第106話 エピローグ
「好きです! 付き合って下さい!」
中庭に響く、ストレートな愛の告白。捧げられた一輪の薔薇を受け取った女魔道士は、かすかに眉を下げて困ったように微笑した。
「貴方の気持ちは嬉しいんだけど、ね」
「初めて貴女を見た時から好きでした! 宮廷魔道士見習いに志願したのも、貴女に少しでも近付きたかったからです。師弟関係なんて関係ありません!」
若いだけに勢いはある。ぐいぐいと距離を詰める若者を笑顔で躱し、どう断ろうかと考えあぐねた女の視界に、ふと真紅の男が映り込んだ。
偶然通りかかったのだろう。こちらを一瞥しただけで興味なさげに歩いて行く男を、女魔道士――イーヴィが慌てて引き止めた。
「ちょうどいいところに来たわ。ブラッド! ブラッドったら」
聞こえないふりをしているのか、そのまま去って行こうとしたブラッドの腕を引いて、イーヴィがこれ見よがしに自分の腕を艶っぽく絡みつかせた。
「ごめんなさいね。実は私、ブラッドと付き合ってるの」
「えっ!」
突然の告白に、若い男が硬直する。否定も肯定もしないブラッドにただ無感情に見つめられ、男の体から嫌な汗が噴き出した。
「そっ、それはご無礼を……! 失礼しましたぁぁぁぁ!」
そこにいるだけで押し潰されそうな威圧感を放つブラッドに、若い男が可哀想なくらいに怯えて走り去っていく。その男と入れ違いに中庭へやってきたエルフが、二人の姿を確認するなり足早に近付いてきた。
「二人ともちょうど良かった」
そう言ったライリの髪は乱れ、呼吸も少し上がっている。
「石女、見なかった?」
「レフィス? さぁ、私は見てないけれど」
イーヴィから視線を渡され、ブラッドも首を横に振って否定する。当てが外れたのか、ライリが心底ぐったりしたように深い溜息をついて座り込んだ。
「ったく……どこ行ったんだよ」
「護衛の貴方をまくなんて、レフィスもやるわね」
「感心してる場合じゃないよ。即位式までやることは沢山あるのに、ここに来て何ビビってるんだよ」
「レフィスなら、城の二階……東側の使われていない部屋にいる」
城を見上げたまま、ブラッドが静かな声で断言した。どうやら彼にはレフィスの居場所が見えているのだろう。視線は迷うことなく、城の一点に集中している。
「東側と言ったら……あそこか」
部屋の目星を付けて勢いよく立ち上がったライリを、再びブラッドの静かな声音が制した。
「今は行かずとも良い」
「はぁ? 何……」
「別の迎えがいる」
その言葉の意味するところを知り、イーヴィが「あぁ……」と短く声を漏らした。軽く肩を竦めてウインクしたイーヴィにライリも事態を悟ると、それまで忘れていた脱力感と疲労が一気に押しよせてくるのを感じて深い溜息を吐いたのだった。
「ほんっと疲れる。ちょっと休憩しようよ。甘いものが食べたい」
「あら、珍しいわね」
「戻ってきた時に思う存分悔しがればいいんだ。どのみちドレスのサイズを気にして食べられないしね」
そう言うライリの顔にはいつもの意地悪な笑みが見え隠れしていた。
王城を再建する時に、歴代王の肖像画や貴重な文献等は可能な限り持ち出していた。新しい城のあるべき場所へいつか移動するまで、それらは東側の一室に大事に仕舞われている。
埃よけの白い布を被せた貴重品に触れないよう、細心の注意を払って窓際へ進んだレフィスは、そこから見えるルナティルスの街をぼんやりと眺めていた。
ユリシスが王として治めていく国。ルウェインに亡命してからもずっと国を憂い、いつかその手に取り戻すと固く決意して、今がある。過去の悲しい出来事や祖先の悪行を背負い、同じ過ちを繰り返さぬようにと新たに進み始めたユリシス。そんな彼を一番近くで支えられる事が、レフィスには純粋に嬉しかった。
――そう。嬉しいのだ。
けれど、それとこれとは話が違う。
窓ガラスに映る自分の姿に、レフィスの胸がどくんと鳴る。
仮縫いのドレスはそれでも豪華で美しく、少し大人になったレフィスの体に沿うようデザインされている。惜しげもなく晒されたデコルテ。女性らしく膨らんだ胸元から腰のラインはシンプルに、そこから広がる花弁のように軽やかなフリルには所々に小さな宝石が縫い止められていた。
