女神との出会い 02
クリサリスとの会話はいつも楽しかった。といっても、ネット上のやり取りではあるが。他のネ友も交えてのリプの飛ばしあいや、それこそ小説の話、最近見た映画の話、他愛も無い話題の一つ一つが輝いて、その全てが俺の創作意欲を掻き立てた。
日に日に増えていくネタをメモ帳に書き留めては、頭の中でストーリーを組み上げ、毎晩のように机に向かい、キーボードに文字を打ち込んでいく。俺の描く作品が増えるのと同様に、彼女の作品もまた増えていく。それを読むのもまた楽しみで、次はどんな世界を描くのか、続きはどうなるのか、考えるだけで胸が高鳴った。
「最近調子がいいじゃないか」
職場の先輩からそう言われ、初めて自覚する。人との関わりを嫌わなくなっている自分がいる。いつもなら適当に会釈し、その場を離れるのだが、この日は少し話してみようと思い立った。
「そうですかね、いつも通りだと思いますが」
「いや、随分顔色がいいし、何より、そうやって返してこないからな」
「人と話すのが苦手で……」
そう言うと、先輩は「ああ」と納得したように「とりあえず飲みにでも行くか」と優しく笑いかけてきた。
「え、俺あんま得意じゃ……」
「いいんだよ、サシならそんなに気にするこたぁねぇさ。今晩空いてるか?」
「では……お言葉に、甘えて」
その日、俺は生まれて初めて誰かとお酒を飲む約束をした。
先輩……田上さんはいつも怒っている印象で、同期からはあまり好かれていなかった。簡単に後輩を売るような人だという悪い噂もあったが、酒の席では気さくでいい人そのものだった。
「一之瀬はアレだよ、表情が硬いんだよ」
赤い顔の先輩はそう言いながらもう何杯目か分からないハイボールを煽り、二カッと気持ちのいい笑顔を見せ俺に「笑え」と言った。
「笑え、ですか」
「おう、笑え。笑ってりゃ人生色々どうとでもなるもんだぜ。俺はそうやって生きてきた! 助けが必要なら俺に言え、どうにかしてやっからよ!」
豪快に笑う先輩に促され、グラスを口に運ぶ。初めて飲んだビールは酷く苦く、これを美味いと言う人の気持ちが分からなかったが、それを分かるようになった時、俺はこの先輩のように人前でも大声で笑えるようになるのだろうか。
どうにかビールを飲み干した頃にはもうすっかり夜も更けており、先輩との飲み会はお開きとなった。
「また行こうぜ、な!」
「はい、今日はありがとうございました」
機嫌が良さそうな先輩のいい笑顔を見送って俺も帰路につく。ポケットからスマホを取り出して、いつものように通知を確認すると、クリサリスからメッセージが届いていた。
『時間があるときでよいので、感想を頂けたら嬉しいです』
メッセージには一件のリンクが貼り付けられていた。彼女の作品へのリンクだ。酒に酔った頭でそれを開けば、やはりそこには世界があった。今の状態で読むのは些か気が引ける、とりあえずは帰宅を優先しよう。
スマホをポケットに入れ、終電に乗り、自宅へ向かう。車窓越しに見るこの町の風景はいつだって明るく輝いていて。
煌びやかな希望に満ちているはずなのに、なぜか俺には、くたびれた様に、寂しく見えた。
◆
帰り着いて即座にシャワーを浴びて酔いを醒ます。気が付けば、机について彼女の小説を読み進めていた。
クリサリス、彼女の描く作品は、悲恋などの悲しい作品が多く、挫折だとか、そういったものを美しく描いていた。現実的な世界観だからこそのものなのかは分からないが、読めば必ず引き込まれる。まるで、あたかも自分がその場面に出くわしたかのような、そんな感覚。
そしてその全ての作品から、彼女の心の叫びが聞こえてくる様でもあった。
――もっと私を見てくれ。認めてくれ。
そんな悲痛な叫び声。読むたびに息苦しくなるような緊張感が、彼女の作品からは感じられた。
いつも通り、素晴らしい作品だったとメッセージを贈り、机を離れベッドに横になる。天井についた煙草の脂の色を眺めていると、程なくして彼女から返事が帰ってきた。
『一度、ちゃんとお話を伺いたいので、もしよければ通話とか、出来ませんか?』
想定外の展開に心臓が跳ねた。この人の声が聞ける。そう考えただけで、何故か嬉しくて。そんな俺に答えなど一つしかあるはずが無かった。
『俺なんかでよかったら』
そのメッセージに自分のラインのQRコードを載せ、メッセージを送信する。張り付くようにスマホの画面を眺め、連絡が来るのを待った。友達追加の通知が届き、着信。話したいことが山ほどあった。俺はしっかり喋れるだろうか。一抹の不安と収まらない鼓動を落ち着けるように深く息を吸い込み、吐き出すと同時に、スマホを耳にあてると、消え入るような声で『もしもし』と声が聞こえた。
『あ、の。クリサリス……です』
「あ、サリエリです、その、よろしく」
お見合いで初めて顔を合わせたかのような、恐ろしくぎこちない会話とともに始まった彼女とのはじめての通話。声が聞こえたその瞬間に、俺の頭から話す内容など完全に飛んでしまっていた。
「あ、さっきのやつ、すごく良かったですよ」
『ありがとう、ございます』
「いつもですけど、とりわけ今回の作品は、登場人物の心情が掴みやすくて、本当に引き込まれたというか……」
『良かった、気に入っていただけたみたいで』
通話越しではあったが、彼女がはにかんだのがわかった。
『一番気にしていたところではあったので、そこを褒めてもらえたのは純粋に嬉しいです』
そこから彼女と何を話したのかは、ほとんど覚えていない。多分、俺の人生の中で最も舞い上がった瞬間だったのは言うまでも無いと思う。圧倒的に、幸せな時間だった。
小一時間話したあたりでお互いの話題が尽き始め、その日はお開きになった。湧き上がった創作意欲を吐き出すように、机に向かい、キーボードを叩く不規則な音が小さな部屋を支配する。
――読んでくれるだろうか、気に入ってくれるだろうか。
そこで、一つの疑問が湧き上がった。
――俺は一体、何のために、これを書いているんだ?
そんな事を考えながら、朝を迎えた俺は、その日初めて遅刻をした。
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