第83話 温室でのお茶会

 昼の間に光を蓄えた水晶のかけらが、闇に飛び交う蝶のように揺れていた。

 リアファルを照らす光はそれだけではなく、手のひらに乗るくらいの光球が空気中をふわりふわりと漂っている。触れても消えはしないが、それはやがて小さくなると共に光を徐々に失い、最後には役目を終えてふつりと消滅してしまう。


 淡く幻想的な光に包まれたリアファルは想像以上に美しく、レフィスは光球を生み出している大樹を見上げて溜息をつきながら陶酔していた。

 フェイデルの説明では、昼に浴びた太陽光を夜に花びらとして散らすのだという。大樹の中には沢山の光が蓄えられており、天気の悪い日が続いてもフェイデルが知る限り大樹から花びらが降らない日はなかったという。


 そのフェイデルは吊り橋を跳ねるように降りていき、ちょうど大樹の裏側に作られた小さな温室の前でレフィスたちを振り返った。


「僕の秘密の場所へようこそ!」


 少し得意げに言って、フェイデルがレフィスとユリシスを温室の中へと招き入れた。





 鼻腔をくすぐる甘い花の香りに満たされていた。

 天井から吊された籠に、垂れ下がるようにして咲く蜂蜜色の小さな花。入り口付近のプランターには、同じ形状の花が違う色で咲いている。そこまで広くない温室の中に、沢山の種類の花が競うように咲き誇っていた。


 その奥、色鮮やかな花々の喧噪に加わることなく、ひっそりと咲いている一輪の花があった。

 すらりと真っ直ぐに伸びた茎の先に、数枚の大きな花びらをくるりと巻いたような独特の形状をした瑠璃色の花。星々に照らされた夜空のような色を纏い、凜とした佇まいで咲くその花をレフィスはどこかで見たことがあった。そう思った瞬間、記憶の扉がかちゃりと開く。


「キュアノス!」


「あれ? お姉ちゃん、この花知ってるの?」


「あぁ……うん。ちょっと前にね、本でちらっと見たの」


 慌てて言い繕ったレフィスがちらりと隣へ目をやれば、案の定呆れた表情で肩を竦めるユリシスと目が合った。


 キュアノスはエルフの国リアファルでしか咲かない。植物図鑑に載ってはいるものの実物が市場に全く出回らない為、その花の存在を知っている者はあまり多くはいない。

 レフィスはその花を、ルナティルスの花屋で見た事があった。

 店主のアランは見たことのある花なら何でも魔法で作り上げる事ができる。けれどもやはり本物には敵わず、花の香りまでは再現出来なかった事を思い出して、レフィスがキュアノスへと興味津々に顔を近づけた。

 気品溢れる瑠璃色の花からは、甘いだけではなく少し鼻を突くような清涼感のある香りがした。


「キュアノスはエルフの国でも見つけるのが難しいんだ」


 レフィスの隣に屈み込んで、フェイデルがその瑠璃色の花をそっと引き寄せる。筒状になった花の中が見えるように、少しだけレフィスの方へ花を傾かせた。


「満開になるとね、花びらの中に蜜が溜まるんだ。見える?」


 問われて覗き込むと、瑠璃色の花びらの中に琥珀色の蜜がほんの少し溜まっているのが見えた。


「この蜜はどんな病気でも治してくれるって言われてるんだけど、でもそれにはグラス一杯分の量が必要なんだって。今のリアファルにそれだけの量が採れるキュアノスは咲いていないから……だからね、僕がここで育ててるんだ!」


「もしかして今日はキュアノスを探しに行っていたのか?」


「うん。途中から良く覚えてないけど……。お礼のつもりで家に呼んだけど、あの……ごめんなさい」


 上着の裾をぎゅっと握りしめて、フェイデルがユリシスに頭を下げた。

 フェイデルの年齢ならば、ライリの事情を詳しく知ることはないのだろう。深閑の森での事件。魔族との間に生まれた忌み子。エルフにとっては出来れば封じ込めたい過去の話を、敢えて子供達に教え聞かせることはない。


 ライリから感じる黒い魔力に気付かないはずはなかったが、フェイデルにとってレフィス達は恩人だ。その恩人に対して母親であるリリアーナが言い放った言葉に、多少なりとも王子として罪悪感を抱いたのだろうと推察し、ユリシスが紫紺の瞳を細めて微かに笑った。


