真夜中のジャポニカ学習帳、の話。

舞島由宇二

わけもなく私泣いちゃいソーダ

 深夜、24時間営業のスーパーによく行く。

 そこで申し訳程度の品揃えの文具売り場の中に並べられたジャポニカ学習帳を見ていると、この上なく安心する。

 ああ、本当に良かった、まっさらのジャポニカ学習帳がここにはある。

 明日使う分のノートがないことに夜遅くに気がついた小学生達が困ることがない。

 この店は24時間営業だから、だいじょうぶ早朝に買いに来たとしても、学校までには全然間に合う。

 この店は24時間営業だから、親御さんがきっと買いにきてくれる。

 涙を流しながら、本当は嫌いなアイツに渋々頼み、ほらよっとアイツのジャポニカ学習帳から千切られた屈辱の1枚の白紙を借りなくても済むのだ。

 ああ、本当に良かった、もうこの世界からノート難民はいなくなった。

 私はその場で涙を堪え、一人震えていた。


 しかし私自身はジャポニカ学習帳が必要が無いので、買うことはない。

 そもそも、今日も今日とて、スーパーに買いたいものがあったわけではない。ただジャポニカ学習帳を確認したかったのだ。それだけだ。

 当然のように何も買わずに店を出て、向かいのコンビニでタバコを買った。

 コンビニを出る寸前、スーパーと同規模の文具売り場に並べられたジャポニカ学習帳を発見する。


 前から気がついてはいたが、別にノートくらいコンビニでも売られている。


 しかし、24時間営業が減った今、24時間営業が当然のコンビニよりも数少ない24時間営業のスーパーの方がなんとなく有り難い。

 それに、あの巨大なスーパーの中にあって、おまけのような文具売り場という小さなスペースでジャポニカ学習帳を見つけた時の感動のほうが大きな気がする。


「ハハハっ、聞いた?これだから年寄りは嫌だね、最近じゃ小学校だってペーパーレスだっつーの。」

「この人そんなことも知らないの?最近じゃ皆タブレットだよね、小学生からやり直したらどうかな?」

「早くあっち行けよ、ジャポニカお化け!」

「「あっち行けよ、ジャポニカお化け!」」


「「ジャーポニカ!ジャーポニカ!ジャーポニカ!ハーモニカ!アンモニア!アンモニカ!アーンミカ!」」


 私の幻覚の中の小生意気な小学生男児二人組が手をたたきコールする。

 私を弱らせるいつもの手段。

 私はジャポニカお化けではない。

 私はハーモニカでもなければ、アンモニアでもないし、ましてやアンミカであるわけがない。……もしかしたらアンモニカではあるかもしれない。アンモニカが一体なんなのかは知らないが。


 うるさい、私の周りをウロチョロするな、あっち行くのはお前らのほうだ!

 私は負けじと手を叩き、声の限り叫んだ。

「ジャーポニカ!サールベニア!ルーマニア!ゲーオルゲ!コロンビア!バールデラマ!バールデラマ!(ルーマニア、ゲーオルゲ、つまりはルーマニアの英雄ゲオルゲ・ハジのことを意味しており、またコロンビア、バールデラマについてもコロンビアの英雄カルロスバルデラマのことを意味している。)」


 手を叩くのをやめる。

 私はやるせなくなって、イヤフォンを耳にねじ込んだ。


『シュワシュワッ――』


 思えばいつもそうだった。


『放課後はいつもクリームソーダ――』


 最近じゃめっきり少なくなったが、昔は何かに取り憑かれたように、こうして音楽を聞きながら深夜徘徊をしていたものだった。


『シュワシュワの海に溶けちゃいそうだ

 センチメンタルなクリームソーダ

 わけもなく私泣いちゃいそうだ――』


 突然、大都会東京にないものはなんだろう、と思う。

 考えるふりをやめる。

 考えなくてもわかる。

 そんなものは瞬時に挙げ連ねることが出来る。

 テディベア・ミュージアムとトリックアート館とオルゴール美術館だ。


 トリックアート館はお台場にあるが、東京にある時点でトリックアート館ではない。

 そう、つまり東京にないものとは東京に存在することが出来ないもののことだ。

 東京に許されないもの。

 東京が許さないもの。

 東京のお母さんがあの子とは遊んじゃ駄目ですって言った、いつも同じジャージを着ているアイツのこと。

 東京だって本当はアイツと遊びたかった、アイツ確かに時々髪の毛洗ってなくてテカテカしてることあるけど、面白いやつなんだぜって。

 でもお母さんは駄目だって。

 だから東京にはテディベア・ミュージアムもトリックアート館もオルゴール美術館もなくなったんだ。

 皆東京の周りから離れていく。

 東京は孤独だった。

 東京は僻地だった。

 東京は世界のどこよりもキワだった。


 いつのまにか空の青みが強くなったかと思うと、既に日の出の時間だった。

 私は立ち止まり、空をポオっと見つめながら、センチメンタルなトーキョーを想い、それはまさにシュワシュワの海に溶けちゃいそうな感覚で、わけもなく私は泣いちゃいそうだった。

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真夜中のジャポニカ学習帳、の話。 舞島由宇二 @yu-maijima

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