天才の落とす影 04
秋葉原に着き、人込みに酔いそうになりながら改札前にいるという関口を探した。都会の駅はどうにも慣れないもので、何度来ても迷いそうになる。地元の駅なんて一時間か二時間に一本しか電車は来ない上、改札なんて一つしかなかったものだから、初めて電車に乗った時はそれはもう驚いたものだった。
「おい」
後ろからいきなり声を掛けられ、驚いて振り返る。声の主は関口だった。「田舎もんみたいにキョロキョロしてんなよ、お前」と言って小突いてくるが、実際田舎者なのだからそこは分かって欲しかった。
「いや、実際田舎の出身なんだけど」
「知ってるよ。いや、つかそんなんはどうでもいンだよ」
そう言って足早に歩き出した関口の後ろを慌てて追いかける。目的地はもう決まっているのか、迷いなく歩き続ける彼を見失わないようにするのは割りと神経を使った。人込みを縫うように急ぎ足で歩いた先にあったのは音響機器の専門店だった。
「一之瀬、お前音響機器詳しかったよな?」
「え? ま、まぁ好きではあるけど」
「選ぶの手伝ってくれや。俺、どうもその辺興味なくてな」
何でも、一週間後に妹さんが誕生日なんだそうで、関口はそのプレゼントを選びたかったらしい。普段から音楽を聴いていることが多いらしく、イヤホンが欲しいと言っていたのを耳にして、買ってやろうという事だった。
基本的に俺は何も無い日はパソコンに向かっていることが多く、小説を書く合間に音楽を聴いていることも多い。音質に対するこだわりがとりわけあるという訳でもないが、割と値の張るものを普段から使っている自覚はあるし、おそらく関口よりは流石に詳しいだろうとは思った。が、まさか女の子へのプレゼントを選ぶ手伝いだとは思っていなかったもので、少々面食らってしまった。
「意外と、マメなんだな関口」
「あ? それどういう意味だお前」
軽めにはたいたつもりなのだろうが、関口からもらった一発は割りと真面目に痛かった。
目的の買い物が済む頃にはもう昼時をとうに過ぎ、時計は午後二時を指し示していた。関口の手には丁寧にラッピングされた箱の入った買い物袋が握られている。職場では絶対に見せないような優しい笑みを浮かべた顔に少し驚いた。
「お前、そんな顔できるんだな」
「あぁ? なんだそりゃ、どういうことだよ」
お互いそこまで口数の多い方ではない事もあって、あまり会話こそ続かなかったが、関口が喜んでいる事だけは良く分かった。普段より話していて棘が無い。本当に妹思いなんだなと見ていて少し羨ましくなるほどだった。
「一之瀬、今日はありがとな」
「いや、俺何もしてないぞ」
実際、最終的にプレゼントを選んだのは女性の店員さんだった。俺自身、女性への贈り物を選んだ経験が無かった事もあり、今回ほとんどただそこにいただけの存在でしかなかったのだ。正直な話、何しに来たのか分からない状態であった。
「まぁ何でもいいだろ、楽しかったしさ、付き合ってもらったわけだしな。礼くらい言わせろって」
「あぁ、まぁ……どうも」
駅に向かって歩きながら、隣を歩く関口を見やると嬉しそうな、優しい笑顔の中に何故かほんの少し陰りがあるように思えた。最近になってそういった瞬間を目にすることが多かったからか、妙に気になった。初めて出会った頃の関口……入社したての頃は陽気な一面が強く、俺には少し近寄りがたい人物という印象だった。
それが何の因果か、今こうして隣を歩いている。というか割と二人で飲みに行くことも少なくない。正直不可解で仕方がなかったのだ。
「あのさ……」
「一之瀬」
なにかあったのかと聞くより早く、関口は言葉を遮ってその場に立ち止まった。急な行動に面食らって何もいえなくなる。彼の目は心なしか潤んでいるように見えて、今にも泣き出しそうなそんな顔に、無理やり笑顔を貼り付けたような歪さに息を呑む事しかできない。何かある。そうでなくては、こんな顔、演技で出来る類のものじゃない。俺の直感がそう告げていた。
「俺、ちょっと買い忘れたモンあるからさ、ここでお開きにしようぜ」
「……暇だし、一緒に行く」
「いや、お前は帰れ一之瀬」
「お前……」
「一人がいいんだ。悪い、呼び出したの俺なのにな。ありがとな。それじゃ」
そう言って踵を返し、関口は足早に人込みの中に消えていった。その背中は何かから逃げるようにも見えた。
上京して一番最初に心を許せるようになったのは、本当に最近の事だったが、なんだかんだで関口だった。そんな友人の見せた明らかに何かを抱えた表情。あの時、何故俺はその背中を追う事ができなかったのか。追いかけて、助ける事はできなかったのかと、俺はその二日後に悔やむ事になる。
言いようの無い不安を抱えたまま帰路につき、週明け。職場に赴いた俺の目に飛び込んだのは、関口のデスクの上に置かれた花瓶。どんよりと重い職場の空気が何が起こったのかを語っているようだった。しかしながら、その時の俺の頭の中は真っ白で、固まってしまった俺の肩にそっと手を置いたのは、田上さんだった。
「いいヤツだったんだけどな、残念だよ」
その言葉で、俺はようやく理解した。
関口が、自殺した。
状況が理解できた途端、急激な吐き気に襲われた俺は田上さんの手を振り払うようにトイレに駆け込んだ。逆流したものを全て吐き出す。強烈な酸味が口いっぱいに広がって、涙が溢れて止まらなくなった。
その後に知った事だが、関口は田上さんから執拗な「しごき」を受けていたらしい事を後に関口と仲の良かった同僚から聞いた。田上さんと仲の良かった先輩達からも同様にである。それを知っていた人物たちは巻き込まれたくない一身で、関口と距離を置いていたのだという事も。
「俺ほら、事務所にあんまり居場所なくてな」
関口のその言葉の真の意味を、俺は、全てが終わったこの瞬間にようやく理解する事が出来た。
そして、これこそが全ての絶望の始まりだった。
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