「大丈夫だ。リアファルの女王に謁見できただけでも、俺たちにとっては大きな成果だ。ありがとう、フェイデル」


 子供相手に言い方は硬かったがユリシスの思いは十分に伝わったようで、フェイデルは安心したように子供らしいあどけない笑みを浮かべて頷いた。





「お兄ちゃんはルナティルスの王子なの?」


 温室内の小さなテーブルを囲んで座るレフィス達の前には、柑橘系の香りがする薄黄色のハーブティが置かれていた。ハーブティを用意したのはリアファルの入り口で会ったルディオという青年で、彼はテーブルから少し離れた場所に立ったままこちらをじっと見つめている。

 フェイデルの護衛として付いてきた彼の立場も分かるのだが、こうも敵意を剥き出しにされてはせっかくのお茶も楽しめない。ずっと背中に感じる刺すような視線に何度目かの溜息をついて、レフィスは込み上げてきたやりきれない思いを爽やかなハーブティで胸の奥に押し流した。


「まぁ、そうだな。今はしがない冒険者の一人だが」


「でも、国を取り返そうとしてるんでしょ? 」


 子供といえど、フェイデルは王子だ。いずれこのリアファルを背負って立つ者として、多くのことを学んでいる。リリアーナとの短い謁見だけでユリシスの目的、ひいては今世界で何が起こり始めているのかを敏感に悟ったフェイデルに、ユリシスは一瞬目を見開いて息を呑んだ。


「今のルナティルスはとても怖い国で、関わり合いにならない方がいいって授業で習った。ルナティルスも、人間も争いを好む醜い種族だって」


「確かに、それを完全に否定するのは難しい。人の数だけ譲れない思いも存在するし、そこに別の思いが重なって衝突することだってある。大抵は折り合いを付けて決着するが、そうでない場合に争いが起こる。それは種族に限らず、皆そうだ」


「うーん……」


 いまいち理解できずに難しい顔をしたフェイデルの前に、レフィスがハーブティと一緒に用意された焼き菓子の皿を差し出した。


「これ、ルディオが用意してくれたクッキーよね。お茶と一緒にこうしてお菓子も用意してくれたけど、今日のフェイデルは本当はケーキの気分だったとするでしょ? でも目の前にクッキー出されたら、わがまま言わずに食べると思うの」


「うん。食べる」


「それじゃあ、もしフェイデルが物凄くわがままでどうしようもないくらい自己中心的な性格だったら? ケーキ食べたいって言ったのにクッキーが出てきたらどうする?」


「……怒る、かも」


「そういうことだと思うの。捉え方も個人の性格とか過去の出来事なんかで変わってくるんじゃないかしら? クッキー見て、これがケーキだって言う人もいるかも知れないし」


 言いたいことは全部言ってすっきりしたのか、レフィスが皿から一枚クッキーを摘まんで幸せそうに頬張った。


「おいひぃ」


「菓子に例えるとは、お前らしいと言うか……」


「これ。何か花びら入ってるやつ、凄く美味しい! 食べてみて!」


「分かった。……分かったから急かすな!」


 ピンク色の細い花びらを練り込んだクッキーをぐいぐい近づけてくるレフィスの手を掴んで、ユリシスが眉間に深い皺を寄せたまま呆れたようにレフィスを睨み付けた。そんな二人の様子に、フェイデルが堪えきれずに声を漏らして笑った。


「僕、お兄ちゃんたちのこと嫌いじゃないよ。……ルナティルスは正直まだよく分からなくて怖いけど、お兄ちゃんは怖くない」


「……フェイデル」


「いつか全部の種族の人が同じ気持ちで、こうやってお菓子食べたり出来たらいいなって思う」


「そうだな。……そう出来るように、俺も頑張るつもりだ」


 クッキーを手に取ったユリシスに視線で促され、フェイデルも皿から一枚クッキーを摘まみ上げた。そしてどちらからともなく、まるで乾杯でもするかのようにクッキーを重ね合う。


「あ、ずるい! 私も!」


 すかさず輪の中に入り込もうとしたレフィスが、思い出したように後ろを振り返った。満面の笑みで手招きされ、意図の分からないルディオが目をしばたたかせて硬直する。


「せっかくだから、ルディオも一緒に乾杯しよう! ほら!」


 ルディオの分までクッキーを差し出され、なおかつ純粋に真っ直ぐこちらを見つめてくるフェイデルに根負けし、ルディオが渋々レフィスからクッキーを受け取った。


「じゃぁ、もう一回ね! いつか『皆』でお茶会出来ますように。かんぱーい!」


 重なり合った四枚のクッキー。

 それは人間、エルフ、獣人、神魔の四種族を表しているようで、レフィスは胸の奥に柔らかであたたかい光が灯ったような気がした。

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