第105話 五年後、そして
ラスレイア大陸には、大きく分けて四つの国がある。
ひとつは人間が治めるルウェイン。
ひとつは獣人が治めるウルズ。
ひとつはエルフが治めるリアファル。
そして最後のひとつは、亡命していた王子が帰還した神魔の国ルナティルス。
その四つの国が交わる国境地帯に、どの国にも属さない大きな街がある。街の名はベルズ。別名「冒険者の街」とも呼ばれるこの場所には、大陸で一番の冒険者ギルドがあった。
「こんにちは、フレズヴェール。何か僕にでも出来そうな依頼ありますか?」
カウンターで書類の整理をしていたフレズヴェールが顔を上げると、エルフの少年が人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。腕には初心者を表すコーラルの腕輪がしてある。見聞を広めるためにと、少し前に冒険者として登録した少年だ。名前は確か……。
「おぅ、フェイデルか。ちょうど良かった」
そう言って広げた一枚の依頼書には、危険度を表す星が二つ付いていた。
「ミセフィアの王立魔術研究所に白昼夢の香りを届ける依頼だ。どんな効果があるか分からないアイテムだから普通はコーラル冒険者に回さない依頼なんだがな。まぁ、お前さんにはルディオが一緒だから大丈夫だろ」
フェイデルの少し後ろに立つ青年のエルフへ目配せし、フレズヴェールが後ろの棚から白い靄を閉じ込めた小瓶を取り出した。割れないように幾重にも布を巻き、丸めた依頼書と一緒にフェイデルへと手渡す。
「間違っても観光気分で街をうろつくんじゃないぞ。ストーン冒険者みたいに、猫になるかもしれないからな」
にやりと笑うフレズヴェールに釣られて、フェイデルが堪えきれずに噴き出した。少し呆れた表情を浮かべたルディオも、口元を緩めて静かに笑う。それぞれの脳裏に浮かんだ栗色の髪をした女冒険者が、頬を膨らませて不機嫌に顔を背ける様子がありありと想像出来た。
「もう五年になるんだね」
ルウェインとウルズ、そしてリアファルが共に手を取り、ルナティルスの脅威に立ち向かったあの戦いから五年の月日が流れていた。
当時ルナティルスを支配していたリーオンは最後の王族ユリシスに討たれ、国は再びルーグヴィルド王家の統治下に入った。激しい戦いによって崩壊した王城の再建と即位式は後回しにされ、ユリシス本人は国の立て直しと各国への対応に奔走していると聞く。
最後に会ったのはいつだっただろうと記憶に沈みかけた意識が、突然響いた轟音のような赤子の泣き声によって現実に引き戻された。よく見れば、フレズヴェールの鍛え抜かれた上半身にはおんぶ紐が縛られている。鳴き声はフレズヴェールの背中の方から聞こえていた。
「あれ? フェリカちゃん、どうしたんですか? アリスさんは?」
「ちょっと出かけててな。おーぅ、よしよし。何だ、腹でも減ったのか?」
狼頭に筋骨隆々のフレズヴェールが赤子をあやす姿は、端から見ても異色すぎだ。更に背中の赤子がウサギの獣人である事も、不釣り合いさに拍車をかけている。それでも滲み出る幸せは、いつの間にかギルド内を温かな空気で満たしていった。
ミセフィアの王立魔術研究所は、異様な雰囲気に包まれていた。
まず全員が暗い色のローブを纏っている。そして室内は薄暗く、どこからか悲鳴のような音が響いたかと思うと、今度は爆発音と共に酸っぱい匂いが漂ってくる。何かとんでもない場所へ来てしまったのではないかと怯えるフェイデルの前に、亜麻色の髪をした見目麗しい女性が現れた。
「白昼夢の香りを持ってきてくれたのね。ありがとう」
フェイデルから包みを受け取った女が巻いた布を外そうとしたところで、にゅっと沸いて出た別の腕が小瓶を素早く奪い取っていく。
「不用意に触らぬよう、何度言ったら分かるんですか。用途の分からないアイテムなんですよ? 姫様に何かあったらどうするんですか。どうするんだ、僕は」
注意していたはずが、いつの間にか自問自答し始めた学者風の男が、分厚い眼鏡の奥で挙動不審に視線を彷徨わせていた。そんな男の眼前に人差し指を立てた女が、少し不機嫌そうに頬を膨らませて軽く睨みを利かせる。
「カロン! 貴方こそ、何度言ったら分かってくれるのかしら?」
「え? え? な、何の事ですか?」
「名前で呼んで頂戴って、私言いましたよね?」
「えっ! 名前……で、すか。それはそう、ですね。そうですが、それはちょっと……」
似たような言葉を繰り返しながらじりじりと後退していたカロンが、堰を切ったようにくるりと背を向けて一目散に逃げていく。
「あっ! ちょっと、カロン!」
受け取りのサインも忘れて、女がカロンの後を追う。取り残されたフェイデルたちが女の名を知ったのは、廊下の奥から聞こえてきたカロンの観念した声がルージェスと告げたからだった。
「フェイデル様、疲れていませんか? 少し休みましょう」
研究所を出たところでルディオに声を掛けられ、フェイデルが少し困ったように眉を下げた。
「何でルディオには分かっちゃうんだろうね。僕も早く一人前になりたいのに、結局こうしてルディオが助けてくれる」