ドレスは文句なしに綺麗だ。それを身に纏える事も素直に気分が上がる。なのにレフィスの表情は曇ったままで、本来の陽だまりのような笑顔はもうずっと隠れたままだ。
その理由は、考えなくてもわかりきっている。
新たにルナティルスを導いていくユリシス。その隣に立とうとしている自分は、辺境に住んでいたただの村娘だ。取り柄と言えば独学で学んだ白魔法くらい。それでも冒険者としてはランク外のストーンで、魔力に関して言えば仲間の誰の足下にも及ばない。
レフィスは今更ながらに、ユリシスとの身分の差に尻込みしていたのだった。
「こんなところにいたのか」
不意に聞こえた声に文字通り体を飛び上がらせて振り向くと、いつの間にかユリシスが扉の前にいた。入ってきた音にも気付かないほどぼんやりしていたのかと、レフィスが取り繕うように乾いた笑みを浮かべる。
「あ、あれ。何でここが分かったの?」
「人がいなくて隠れられそうな場所は限られているからな」
近付いてくるユリシスと何となく目を合わせたくなくて、レフィスが不自然に足下へと視線を落とした。
「あとは変に緊張して戸惑う気配を追えばいい」
「そんなに気配がダダ漏れするほど緊張してないわよ!」
「そうか?」
思ったよりも近くに聞こえた声に顔を上げると、熱を孕んだ紫紺の瞳と目が合った。普段は見ることのない、二人きりの時にだけ現れる男の色香を纏う微笑に、レフィスの胸が騒がしいくらいに早鐘を打つ。
「レフィス。……綺麗だな」
そう言われてしまえば言葉を失うのは必然で、一気に顔を赤く染めたレフィスが陸に上がった魚のように口をぱくぱくと震わせる。頬どころかあらわになった胸元まで朱に染まり、それを目にしたユリシスが僅かに眉を顰めてレフィスの鎖骨を指でなぞった。
「……っ」
「胸元が開きすぎだな。デザインを変えてもらおう」
鎖骨をなぞった指先で頬に触れ、僅かに身を屈めて耳元へ唇を寄せる。
「緊張してるのか?」
耳朶に触れるほどに唇を寄せ、甘く囁くユリシスの声音にレフィスの意識がくらりと酩酊した。それでも何とか自分を奮い立たせたレフィスが挑むように睨むと、なぜか嬉しそうにユリシスが目を細める。
「だから言っただろう」
何をと問うよりも先に、白いドレスに身を包んだレフィスの体が少し強引に引き寄せられた。抱きしめられ、消して強くはない腕の拘束から逃げようともがいて上を向けば、ひどく優しげに微笑むユリシスの影が顔に落ちる。
額を合わせ、鼻を合わせ、囁く吐息が唇を掠めていく。
「窮屈なドレスも、俺も……今のうちに慣れておけと」
「そっ……そんなの、慣れるわけないじゃない」
至近距離で見つめられ、逸らすことも叶わない瞳をぎゅっと閉じると、より一層艶を増した声音がレフィスの鼓膜を甘やかに揺らした。
「なら慣れるまで、何度でも」
言葉の続きは、重なり合った唇から直接レフィスへと伝えられる。
触れるだけの優しいキスは、レフィスが慣れるよりも随分早くに艶めいた熱を持ってしまった。
息苦しさに胸を叩いても、ユリシスの唇は離れない。思いを伝えても伝えても足りないくらいに、貪欲に深くレフィスを求めて絡まり合う。
静かな夜を思わせる紫紺の瞳。その深い闇に隠れた激情に捕らわれてしまったのだと実感すると同時に、レフィスを悩ませていた問題はあっけないほど霧散してしまった。
ユリシスの熱い思いを向けられている自分が愛おしい。
いつも冷静な彼が見せる余裕のない姿が愛おしい。
不安や緊張を完全に拭い去ることは出来ないが、ユリシスと一緒なら乗り越えていけるような気がした。
「まだ足りないか?」
唇を舌先で舐められ、レフィスの背筋がぞくりと震える。
「……っ、もう、充分だからっ」
「困ったな」
潤んだ目で見上げれば、ユリシスが少し意地悪な笑みを零して低く囁いた。
「俺の方が、全然足りない」
反論は再び唇に押し込まれ、終わらない口付けに熱はますます深まるばかりだった。
しんしんと、音もなく降り積もる雪の夜。
幼心に離れたくないと願って渡した赤い指輪。
『約束のしるしだ』
二人を繋ぐ約束は長い時を経ていま、互いの薬指に光る指輪から新たな物語を紡ぎ始める。
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