第14章 亡国の失われた秘宝

第99話 かけがえのない仲間

 イーヴァラスが目を覚ました世界は、レフィスたちが知るラスレイア大陸の様相を呈していた。

 絶対的な力を持っていたリュシオンが滅び、大陸には大小様々な国が生まれていた。その中でも特に大きな権力を持つ国が四つ。


 人間という力の弱い種族が知恵で国を発展させたルウェイン。

 獣の性質と姿を受け継いだ者たちが集まったウルズ。

 リュシオンの愚行を嘆き、森に潜んだエルフの隠れ家リアファル。

 そしてかつての惨劇を教訓に、呪われた遺物をひっそりと守り続けるルナティルス。


 ユリシス=ルーグヴィルドが反乱によって国を追われるのは、今のルナティルスから数えて七代目の治世の時だった。





 唐突に「夢」が終わる。

 新しい時代に呆然と佇むイーヴァラスの姿が薄く色をなくして消え、代わりに現れた黒い扉の前にレフィスたちは立ち尽くしていた。

 竜巻の元を探って辿り着いた黒の扉。その向こうから溢れ出した瘴気の誘いによって過去のリュシオンへ導かれたレフィスたちは、夢の終わりと共に再び入り口であった扉の前に戻ってきていた。


「戻ってきた?」


「らしいな」


 見覚えのある城の中。竜巻から発生した魔力によって大きく歪んでいた城内は、元通り無機質な状態に戻っている。外を見やれば、あれほど禍々しい邪気を孕んでいた竜巻は跡形もなく消失し、空に漂っていた汚れた油のような闇も今はその色を薄くして雲間に紛れ込んでいた。


「リュシオン、だったよね」


「……うん」


 探るように、互いが言葉を探って口を閉ざす。何を確認したいのか分かっているのに、それを言葉にするのを躊躇ってしまう。揺れ動く気持ちと共に彷徨わせた視線が、足下の絨毯を意味もなく凝視した。


「今まで黙っていてごめんなさいね。あんまりいい記憶じゃなかったから」


 過去を嘆く言葉なのに、それを紡ぐ音に悲観は感じられない。絨毯から顔を上げると、いつもの調子で穏やかに微笑むイーヴィが三人を優しい眼差しで見つめていた。


「でも辛いばかりでもないのよ? 目覚めてからずっと一人で生きてきた私にとって、このパーティはかけがえのない宝物なの。やっと手に入れた、私の居場所。だからもう少しだけ、ここに置いて欲しいんだけれど……ダメかしら?」


「ダメじゃないわ! イーヴィがいなくなることの方がよっぽどダメよ!!」


 真っ先に声を上げたレフィスが同意を求めて視線を向けると、申し合わせたようにユリシスが頷き、ライリが口角を上げて薄く笑った。


「ここまで一緒に来ておいて、今更抜けるとは言わせないからな」


「戦力的にも抜けられたら困るしね。って言うか、もうその反則的な神族の力で全部片付けてくれない?」


 変わらない仲間たちの態度に、イーヴィが少しだけ泣きそうに目をしばたたかせる。潤んだ瞳を悟られぬようそっと伏せて、大切な彼らの姿を瞼の裏に刻み込んだ。


「……ありがとう」


 壮絶な過去と長い時を生きる人生に、希望など見出せるはずがなかった。仮初めの仲間としてパーティを組んでいた頃も、どこか一歩引いて深く関わろうとしなかったイーヴィを変えたのは、冒険者ランクストーンの白魔法しか使えない新米の冒険者。


 彼女は凍て付いたエルフの心を溶かし、国を奪われた王子に寄り添いながら、ほとんど無自覚に彼らを未来へと導いている。いつしか彼女の周りには笑顔が花咲くようになり、暗い闇すら吹き飛ばす温かな光は諦めの沼に沈んだイーヴィさえも掬い上げようとした。

 その小さな手に救われることを望みながら、心のどこかでは穢れた自分を見られたくないと拒絶する。レフィスの温かい光に照らされて自分の過去が浮き彫りにされるのが、ただただ怖かったのだ。


 何の力も持たないくせに、仲間の誰よりも強く優しく温かい。

 イーヴィの過去を見ても変わらず側にいることを許してくれた仲間。穢れてなどいないと、そして大好きだと伝えてくれたレフィス。

 優しさに溢れた仲間を愛おしく思い、彼らの、そして自分の大好きなこの場所を守ろうとイーヴィは強く心に決めた。


「これからもとして、貴方たちの力になるわ。宜しくね」


「あぁ。宜しく頼む」


「とは言っても、神族の力は完全に戻っていないからあんまり期待しないでね?」


「はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げたライリに、いつもの雰囲気を纏ったイーヴィが少しだけ意地悪な色を乗せて微笑み返した。


本来の姿に戻った時だけ、力も一緒に戻るみたい。魔法を解いた時はリュシオン滅亡のさなかだったから、きっと義兄さんも慌てていたのね」


「使えない神族」


 ぼそりと呟くライリを、ユリシスが無言でたしなめる。その様子に声を漏らして笑うイーヴィを見つめながら、レフィスもほっと安心したように頬を緩めた。


「ねぇ、イーヴィ。もしかして昔から姿が変わらないのも魔法のせいなの?」


「それについては何とも言えないわね。義兄さんが守ってくれた結界に時を止める作用があったのかも知れないし、もしかしたら暴走したブラッディ・ローズの魔力に当てられたからかもしれないわ」


「ブラッディ・ローズ。……イザルク」


 ブラッドの本当の名前を口にした途端、レフィスの首に提げた指輪の石がくるんと光を揺らめかせて輝いた。


「まさかリュシオン滅亡の原因がブラッドだったとはな」


「でもあれはさ……仕方ないんじゃない。自業自得だと思うよ」


 ライリの言葉に、誰も声を発せない。それほどまでにブラッドの過去は凄惨で、脳裏にこびり付いた地下室の惨劇に血の臭いまでがよみがえる。


「ブラッド」


 ブラッディ・ローズの赤い煌めきを見つめたまま、ユリシスが静かに名前を呼んだ。空気を揺らす声音に呼応して、レフィスの背後に真紅を纏ったブラッドが現れる。その顔には、今まで通り何の感情も浮かんではいない。


「お前は、覚えているのか?」


「我がイザルクであったと言う過去は理解した」


「あんな辛いこと、もう思い出さなくてもいいよ」


 痛みに耐えるかのように眉を寄せて、レフィスがブラッドの手をそっと握りしめた。


「ブラッドはブラッドだよ。指輪とか力とか関係なく、私たちの大事な仲間の一人」


 温もりなど感じないはずの手のひらがレフィスの温度を伝えてくるようで、ブラッドは少しだけ目を細めて握られた自身の手を食い入るように凝視した。


「本当にお前は奇妙な人間だ。我は力としてただそこにあるだけの存在。そんな我を対等に扱おうとするのは、イザルクの過去を見たからか」


 非難ではなく、ブラッドの言葉は自問自答のそれだった。未だレフィスに握られた手を振り払うこともなく、かといって握り返すこともない。ただ血に濡れた真紅の双眸が、不安定に揺れている。


「歴代の王は皆、力を求めて我を呼んだ。我は力を求められて存在する。なのにお前は我を力ではなく、友と呼ぶ。ただ奇妙で、理解が出来ぬ」


 重ねられた手に、僅かな力がこもる。はっと顔を上げると、ブラッドの真っ直ぐな視線とぶつかった。


「理解は出来ぬが、不快ではない」


「ブラッド」


「お前たちと過ごす安穏な日々は――心地良い」


 じわりと熱を持った瞼が、レフィスの視界を歪ませる。忙しく瞬きすることで涙を押し込めて、重ねたままの手をぎゅっと握りしめたレフィスが心の底から嬉しそうに笑った。


「これからだってずっと一緒にのんびり過ごせるわ! イザルクを縛っていた首輪の枷はもうないもの。イザルクは自由よ。自由になって、ブラッドとしてここにいるのよ。ね?」


 心を開きかけたブラッドに嬉しさが溢れて止まらない。矢継ぎ早に言葉を連ねたレフィスが、最後確認するように首を傾げてブラッドを見上げると、なぜか真紅の瞳が困惑に揺れていた。


「……やはりお前は理解しがたい」


 眉間に深い皺を寄せたままそう呟くと、ブラッドが重ねていた手を解いてふっと姿を消した。

 溢れていた喜びが行き場を失ってしまい、どうしていいか分からなくなったレフィスが助けを求めて振り返る。けれどライリはにやにやと厭らしい笑みを浮かべ、ユリシスは肩をがっくりと落とし、イーヴィは生温かい視線を向けるだけだった。


「早速ウザがられてたね」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る