第84話 発症

「お前たち、フェイデルに何をした!」


 早朝の爽やかな空気を震わせて、部屋の扉が荒々しく開かれた。かと思うと、女王リリアーナが鬼の形相で部屋の中へと飛び込んできた。

 何事かと驚いて固まったレフィスたちには目もくれず、ソファに座っていたライリの胸倉を掴んだところで、背後に控えていたルディオが慌ててリリアーナの暴挙を止めに入った。


「リリアーナ様。落ち着いて下さい!」


「放せ、ルディオ。冥花の原因は此奴らだ。忌み子を迫害してきた我らエルフに対する復讐が目的か?」


 ライリの胸倉を掴む手が、怒りにわなわなと震えている。昨日見た氷のように冷たい凜とした佇まいはどこにもなく、ただ怒りの感情にまかせて怒鳴り散らすリリアーナに、レフィスは彼女が同じ人物なのかどうかを一瞬本気で疑うほどだった。


「フェイデルにかけた呪いを今すぐ解くというのなら厳罰には処さぬ。だがそうでない場合は……」


 言葉にせずとも分かるだろうと、リリアーナが全身に纏う怒りを更に膨張させた。気に当てられた長い髪が生き物のようにうねり、部屋中の空気が一気にぴんっと張り詰める。僅かな揺らぎも許されない緊迫した空間の中、胸倉を掴まれたままのライリだけが普段通り面倒くさそうに目を細めて――薄く笑った。


「何がおかしい?」


「いや……女王自ら、僕を迫害していたって認めるんだなぁと思ってさ。何だかんだ言っても、結局は他者を認めない。自分たちエルフが一番賢く、他は愚かな種族だって蔑んでるよね。国のトップがそうなんだから、エルフ全体が似たような考えになるのは仕方ない事だと思うよ。……哀れだとも思うけど」


「ライリ!」


 制止するユリシスの声に視線を向けたライリが、緩く首を左右に振る。薄い笑みの張り付いた顔には、微かに諦めに似た色が滲み出ていた。


「ここで大人しくしていても結果は同じだ。僕は……僕たちは呪いなんてものは一切知らない。でも彼らにはもう忌み子という烙印だけで僕らを犯人だと決めつけて考えることを放棄してる」


 胸倉を掴んでいるリリアーナの手に自身の手を重ねて、ライリが挑むような鋭い眼差しでリアファルの女王を見上げた。


「かけてもいない呪いを解くことは出来ない。それを理由に処罰されるんなら、今ここで暴言吐いても同じ事だ。どうせ処罰されるんなら思ってること全部ぶちまけた方がすっきりするしね。僕一人を処罰して気が済むんなら、そうしたらいいよ。……呪いは続くだろうけどね」


「リリアーナ様、これはもう不敬罪です! 処罰のご命令を!」


 リリアーナの暴挙を止めに入っていたルディオが、ライリのあまりの暴言に立場を変えてベルトに差したレイピアの柄に手をかけた。ライリを睨み付けたままルディオが鞘からレイピアを抜き、怯えるレフィスの横でユリシスとイーヴィがいつでも動けるように静かに身構える。

 先程と同じ、僅かな音さえ場を動かす合図となり得る張り詰めた空気の中、それを緩やかに動かしたのはライリから手を放したリリアーナ本人だった。


「……ルディオ、下がれ」


「リリアーナ様!」


「よい。私も少々頭に血が上りすぎていた。忌み子という理由だけで犯人だと決めつけたことについては詫びよう。すまなかった」


 謝罪の言葉を口にして、リリアーナがライリの向かい側のソファへと腰を落とした。肘掛けに立てた右手で眉間を強く押さえたまま瞼を閉じ、一度深く息を吐いてから再度ライリを真正面から見つめ返す。探るような青い瞳が重なり合った。


「しかしお前への容疑が晴れたわけではない。冥花について知っていることがあれば、全て話して貰おう」


「体に花が咲く奇病のことを、冥花の呪いって言ってる事くらいしか知らないよ」


 謁見の際にリリアーナ本人が口にした情報しか知り得ないと、ライリが悪びれる様子もなくさらりと答えた。その態度に、リリアーナの眉間の皺が更に深く刻まれる。

 再び漂い始めた不穏な空気にどちらも強硬な態度を崩さない中、ユリシスがソファの背もたれに掛けてあった深緑のマントを掴むなり、それを勢いよくライリの頭上に覆い被せた。