「何事も一朝一夕には出来ません。ゆっくりと、出来る事から初めて行けばいいのです。冒険者はその一歩でしょう? 王子として広い世界を知るその志、私にもお手伝いさせて下さい」
「……うん。ありがとう、ルディオ」
昼に近いせいか、さっきよりも人通りが増えている。はぐれないようにとフェイデルへ伸ばしたルディオの手が、見知らぬ男の手によって掴まれていた。
はっと身を固くして警戒心を強めたルディオに対して、手を握った男はまるで尊いものを目にしているかのようにうっとりとした表情でルディオの顔を凝視していた。
「何だっ、お前は!」
「……美しい」
青紫色の髪を一つに束ねた男が、ルディオの手を取ったまま颯爽と片膝を付く。まるで王子が姫の手にキスするような格好に、ルディオがあからさまに顔を歪めて男を睨み付けた。
見た目はさっきの学者と似て優男風なのに、掴まれた手はなかなか振りほどけない。痛くはないがしっかりと拘束された手を優しく撫でられ、ルディオの背筋がぞわりと怖気だった。
「リーフェルンを求めて旅に出たが、エルフは皆リーフェルンのように気高く美しい種族なのだな」
エメラルドグリーンの瞳が、じわりと気色の悪い熱を孕んでルディオを見上げた。
「俺と結婚してくれ!」
「断る!!」
カフェに入ってからもフェイデルが思い出し笑いするので、ルディオはその度に眉を顰めて目の前に座る男――ルクスディルを睨んでいる。その視線すら快感なのか、目が合う度にルクスディルが締まりのない顔でへらりと笑った。
「結婚相手を探して旅に出てるなんて、ロマンティックですね」
「フェイデル様。道のど真ん中で求婚するのはお勧めしません」
純粋なフェイデルが変な思考に染まらないよう、ルディオが慌てて釘を刺す。フェイデルのためにも出来れば近寄りたくない相手だったが、なぜか今はカフェで一緒にお茶を飲んでしまっていた。
公衆の面前で派手に求婚され、逃げても逃げても行く先々で先回りされてしまい、疲れ切った二人は苦肉の策としてカフェで休みながら丁寧にお断りしようという結論に至ったのだった。結果ルディオが男だと言う事実を受け入れてもらい、異様に疲れた精神を癒やすために、普段は滅多に飲まない甘い飲み物で喉を潤している。
「しかしエルフというのは罪作りだな。男に求婚したのはこれで七度目だ」
「七度も失敗して、未だに学習しないんですか」
「男のくせにやたら綺麗なエルフがいるからだろう? 最初に間違ったエルフも恐ろしいくらいに美しかったな。ライリと言ったか……。今頃はルナティルスで忙しくしてるんだろうな」
思わぬところで見知った名を聞き、ルディオが飲んでいた茶を思わず吹き出しそうになった。フェイデルも目を大きく開いて、ルクスディルを凝視している。
「ライリさんたちと知り合いなんですか?」
「何だ? もしかしてお前たち、俺の正体に気付いてないのか?」
「正体って……?」
きょとんとするフェイデルににやりと笑みを返すと、ルクスディルが自身の姿を人型から獣型へと変化させた。青紫色の髪は体毛と混ざり、それなりに筋肉の付いた狼の獣人が、鋭い牙を剥き出しにしてニカッと無邪気に笑った。
ルクスディルの名と、人型にもなれる狼の獣人。その存在が示すものを知り、ルディオとフェイデルは更に目を大きく見開いて同時に大声を上げた。
「「獣王っ?」」
「エルフの王子だから、てっきり知ってるもんだと思ったが……そういやこうして顔を合わせたのは初めてだからな」
「ごっ、ごめんなさい! 僕、勉強不足で……」
「俺は別に気にしてないぞ。それに王族が顔を合わせる機会なんて、そうあるもんじゃないからな」
そう言って気さくに笑うルクスディルに、萎縮してしまっていた体から少しだけ余計な力が抜け落ちる。それでも渇きを潤そうと口に含んだ飲み物は、緊張からか甘さが半減したように感じられた。
「お! でも待てよ。そういやそろそろじゃなかったか?」
同意を求められても、ルディオにはルクスディルの意図が分からない。当然フェイデルも同じで、二人揃って首を傾げる姿にルクスディルがにやりと含みのある笑みを浮かべた。
「新生ルナティルスの即位式だ。兄の知り合いの情報屋から聞いたんだがな、表向きにはまだ発表されてないから内緒だぞ」
予想もしていなかった情報に喜びを隠しきれないフェイデルが、先程までの緊張をすっかり忘れてルクスディルへと身を乗り出した。
「本当? また皆に会えるの?」
子供らしく感情を隠しきれないフェイデルの隣では、冷静さを装いつつも柔らかい表情を浮かべるルディオがいる。
彼らがリアファルやウルズに残した軌跡は大きい。王族のみならず、市井に暮らす人々も、新しいルナティルスには興味が尽きないことだろう。
恐怖の象徴でもあったルナティルスが、今後どう世界と向き合っていくのか。その国を導く若き王を支える者たちは、神魔族以外の種族も含まれていると噂されている。
その噂の的となっている者たちの姿を脳裏に描きながら、フェイデルたちは暫しの間思い出話に花を咲かせるのであった。
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