第86話 危険な賭け
「あれが冥花の原因だって事は分かるけどさ、そもそも何でブラッドがそんな事細かにあの石のことを知ってるのさ」
ライリの言葉に同意してブラッドを見やったユリシスの瞳には、疑念よりも困惑の色が強く滲み出ている。
ブラッドの発言を疑うわけではないが、水底の死体と白い花の映像だけではブラッドの言うような情報は得られなかった。あの宝石と死体がルナティルスの遺物であるというのなら、ユリシスはルナティルスの王子としてその脅威を取り除かねばならない。その為にはあの遺物が何であるのかを、詳しく知る必要があるのだ。
「死体に残った思念を見た。お前たちには見えなかったのか?」
「思念を見るって……どんだけ有能なのさ。当たり前のように言わないでくれる?」
「そうか。お前たちには見えないのか。……難儀だな」
からかうつもりのないブラッドの素直な言葉はライリの気分を逆撫でしたようで、美しい顔に不似合いなほど深い皺を眉間に寄せたライリの体からどす黒いオーラが滲み出した。
攻撃するつもりはないが不機嫌さを隠す様子もなく、体に不穏な気配を纏わり付かせたままブラッドを睨み付けるライリの横では、気に当てられたルディオが生唾を飲み込んで少しだけライリから距離を取る。
「その思念を辿って、お前は何を見た?」
「――あれは反乱後のルナティルスで、リーオンが作り出したものだ」
その名前にレフィスの体が反応するより早く、ユリシスの手に力が篭もる。
「ルナティルスの民から魔力を吸い取る核として作り上げたが、力が強すぎて核を埋め込んだ者の命をも吸い取ってしまったようだ。死体は破棄されたが埋め込まれた核は活動を続け、生命力を求めてメルストゥリア樹海へ引き寄せられた」
「魔力を吸い取るって……もしかして、あの黒い石?」
レフィスの脳裏に、ルナティルスで出会った花屋のアランとクロエの姿が浮かび上がる。彼らの腕に埋め込まれた人為的な黒い小さな石。ルナティルスの民に埋め込まれたその石は、彼らの魔力を吸い取るものだと言ってはいなかったか。
隣を見上げると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたユリシスがいた。
「こんな所にまで、あいつの魔手が及んでいたとはな……」
苦しげに呟いたかと思うと、ユリシスがルディオを振り返って頭を垂れた。
「ルディオ、すまない。冥花の呪いはルナティルスが原因だ。謝罪して済むようなことではないが、処罰が必要ならば俺はそれに従おう。ただルナティルスをリーオンの支配下から取り戻すまで、待っては貰えないだろうか」
「えっ? どうして! ユリシスは悪いことしてないじゃない。両親も殺されて国を追われて……辛い目に遭ったのはユリシスもじゃない。悪いのは全部リーオンで……」
「レフィス」
庇うように二人の間に立ったレフィスの肩に手を置いて、ユリシスがやんわりと首を横に振った。
「反乱を止められなかったのは王族の責任だ」
「でもユリシスはまだ子供で……」
「ちょっと待ってくれ。俺にそんな権限はないし、今は処罰云々よりも冥花の原因を取り除きたいんだが」
二人の会話を中断したのはルディオ本人で、頭の後ろを掻きながら困ったように眉を下げていた。その隣では成り行きを見守っていたライリとイーヴィが、ルディオに同意するように呆れた表情を浮かべて肩を竦めてみせる。
「とりあえず目先の問題を解決しましょうか」
イーヴィの落ち着いた声は、それだけで場の空気を自然と宥めてくれる。興奮していたレフィスも深呼吸して気持ちを落ち着かせ、ユリシスも無言のまま主導権をイーヴィへと渡して一息つく。
仲間を見回した瞳をブラッドで止めて、イーヴィが確認するようにゆっくりと話し始めた。
「冥花の呪いの原因は、この泉の底にあるルナティルスの遺物である赤い宝石ね。生命力を求めて樹海へ来た石は、死体と樹木を同化させて樹海から生命力を奪っていた。石の魔力が枯渇する時期に花を咲かせて種をばらまき、その種を取り込んだものが生命力を奪われる」
「そうだ」
「だとしたらフェイデルたちエルフが発症したのは、単に運が悪かったと言う事なのね。得にフェイデルは発生源であるこの泉の水を飲んだ為に大量の種を取り込み、幾つもの花を咲かせてしまった」
「それだったら、さっき僕が言った疑問の答えはどうなるのさ?」
我慢できずに口を挟んだライリの疑問はもっともで、その場にいたブラッド以外全員が答えを求めるように一点に視線を集中させた。五人分の視線を受けてもなお僅かな表情の変化すら見せず、ブラッドはただ空気のように静かにそこに佇んでいる。一呼吸分の間を置いて、抑揚のない声が薄い唇から零れ落ちた。
「石が溜め込める生命力には限りがある。ちょうどフェイデルとやらの命で蓄えが足りるのだろう」
「完全に運任せだったってこと? 何だよ、それ」
