第12章 キュアノス
第87話 再訪
ルナティルスの王都リヴェスティール。
街の中央に建てられた時計台がちょうど正午の鐘を鳴らし終えると同時に、街の外れにある静謐な墓地を囲む灰色の壁の一角が辺りの空気を巻き込んでゆるりと歪曲した。
壁に刻まれた細い線が扉の形を描き、淡く光ったかと思うと「かちゃり」と鍵の開く音がする。
奥から素早く姿を現したのは、全身を黒い衣装に包む長身の男だ。ひとつに束ねられた黒髪は絹糸のように滑らかで、振り返る男の動作に合わせて背中でさらりと揺れている。アッシュグレイの瞳が壁に出来た扉を見つめると、その奥から焦茶色のマントを羽織ったレフィスとイーヴィが恐る恐る顔を覗かせた。
「今のうちに早くこちらへ」
急かされて扉をくぐり抜けると、その背後で役目を終えた扉が再び壁に同化するようにして消えていく。
「前に来たときと違う場所だわ」
幾つもの墓標が並ぶ静かな墓地には、レフィスたち以外誰もいない。けれども荒廃している様子はなく、灰色の空間を彩るように幾つかの墓標の前には花が添えられていた。
「ねぇ、ルヴァルド。ここからアランの花屋へはどれくらいかかるの?」
レフィスに問われ、先を歩く黒髪の男――ルヴァルドが一旦足を止めて背後を振り返った。
「人目につかぬよう、少し回り道をします。他者に認識されにくい魔法を掛けてはいますが、念のため顔を隠しておきましょう」
そう言ってフードを目深に被ったルヴァルドに倣って、レフィスとイーヴィも焦茶色のフードで顔を隠す。
人気のない墓地の真ん中でフードを目深に被った三人の姿はそれだけで異様な雰囲気に包まれてはいたが、ルヴァルドの言葉通りならそんなレフィスたちの姿も今は人目につきにくいはずだ。大声を上げたり、特に目立つような行動をしなければ、何事もなくアランの元へ辿り着けるだろう。
「では、私の後をついてきて下さい」
音もなく、空気が流れるようにルヴァルドが歩き出す。その後ろを少し早足でついていくレフィスの手には、リアファルから持ってきたキュアノスがしっかりと握られていた。
泉の側の倒木に背を預け、ユリシスとライリは並んで腰を下ろしていた。
リリアーナへの報告も兼ねて、ルディオは一旦レフィスたちを連れてリアファルへと戻っている。準備が整い次第、それと分かる合図があるはずだ。今はその合図を待って、二人は言葉少なに泉を見つめたまま英気を養っていた。
「随分思い切った決断をしたね」
小石のひとつを手に取ったライリが、それを何気なしに泉へと放り投げると、振動した空気と音に驚いた蝶が花から一斉に飛び去っていく。
「……そうだな」
静かに返して、自嘲気味に笑う。水面の波紋から視線を移し、隣に座るライリへ向けられた紫紺の瞳。その奥に巧みに隠された焦燥にも似た不安が、冷静な色を纏う紫紺の影から顔を覗かせていた。
「案内にルヴァルドを付けた。それにブラッドもいる」
まるで自身に言い聞かせるように、ユリシスが言葉の一つ一つを丁寧に紡いでいく。
「アランが花を作るのに時間はさほどかからない。一時間もあれば帰って来るだろう」
「それまで僕たちの体力と魔力が持てばの話だけどね。あっちに戦力偏りすぎなんじゃないの?」
「そうか?」
視線を感じてライリが顔を向けると、意味深な笑みを浮かべたユリシスと目が合った。
「ここは俺とお前で十分だ。お前の魔力は俺でも恐ろしいほど強いからな」
「褒めても何も出ないからね」
「残念。いずれルナティルスの筆頭宮廷魔道士の任に就いて貰おうかと思ってたんだがな」
「何それ、要らないよ!」
ライリの声に合わせたように、樹海の奥――リアファルの方角から光の漣が弱風に乗って流れてきた。緩やかに髪を揺らしていく風に魔法の匂いを感じ取って、ユリシスが表情を引き締めて立ち上がる。
紫紺と瑠璃色。重なり合った互いの瞳に意志を乗せ、ほとんど同時にユリシスとライリが頷き合った。
「行くぞ」
時計台が正午の鐘を鳴らしてから暫くすると、店舗の奥からパンの焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。昨日クルムの実を買っていた同居人の姿を思い出すと、自然とアランの腹が鳴った。
店先に並べた花のうち本数の少なくなっているバケツを手に取ると、アランは匂いに誘われるように店の奥へと歩き出した。その足が、数歩進んだところでぴたりと止まる。
僅かな緊張に空気が張り詰めるのを敏感に感じ取りながら、アランがゆっくりと背後を振り返った。
店先に、三人の男女が立っていた。
そのうちの一人、小柄な少女が手に持つ花にアランの目が釘付けになる。
「……キュアノス」
言葉を合図にしてフードを外した来客は、懐かしい顔をアランに向けて小さくお辞儀をした。
「クロエ、悪いけどお茶を用意してくれないか?」
キッチンで昼食の準備をしていたクロエが顔を上げると、アランに連れられて見知った黒髪の青年が居間へ入ってくるのが見えた。その後ろからひょこりと顔を出した二人の女性にクロエの動きが完全に止まる。
「ルヴァルド。……それにあなたたちは」
「こんにちは。えっと……その節はお世話になりました」
クロエを見て、レフィスがぺこりと頭を下げる。釣られて軽く頷くように頭を下げたクロエだったが、未だ彼女たちの訪問理由を見つけられずに困惑した表情をアランへと向けた。
「うん、僕も驚いた」
そう言って薄く笑いながら、アランはレフィスたちをソファへと促し、自分もその向かい側へと腰を沈めた。
「君たちの無事を確認できて嬉しいけど、正直危険を冒してまで再びルナティルスへ来るなんて思ってもみなかったよ」
探るような眼差しが、レフィスの手に握られたキュアノスで止まる。事情までは分からないが、彼らの目的を推測してアランがほんの一瞬目を閉じた。
焼きたてのパンの香りに混ざって、甘さと爽やかさを併せ持つキュアノスの花の香りが嗅覚を刺激した。
「話してくれないか? 僕で力になれることがあれば協力しよう」
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