第92話 最後の同盟国
最初にここを訪れた時に比べると、随分と和らいだ空気が満ちていた。
赤い絨毯の敷かれた謁見の間。左右に並ぶ護衛のエルフたち。緑の蔓を編んで作られた玉座に座るリリアーナは、疲労の色濃い目元を隠すことなく、疲れた様子で背もたれに体をぐったりと預けていた。
「そなたらのおかげで冥花の呪いを退く事ができた。礼を言う」
「フェイデルたちは?」
訊ねたユリシスに肯定の意を示して頷くと、リリアーナが背もたれから上体を起こして座り直した。
「フェイデルをはじめ、病に罹っていた者たちは全て花を枯らした。そなたらが用意してくれたキュアノスの蜜によって、奪われた生命力も徐々に戻りつつあるようだ。フェイデルも意識は戻ったが、まだ起き上がれるほどには回復していない。……よければ最後に顔を見せてやってくれ」
「感謝する」
「それはこちらの台詞だ。呪いの元凶を取り除き、危険を冒してまでルナティルスへ渡りキュアノスを用意してくれた。本当にありがとう」
視線を感じてレフィスが顔を上げると、リリアーナの青い瞳と目が合った。向けられた微笑は母親を思わせる優しさで、そこには初めて会った時に感じた余所者に対する警戒心や不信感と言った類いの感情は微塵も感じられなかった。
「しかし焼きたてのパンを渡された時は、正直困惑したがな」
「あっ、あれはそのっ……すみません、でした」
「構わぬ。こちらも貴重な体験をさせてもらった。新鮮ではあったが、そなたも未来のルナティルスを担うのであればもう少し落ち着く術を身につけた方が良いとは思うぞ」
「肝に銘じます……」
消え入りそうな声で呟いたレフィスが顔を俯かせると、隣で笑いを堪えているライリが噴き出さないように視線を逸らすのが見えた。
「しかしそなたも難儀だな。癖の強い仲間ばかりで、纏めるのが大変そうだ。――だが」
言葉を切って、リリアーナがユリシスをじっと見据えた。柔らかさの中に垣間見える鋭い眼光に、ユリシスが自然と姿勢を正す。
「それらを纏めるのも、王の仕事だ」
ユリシスを見つめたまま、リリアーナが肘掛けに立てた左手を上に向けると、側に控えていたルディオが用意していた一枚の羊皮紙をそこに乗せた。羊皮紙を開いて中身にさっと目を通し、その文面が見えるようにユリシスの方へと翻す。
距離が遠すぎて文字は読めなかったが、その羊皮紙が何を意味するのかはユリシスにも十分に理解できた。
「ユリシス=ルーグヴィルド。そなたの造る新しいルナティルスに期待している。これはその証だ」
ルディオが運んできた羊皮紙を手に取ると、身が引き締まる思いがした。
重さなど感じない一枚の羊皮紙。けれどそこに託された信頼は手のひらを伝って、ユリシスの心に重く深く刻み込まれていった。
泉だった場所は大地の陥没によって水を枯らし、その周辺は広い範囲にわたって木々が薙ぎ倒され、レフィスたちの前に変わり果てた姿を晒していた。
昨夜の雨に濡れた木々が、涙を流しているようにも見える。
「レフィス」
ユリシスに呼ばれ、レフィスが手に持っていたキュアノスを手渡した。リアファルを出発する際にリリアーナに相談し、一輪だけ持ってくることを許されたものだ。
根元から掘り起こしたキュアノスをユリシスが丁寧に植えた場所には、クロエから預かってきたローズピンクの指輪が転がっている。その隣には形を失った死体の成れの果てが、小さな塵の山となってぼろぼろに崩れ落ちていた。
ユリシスが音のない呪文を呟きながら、拾い上げたローズピンクの指輪を右手にぎゅっと握りしめる。
音が途切れ、握った手を静かに開く。手のひらに乗った指輪にユリシスが息を吹きかけると、それは砂のようにさらさらと崩れ落ち、死体だったものの塵と混ざり合って緩やかな風に攫われて空へと舞い上がっていった。
ユリシスの隣にしゃがみ込んだレフィスが、鞄から袋に包んでいたパンをひとつ取り出すと、それをキュアノスの側に置いて静かに目を閉じた。
「今度こそ、ゆっくり眠れるといいね」
「……そうだな」
見上げた空に、鳥が舞う。
雲間から顔を覗かせた太陽の光に照らされて、瑠璃色の癒やしの花が零れ落ちたひとしずくの雨粒を涙のように煌めかせていた。
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