女神との出会い 04

 それから、毎日のように彼女と話すようになり、お互い砕けた口調や態度で会話をすることが多くなった。趣味が似ているのか、お互いの好きな本の話や最近見た映画の話でやたらと盛り上がっては相当な夜更かしをする日々。ほんの少し前の、完全にホームシックだった俺の姿は影も形もなく、今ではクリサリスと話すのが楽しみだからという理由で残業をしないように必死に仕事をこなすようになっていた。

「へぇ、で? その子とは付き合ってんの?」

「いや、なんでそうなったんだ……」

 関口とはあの後やたらとよく話すようになり今では食堂で昼食を共にし、飲みにも行くようになっていた。

 全てが順調……とまでは上手くいっていないが、程よく纏まった生活が送れるようになってきていることは事実で、ここまで色々と上手くいくと少し怖いものがあるなと思いつつ、今を楽しめるようになってきていた。

 季節は冬に差し掛かり、外回りが億劫に思える。この昼食が終われば、また次の契約を取りに外出だ。

「……さてと」

「もう行くのかよ?」

「まぁな。俺ほら、事務所にあんまり居場所なくてな」

 関口は仕事が出来ないわけではなかった。むしろ、俺なんかより数倍……いや数十倍は仕事が出来る人間で、遅刻もなければ欠勤も無い。もっと言うなら新人の中では最初からトップの成績を重ね続けている。居場所が無いと言った彼の言葉は正直驚くほど意外なものだった。

 顔に出たのか「いや、心配すんなよ」と苦笑しつつ「居場所が無いってもアレだぞ? 上司があんまりいい目線で俺の事見てないのは流石に鈍くさいお前でも分かるだろ」

「ごめん全然分かってなかった」

「……お前、そういうとこだよ」

「関口、何油売ってんだ、行くぞ」

 食堂の入り口に田上さんがいた。関口は青ざめた顔で慌てて立ち上がり「じゃあまたな」と言って外回りに出て行った。そういうとこって、どういうとこだよと聞き返す間もなく、急ぎ足で去っていく彼の背中を眺める。


 あいつ、なんであんなに苦しそうなんだ?


 ◆


 外回りを終えて会社に戻ろうとしたところで課長から着信があった。

『一之瀬君、今日もういい時間だからそのまま帰って大丈夫だよ』

「え、でも報告書とかはどうしたら……」

『明日でいいよ、君、明日外回り無いでしょ。ゆっくり休みなさい、ね?』

「あ、ありがとうございます」

 直帰というやつをするのはこれが初めてだった。純粋にありがたかった。早く帰ってクリサリスの新作が読みたい。先日彼女から新作が出来たと言われ、感想を言おうにもまだ一文字も読めておらず、やきもきしていたのもあり、今日のこの出来事は早く読んでやれと何かに言われている様な気がして疲れていた体が軽く思えた。

 なんとなく入ったコンビニで煙草と缶コーヒーを買い、外に出た所で「おい」と声をかけられた。関口だ。

「直帰かよ一之瀬」

「関口もじゃないの?」

「いやまぁそうなんだけども。ちょっとメシ食い行こうぜ、時間あるか?」

 少し迷う。まだ午後六時に差し掛かったばかりだが、作品を読み、内容を理解するとなると短編であっても日付が変わる前に寝れるかは少し微妙なラインだった。返答に詰まり、どうしたものかと目を泳がせたのを見て「予定あるなら別にいいぜ」と関口は笑った。

「女だろ?」

「だから違うって……」

「まぁなんでもいいよ。明日とか、良かったら飲みに行こうぜ。金曜だし」

「あ、それなら。明日な、予定空けとくよ」

 付き合い悪いと思われただろうか。俺のそんな心配を余所に関口は「んじゃ、また明日な」と言ってそそくさと踵を返して歩き去っていった。その背中が酷く寂しそうに見えたのは、錯覚なのだろうか。


 都会に来て分かったことは、此処に住む人々は恐ろしいほどに他人に無関心だという事だった。

 例えばの話ではあるが、田舎では割と世間話というか、近所付き合いが盛んで、どこそこの誰がとか、そういった話がやたらめったら早く出回っていく。その速度はおそらくテレビのニュース番組なんかよりもずっと早い。いい学校に入学すれば『あの人の子供は優秀』だとか、あまり成績が良くない学校に入れば『あの人の子供は不出来』だなどの嫌な噂さえもがさも当たり前のように子供に耳に入ってしまう。これは虐めの元凶とも言えなくもない。

 しかしながら、都会ではまず道行く人々が皆それぞれに「生きる」という事に必死なのか、そういった話をする人の影を見ることがなく、もっと言えば関口のように即断即決といった行動をとる人間が多いようにも思えた。

 これはおそらく、人の数が多すぎるが為に見えていないだけなのかもしれないが、見えていないが故に、良くも悪くも、人の心に影を落とすことになる。

 自己防衛、と言ってしまえば聞こえはいいかもしれない。しかしそれは他者の心に触れようとしないことを、まるでそれが「義務」であるかのように自分の心に「無関心」であることを言い聞かせてしまう。それは他人に頼るだとか、吐き出す先を見失うことにつながっていく。


 他人に無関心であるが故に。

 自分にすら目を向けてくれる者などいないと、そう錯覚させてしまうのだ。


 まるでそれは呪いの様で、俺にはいつもこの街が酷く寂しく見える。

 この街に出て一度目の冬。この寂しい世界で、俺は一人の光と出会った。街の風景は依然として暗い影に覆われたように見える中で、画面越しに見える彼女の世界だけが俺の心の支えになりつつあった。

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