第94話 赤い死神
「報告致します! 王都エルファセナの東地区に建物の崩壊を確認。その他の地区は老朽化した建物等は損壊したものの、被害は最小限に留めています」
長いテーブルの先端に議長を務めるルウェインの王レオン。彼の右側には獣王を継いだばかりのルクスディルと、エルフの女王リリアーナが座している。その向かい側には王の座を反乱によって奪われたルナティルスの王子ユリシスが、視線をテーブルに落としたまま騎士の報告に耳を傾けていた。
「ウルズでは北西、リアファルでは北の方角に最も被害が出ているとの事です。被害は同じく建物の崩壊や緩い地盤の陥没等に留まり、その他の場所は比較的被害は少ないとの報告がありました」
各国から受け取った内容を全て報告し、役目を終えた騎士が壁際に後退する。
「ウルズの北西と言ったらルナティルスの国境付近か。岩山に囲まれた、街も何もない場所だ」
「どの国もルナティルスの方角に被害が出ているようだな。最小限の被害で済んだのは不幸中の幸いだが、あれほどの大地震にしてはむしろ被害が少ないとは思わぬか? それにあの不吉な竜巻。ユリシス、そなたはどう思う?」
リリアーナに意見を求められ、ユリシスが静かに瞼を開いた。
「地震は竜巻の前兆だろう。本当の脅威はおそらく……」
「失礼します!」
ユリシスの言葉を遮って、荒々しく開かれた扉の向こうから一人の騎士が飛び込んできた。皆の視線を一斉に浴びて僅かに硬直した騎士の手には、一枚の魔法紙が握られている。
どの国にも属さないベルズが、緊急事態にのみ各国へ救援を要請する事ができる特殊な紙。薄い
「ルナティルスで発生した闇の竜巻から魔物の出現を多数確認。それらは全てベルズへ集結しているとの報告あり。冒険者ギルドから至急応援の要請が届いています」
張り詰めた空気を揺らして響く騎士の声は、不穏な影を纏う不協和音となってユリシスの心に焦燥の波紋を広げていった。
足下に転がる、固い鱗に覆われた蛇の胴体。その腰から上をバッサリと切り落とされた上半身は女性の裸体で、振り乱した髪から覗く爬虫類に似た漆黒の瞳は既に命の輝きを失い濁りきっていた。
短くなった煙草を地面に広がる魔物の血溜まりへ投げ捨てて、白衣の男――情報屋のアシュレイが持っていた大鎌の先端を魔物の後頭部へ深々と突き刺した。死んだと思われた魔物が「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げて、今度こそ絶命する。
「アシュレイ。すまん、助かった」
「地震に竜巻、魔物もセットで付いてこられちゃ、おちおち昼寝も出来やしない」
赤い眼鏡のブリッジを押し上げて、大鎌に頭を貫かれたままの魔物を一瞥する。口角を上げて薄く笑ってはいるものの、魔物を見下ろす眼光には一切の熱がない。
「ベルズのあちこちで魔物が暴れてるぞ。何があった?」
「俺にも分からん。魔物が出た事もこいつで知ったくらいだ」
魔物の死体は大鎌で切り離された箇所から黒く変色し、まるで燃えかすのようにほろほろと崩れていく。最後は風に攫われて、その一片も残さずに消えた魔物の痕跡は地面に残る血溜まりだけとなっていた。
「ちょっと待ってろ。――ラトゥーシャ」
アシュレイが名を呼ぶと、彼の左首筋にある手の形をした痣が赤黒い色に鈍く光った。
背後から首を絞めているようにも見える、不気味な痣。それは次第に輪郭をより鮮明にし、やがてしなやかな丸みを帯びて浮き上がった女の手がアシュレイの首に絡みついた。
空気をたっぷり含んで揺れる髪は迸る鮮血の色。
肉感的な体に沿う黒いドレス。その大きく開いた背中には漆黒に濡れた皮膜の羽が、頭には二本の山羊角が生えている。
アシュレイの背後に現れた女――ラトゥーシャは、金貨を溶かしたような瞳で周囲を一瞥するとすぐに興味をなくし、アシュレイの背中に絡みついたまま恍惚の表情を浮かべて目を閉じた。
「ラトゥーシャ。この街にいる魔物は何体だ? 分かればその元も探ってくれ」