さすがのライリも声を落とし、やりきれない思いを堪えるように顔を伏せた。
束の間漂う静寂を、泉から湧き上がる水の音が静かに揺らしていく。その音を合図にして、それまで口元に手を当てて何やら思案していたユリシスが淀みのない声ではっきりとブラッドの名を呼んだ。
「ブラッド。石を破壊すれば、いま病に罹っている者たちはこれ以上生命力を奪われることはないのか?」
「その逆だ。破壊された石は元に戻ろうと、より多くの力を求める。真っ先に奪われるのは、いま花に寄生されている者たちだ」
「そうか。……ならばそれより早く、石に力を注ぎ込めばどうなる?」
ユリシスの思惑を悟り、ブラッドが僅かに目を見開いた。
「元はルナティルスの遺物だ。お前の魔力は相性がいいだろう。目の前に欲する命があれば、石も無駄にエルフを襲うまい」
「ちょっと何勝手に話進めてんのさ。贖罪のつもり? ふざけるのも大概にしなよ」
明らかに怒気の混じったライリの声音に、告げられた本人よりもレフィスの方がどきりとして身を竦めた。そんなライリの様子に怯む気配もなく、ユリシスは逆にふっと意味深な笑みを浮かべてライリを見やる。真っ直ぐに向けられた紫紺の瞳に、困惑顔のライリが映る。
「勿論お前も一緒だ、ライリ。お前もルナティルスの血を引いているからな」
「はぁ? ……ここでそんなこと言われても、嬉しくも何ともないんだけど」
そう言いつつも体から怒気が薄れていくのを感じて、ライリが気まずそうにユリシスからふいっと顔を背けた。その瑠璃色の瞳に、不安げな表情を浮かべたレフィスが映る。かすかに震える唇が音を発するよりも早くユリシスの言葉が耳に届き、やるせない思いを感じたライリは視界からレフィスを遮るようにそっと瞼を閉じた。
「そういうことだ。石を破壊した後、俺とライリでありったけの魔力を石に注ぎ込む」
「石が壊れるか、あなたたちが倒れるか……根比べってこと? あなたにしては無謀すぎる賭けをするのね」
柔らかな声音に混じる非難の色に、イーヴィを見つめたユリシスが薄く目を細めて苦笑する。
「フェイデルにはもう時間が残されていない。大丈夫だ。こっちにはライリもいる」
「まぁ、私はそれほど心配はしてないんだけれど……」
イーヴィが視線を流した先に、ひとり佇むレフィスがいた。下唇をぎゅっと噛み締めて、睨むように鋭い眼差しでユリシスをじっと見据えている。
いつになく強い光を湛えた若草色の瞳はユリシスを咎めるようでもあり、自身の強固な意志を物語るようでもある。その瞳に宿る真意を測りかねて、ユリシスがレフィスの顔を覗き込むように首を傾げた。
「ユリシスの言う事は分かるつもりよ。フェイデルたちを助けるにはこうするしかないって」
「レフィス」
「心配だけど、ユリシスとライリなら大丈夫だって信じる事もできるわ。でも……失った生命力は元に戻らないんでしょう? 時間がないのは分かるけど、生命力を戻せる方法が分からないとフェイデルは目覚めないし、もしかしたらユリシスだって昏睡状態になるかもしれないのよ。そんなの……っ」
名を呼んで、ユリシスがレフィスの肩を強く掴んだ。けれどレフィスを安心させる言葉を持たないユリシスは、かすかに震えている小さな体をただ強く抱きしめてやることくらいしか出来ない。
不安を曖昧に隠すユリシスの腕の強さに、泣くまいと我慢していたレフィスの瞼がじわりと熱を持つ。
本当はレフィスも分かっているのだ。
エルフの命を奪ってきた冥花の呪い。その原因がルナティルスの遺物であるなら、国を追われたとは言え王子であるユリシスが取り除くべきなのだと。何よりユリシス本人がそうしたいのだろうと言う事は、レフィスにも十分に理解できるのだ。
けれども万が一ユリシスが昏睡状態に陥ってしまえば、残されたレフィスには彼を救う手立てがなにもない。せめて失われた生命力を戻せる方法があれば、素直にユリシスの背中を押すことが出来るのにと――そう思考が行き詰まった瞬間、レフィスの脳裏に瑠璃色の花が浮かび上がった。
弾かれたように顔を上げた先で、レフィスの思考を読み取ったかのようにユリシスがゆっくりと頷いた。
「キュアノス……」
躊躇いがちに零れ落ちたレフィスの言葉を拾って、ユリシスが紫紺の瞳を細めてひどく切ない微笑を浮かべた。
「気付いたか。お前を頼らずに済めばと考えてはいたんだがな」
そう呟いて抱きしめていた腕を解くと、瞬時に王子の仮面を纏ったユリシスが儚い微笑をその裏に覆い隠した。
向けられる紫紺の瞳に、僅かに残る憂いの色。それすら瞬きで押し隠し、再び開かれた瞳には個人の感情を一切感じさせない冷静な光が宿っていた。
「レフィスとイーヴィは、キュアノスを持ってルナティルスへ向かってくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます