第95話 歪んだリヴェスティール

 同盟国の会議の場に魔法紙が届けられてからの対応は素早かった。

 ウルズとリアファル、それにルウェインの精鋭部隊がベルズ入りし、街とその周辺に守りの陣形を展開した。魔道士や魔法具で街全体に結界を張ってこれ以上の侵入を防ぎ、結界の外で溢れかえる魔物の討伐を三国家の精鋭部隊とベルズの冒険者たちで分担する。


 統率の取れた指揮の下、確実に魔物を仕留めていくルウェインの騎士。

 力自慢の多い、血気盛んな獣人の兵士たち。

 冷静に場を見極め、一撃必殺の鋭い矢を放つエルフの射手。

 昔の武器を手に戦場へ戻った赤い死神をはじめ、回復役を担う冒険者たちも、ベルズに集う者すべてが一丸となって魔物の脅威に立ち向かっている。


 そんな中ベルズを中心に繰り広げられる攻防戦の影で、人知れず街を出ようとする者があった。


 黒地に銀糸で刺繍の施されたお揃いのマントを羽織り、目深に被ったフードからレフィスが上目がちにユリシスを見上げる。視線が合ったのは一瞬で、けれど心配ないと強く頷いたユリシスにレフィスも唇をきゅっと噛み締めて頷き返した。


 ギルドの二階。フレズヴェールの私室に集まったのはユリシスたち四人だけだ。皆が緊張して言葉少なに黙する中、ユリシスが手にした転送石を見えるように差し出した。思う場所へ瞬時に飛ぶことの出来る魔法具『転送石』は、漂う不安を敏感に感じ取って透明な石の表面を僅かに揺らめかせている。


「それでルナティルスまでひとっ飛びするつもり?」


「いや……ルナティルス周辺は強烈な時空の歪みが生じていて迂闊に手を出せないと、ルヴァルドの報告にあった。歪みの壁で待機しているルヴァルドの元へ行き、そこからブラッドの力を借りてルナティルスへ侵入する」


「魔物の元を絶つにはルナティルスへ行くのは必須でしょうけど、魔物が押し寄せている今の現状でここを離れるのは得策ではないと思うわ。それとも何か策でもあるの?」


 王都から来たユリシスによって集められたイーヴィたちは、ろくに説明も受けずにこの場所へと集められた。ミセフィアの王立魔術研究所の研究員にローブを渡され、よく分からないままそれを羽織って今に至る。その間ユリシスだけは一人忙しくフレズヴェールに何か耳打ちし、辛うじて聞き取れた言葉は「今から四人でルナティルスへ向かう」と言うものだった。


「大勢に指示を出すのが慣れてなくてな……。説明が遅れてすまない」


「一介の冒険者から、今は国を動かそうとする立場だしね。色々面倒事が多いとは思うよ」


「まず俺たちはルナティルスへ侵入し、あの竜巻の元を調べる。破壊できそうだと判断出来ればその場で元を絶つ」


「ベルズに現状押し寄せている魔物の大群はどうするの?」


 イーヴィに問われ、ユリシスの視線がレフィスへ移る。三人分の視線を受けて、レフィスが無意識に姿勢を正した。


「魔物が引き寄せられているのは、ブラッディ・ローズだ」


「……えっ!」


 静かに響いた言葉に、レフィスが首に下げた指輪を服の上から強く握りしめた。


「俺たちがルナティルスへ向かえば、おそらく魔物たちも後に続くはずだ。俺が魔物を誘導し、残り三国はルナティルスを包囲してもらう手筈になっている。王都の現状は分からないが、リヴェスティールに侵入できればレジスタンスとも連絡が取れる。住民の避難は彼らに任せ、魔物を元から一気に叩く」


「うちのリーダーはいつからこんな大胆な作戦を立てるようになったのかしらね」


 胸の前で組んでいた腕を解いて、イーヴィが髪を掻き上げながら呆れたように深い溜息をついた。ライリはライリで瑠璃色の瞳を爛々と輝かせながら、意地の悪い笑みを浮かべている。


「ついでにあのリーオンもぶちのめしとこうか。一石二鳥ってやつ?」


「そうできれば手間が省けるな」


 ライリの冗談に敢えて乗り、場の空気を意図的に軽くする。それでも表情の冴えないレフィスの手を強く握り、安心させるようにユリシスが優しく笑った。


「大丈夫だ。物騒な黒魔法に得体の知れない強大な魔力。ブラッディ・ローズに俺もいる。お前の仲間は最強だろう?」


「ユリシス……。うん、そうね」


 頷いて微笑み返すと、握りしめた手に力が込められた気がした。


「それじゃあ、行くぞ。はぐれないようにしっかりと手を握ってくれ」


 隣り合う者同士が手を繋いだのを確認して、ユリシスが右手に持った転送石を握りしめる。

 向かうは暗黒の闇が漂うルナティルスの王都リヴェスティール。一呼吸分の間を置いて鈍く光り出した転送石の輝きが室内を埋め尽くし、あまりの眩しさに全員が瞼を閉じた。

 白一色に塗り上げられた室内から光が消える頃には、もうどこにも四人の姿は見当たらなかった。





 震える大気に紛れて絶え間なく聞こえていた魔物の咆哮が、突然ふつりと途絶えた。

 竜巻から滲み出る闇に覆われた王都リヴェスティール。歪んだ時空の壁をブラッドの力で通り抜けた先に広がる城下町は、外界の騒乱を一切遮断して耳を突くほどの静寂に包まれていた。

 薄暗い街並み。漂う瘴気の残滓はあれど、そこに魔物はおろか人の気配はまったくない。


 ブラッドの力で侵入した場所はアランの花屋に近い路地裏だ。最低限の警戒を纏った四人はフードを目深に被り、ユリシスを先頭にして花屋へと向かうものの、その僅かな距離ですら生き物の気配は何も感じられなかった。

 堪らず口を開こうとしたレフィスだったが、急に止まったユリシスの背中に額をぶつけてしまい、唇から言葉ではなく潰れた呻き声を零してしまう。何事かと顔を向けた先――見慣れた花屋の店先に不自然な格好のまま時を止めたアランの姿があった。


「え……何、これ。どうなってるの?」


 驚きに見開かれたレフィスの瞳にはバケツを抱えたアランと、彼を心配して手を伸ばしたクロエの姿がはっきりと映っている。けれど二人とも微動だにしないばかりか、アランの持つバケツから零れ落ちた水までもが空中で時を止めていた。

 アランの肩に置いたはずのユリシスの手はその体をすり抜け、揺れる水面に似た波紋がアランの姿を静かに震わせていく。


「……時が、歪んでいるのか?」


「原因は十中八九、あの竜巻でしょうね」


 見上げた空にうねる竜巻が間近に見える。けれどもリヴェスティールに侵入してからと言うもの、渦巻く風の轟音すら切り離されたように聞こえない。それが逆に不安を煽り、レフィスは唇を固く結んだまま固唾を呑んで竜巻を凝視していた。


「竜巻の元へ……城へ向かおう」





 空に真っ直ぐ伸びた巨大な竜巻の発生源は、どうやら城の中にあるようだった。とは言っても城はどこも崩れておらず、以前ユリシスを救出した際に崩壊した場所も綺麗に修復がされている。

 目を凝らすと、竜巻の突き出た屋根の部分が小刻みに揺れているのが見えた。それは時を止めたアランに触れたときと同じ振動で、竜巻の周辺も時空が歪んでいることを証明している。竜巻が無音なのも、それが原因なのだろう。


 城の中に入ると、それは顕著にあらわれた。

 壁や床は勿論、目に映る空間全てが歪んでいた。まるで水中に漂い揺らめく景色のように、派手ないびつさはないが神経を酔わせる不快感がある。ぐにゃりと曲がった床を踏み損ね、思わず手をついた壁に埋もれていく錯覚に、レフィスはもう何度もせり上がる嘔気を必死に我慢した。


「ここだ」


 先導したユリシスの眼前に、重厚な黒い扉が姿を現す。扉の周囲はさっきとは比べものにならないほど歪んでおり、扉以外はもはやそれが柱なのか絨毯なのか分からないほど捻れ絡み合っている。音は変わらず何も聞こえないが、肌をぴりぴりと刺激する空気の棘がこの先を目的の場所だと告げていた。


「行くぞ」


 確認を示して頷き合う。取っ手に触れて深呼吸ひとつ分の間を置いたユリシスが、竜巻の源へと続く黒い扉を一気に押し開いた。




 ――違う。こんなことを望んだのではない。私は……私はただもう一度妻に……。




 どこか遠くで、見知らぬ男の声が聞こえた気がした。

 はっと顔を上げたレフィスの視界が、一気に黒く塗り潰される。開かれた扉の向こうから溢れ出した瘴気はさながら濁流の如き激しさで、レフィスたちを後方へ弾き飛ばしたかと思うと今度はくんっと勢いよく扉の方へと引き戻した。


「きゃっ!」


 捕まるものを求めて伸ばした指先が、ユリシスの手にかすかに触れた。かと思うとあっという間に引き離され、レフィスの視界からも完全に姿を消してしまう。


「ユリシス! 皆……っ」


 叫ぶ声すら少しも響かずに沈んでいく。

 完全に防御を崩された体は為す術もなく、レフィスたちは瘴気の波に翻弄されながら暗い闇の海へと引きずり込まれていった。

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