」
アスタリアは納得したようにそう呟いた。顎を触り、深く考え込む。
「そういえばですけど、優ちゃ……彼がその機械を使う時に言ってたことがあるんです。『……博士、失敗したら恨むからな』って」
「博士?」
つまり、その『博士』とやらがこの機器を造り出したということになるのだが、現代の科学において、そんなものを開発できる人はたった一人と言っても過言ではない。
その人物は———、
「エレン博士、かもしれないと?」
「はい」
「わかった聞いてみよう。とりあえず今日のところはここまでにする。詳しく聞くのは奴と合流してからだ」
「じゃあ、最後に一ついいですか?」
「なんだ?」
「貴方達って一体何者なんですか?」
その質問を口にすると、アスタリアはため息を一つ溢す。立ってダンボールを整理していたメリスは思わず微笑した。
「俺たちは見ての通り、軍人の端くれだ。人工知能対策特殊部隊という今まであまり仕事のなかった部隊のな」
「もしかして私たちって軍人に見られてなかったの? こんな格好してるただコスプレしてるだけだと思ってたの………?」
「あ、いえ。そうではなくてですね——————」
愛彩はただ、それが本当なのか確認したかっただけだった。
そして、もしも本当にただのコスプレイヤーだったとしたらと想像すると、恐怖でしかなかった。
***
「寝れないの?」
「正確には寝れなかったというのが正解ですかね」
話を終えて元の場所に戻った愛彩であったが、深夜を廻っているにも関わらず、眠ることはできなかった。瞼を閉じれば脳裏に焼きついた惨状が映りこみ、強制的に瞼が開く。
だからと言って寝ないわけにはいかないと幾度と瞼を閉じては開く動作を繰り返したものの変化はなく、今こうして船のデッキに出て、夜風に当たっているところなのだ。
そんな愛彩の隣に立つのはメリス=カートン。彼女の目の下にできた隈と疲弊した顔からして、夜通しで作業をしていたのだろう。
「もうすぐ夜明けですね………」
闇色の空はいつしか柑子色に、やがて蜜柑色へと変化し、明るくなっていく。
こんな事態であっても、太陽は空気を読むことはなくゆっくり顔を見せていた。
「………大丈夫?」
その光景を目の前に、メリスが発したのはそんな言葉だった。
愛彩がメリスの方を一瞥すると、メリスは哀れむかのような目で見ていた。
「何がですか?」
「恋人さんのこと」
「もう心配ないです。ありがとうございます」
「………」
愛彩の一言に、メリスは微笑を浮かべる。徐々にその姿をあらわにする太陽を背にして、再び口を開いた。
「………私も、同じ」
しかし放たれた言葉は、愛彩に向けた憐憫ではなく、自分に向けた後悔だった。
「私も大好きだったお父さんが死んだ時、そんな感じだった」
「………」
「その時はまだ5歳で、しなくていいやせ我慢をしてた」
「私は5歳じゃないですし、やせ我慢もしてないですけどね」
「可愛くないなぁ」
そう言ったメリスに、愛彩がメリスの方に顔を向けた瞬間。ふわりといい香りが鼻をくすぐる。少し冷えていた体がほのかな温かみに包まれる。
気が付けば、メリスの顔は愛彩のすぐ近くにまで接近していた。
ギュッと、体が柔らかに包まれる。
「もう泣いてもいいんだよ。我慢しなくていいんだよ」
「……………っ」
メリスは、気付いていたのだ。
愛彩がどれだけ泣きたかったのかを。
自分を悲壮と憤怒で埋め尽くし、涙を押し殺していたことを。
「もう、大丈夫だから……」
メリスの優しさに、愛彩はため込んでいた涙を自然と海へと落ちていく。
そうして、漠然とした光が海の向こうからやがて姿を現した頃、愛彩の意識は落ちたのだった。
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