「ぶっ! 何これっ、何すんのさ!」


「落ち着け、ライリ」


 低い声で制止し、ユリシスがマントの上からライリの頭を強く抑え込む。


「言いたいことは山ほどあるだろうが、女王はお前に謝罪した。……お前はそれを受け取るべきだ」


 非難ではなくただ静かに諭され、マントの下でライリがはっとしたように身を固くした。

 視界を遮られ、嫌悪の対象を目にしない代わりに、ユリシスの言葉がひどく素直にライリの中に染みこんでいく。マントを剥がそうともがいていた手を下ろして深呼吸すると、さっきまで止めどなく溢れ出していた敵意が静かに薄れていくのを感じた。


 頭に置かれたユリシスの手の重みに心地よさを感じる一歩手前で、それは軽くライリの頭をぽんっと叩いて離れていった。


「今は現状を把握したい。ライリに対する固定観念抜きで、説明して貰えないだろうか」


 声は静かに、けれど言葉に含まれる意味は重く。多くを語らずただ真っ直ぐ貫くような紫紺の瞳に見つめられ、リリアーナが無意識に姿勢を正して座り直した。


「冥花の呪いは数年前にもリアファルに蔓延した奇病だ。原因は未だに分からぬ。ある日何の前触れもなく発症し、そして数人の犠牲を出して終息する。体に種が根付くと発熱、昏睡、やがては衰弱して死に至る。……数年前に義父と夫も病で死んだ。それが今度はフェイデルまで……」


 語尾を震わせて言葉を切ったリリアーナに変わって、側に控えていたルディオが素早く後を繋いで説明を続けた。


「フェイデル様が発症したのは明け方近くだ。今までの発症者には一人にひとつだった蕾が、フェイデル様には三つも芽吹いている。そのせいかどうかは分からないが、病に気付いて一時間足らずでフェイデル様は昏睡状態に陥ってしまった」


「そんな……」


 昨日温室で一緒にお茶を飲んだフェイデルの笑顔を思い出して、レフィスが悲痛な面持ちで唇を噛み締めた。

 元気だったフェイデルを一夜にして昏睡状態に陥らせる冥花の呪い。その名の通り冥府へ誘う弔花の漣が押し寄せてくるようで、レフィスは言い知れぬ恐怖を感じて無意識にユリシスの服の裾をぎゅっと掴んだ。


「俺たちが昨日森でフェイデルを見つけた時、彼は既に泉の側で倒れていた。その後弾みで泉に転落したが、ここにいるレフィスも一緒に落ちている。泉が原因ならレフィスにも花が咲いているはずだ」


 ユリシスの説明でいつの間にか話の的にされ、皆の視線を一斉に浴びたレフィスが慌てたように両手を横に振ってそれを否定した。


「冥花の呪いと言う病は、正直俺たちも聞いたことがない。リアファルにしか蔓延しないと言うのであれば、原因はこの土地……メルストゥリア樹海にあるんじゃないのか?」


「その可能性が高いことはとっくに理解している。ただいくら森を捜索しても、それらしいものは見当たらないのだ」


 再度肘掛けに右腕を立てて、リリアーナがその手のひらで自身の両目を覆った。まるで弱音を吐く姿を見られまいとするように、顎を引いて僅かに顔を俯かせる。


「罹患した者は、ただ死を待つのみだ。名前の通り、これが何者かによる呪いではないかと思うこともある。……忌み子を迫害した我らに対する、呪いだとな」


 微かに震える唇から、細く長い溜息が零れ落ちた。


「理解してくれとは言わぬ。ただ……我らは、恐れてしまった」


 顔を覆う掌を外して、リリアーナがユリシスたちを……目の前に座るライリを、真っ直ぐに見つめ返した。

 本来の美しい澄んだ瞳に戻った凜とした気高さ。その奥に揺らめく悲しみの色は、瞳の青を切なく揺らめかせて女王の影に隠されていった。





「一つ提案があるんだが」


 打開策もないまま諦めに似た沈黙が漂う中、ユリシスが静かに口を開いた。


「冥花の呪いについて、俺たちもメルストゥリア樹海を調べても構わないだろうか」


「お前たちが?」


「正直時間もあまりない現状では解決策が見つかる可能性は低いだろう。フェイデルとは昨日会ったばかりだが、このまま何もせずにリアファルを後にすることは、……俺には出来ない」


 言葉の最後を、仲間たちへ確認するように告げると、隣のレフィスが勿論だと言わんばかりに大きく頷いた。ソファに座ったライリからは隠すつもりもない盛大な溜息が聞こえ、窓際に立っていたイーヴィは肩を竦めて呆れたように笑う。


「なぜそこまでする? これはリアファルの問題だ。ましてやお前たちにとっては、我らもリアファルも憎いのではないのか?」


「フェイデルと、茶会の約束をした。種族の垣根のない茶会を、俺もフェイデルと同様に楽しみにしているんだ」


 昨日クッキーで乾杯したフェイデルのきらきらした笑顔を思い出して、ユリシスがふっと口元を緩めて静かに微笑んだ。

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