『えぇー。久しぶりに喚んでくれたと思ったのに、そんな色気のない仕事やぁよ。それよりも、もっと楽しいことしましょうよ。ね?』
何だか見てはいけないものを見た気がして、レフィスが気まずそうに視線を足下へと落とした。
「俺も出来ればそうしたいんだがな。街が襲われ続けてたんじゃぁ、いつお前の相手が出来るか分からないぞ。もしかしたらそのまま死ぬかもな」
『他の
ラトゥーシャの赤い髪が、燃えさかる炎のように揺らめいた。
「だったらやるべき事は分かるな? こんなつまらない事は早々に終わらせて、お前との時間を楽しませてくれ」
『分かったわよ。その代わり栄養補給させて頂戴』
ぺろりと舌を出して唇を舐めたかと思うと、アシュレイの唇を強引に奪う。言葉通り精気を奪う口付けにがくんと膝を付いたアシュレイが、地面に立てた大鎌の柄を支えにしてゆっくりと体を起こした。
ふらつく視界。見上げた空に、漆黒の羽を広げて飛んでいくラトゥーシャの姿が見える。
「久しぶりだからって、
柔らかな余韻の残る唇が弧を描き、未だふらつく体に失笑する。その体を脇から支えたフレズヴェールが、何とも言えない表情を浮かべて自身の鼻の頭を軽く掻いた。
「まあ、何だ。……青少年もいるから程ほどにな」
「びっくりするくらい茹で蛸になってるしね」
フレズヴェールとライリの生温い視線を受けて、レフィスが更に頬を紅潮させる。そのうち湯気でも出てくるのではないかと思われた顔は、音もなく背後に降り立ったラトゥーシャの抱擁に今度はピキッと硬直した。
『なぁに。貴女から美味しそうな匂いがするんだけど、どうして? ねぇ、味見してもいい?』
背中から回された細腕は、見た目に反してがっちりとレフィスの体を拘束する。首筋に寄せられたラトゥーシャの頬がかすかに触れ、一層濃くなった彼女の放つ色香にレフィスの背筋がぞくりと震えた。
「ラトゥーシャ。俺以外を食うなら契約は解消だ」
『やぁねぇ。冗談よ』
おあずけを食らった形のラトゥーシャがレフィスからふいっと離れ、アシュレイの左腕に胸を押し当てて絡みつく。得体の知れない緊張感から解放され、レフィスはそのまま力が抜けたように地面に座り込んでしまった。
「それで?」
『街にいるのは二十体前後よ。でもどんどん召喚されてるわぁ』
「召喚? どこからだ」
ラトゥーシャの細い指が北の空を指差した。とぐろを巻いて空に伸びる巨大な竜巻。汚れた闇を垂れ流すその奥から、黒い点が線となってこちらへ向かってくる一筋の不気味な曲線が見える。
「おいおい……嘘だろ。あれ全部魔物の群れか? 何で
「魔物の考えることは分からねぇよ。それよりエルバムス、何かほら……緊急事態に使うやつがあったろ。魔物は俺たちが食い止めるから、その間に応援を要請しろ。ちょうど今、ルウェインの王都に集まってんだろ」
「魔法紙か……分かった。街は頼むぞ、アシュレイ。気をつけていけ!」
「こっちにゃ美人の死神が憑いてるんでね。簡単には死なないさ」
大鎌を軽々と片手で担ぎ上げ、アシュレイが煙草を咥えた口元に笑みを浮かべる。
「さて、ラトゥーシャ。もう一仕事だ」
『えぇー? まだ働くのー? 人使い荒いんだから。……でも、そこも好き』
足早に駆けていくアシュレイの後を、ラトゥーシャも背中の羽を広げて付いていく。後に残されたレフィスたちは、まるで台風が過ぎ去った後のような脱力感に襲われていた。
「何か……物凄い人だったね。アシュレイとラトゥーシャ」
立ち上がりかけた体をフレズヴェールに支えられ、レフィスが街の向こうに消えていく二人を見ながらぽつりと呟いた。
「あいつは昔『赤い死神』と恐れられた冒険者だからな。さて、俺らも動くぞ!」
再三の号令に、今度こそイーヴィとライリがアシュレイの後を追って街の魔物討伐へと駆け出していく。残されたレフィスはフレズヴェールと共にギルドへ戻り、負傷者の手当に取りかかっていった。
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