第82話 女王リリアーナ

 エルフの国リアファルはメルストゥリア樹海の奥、ラプタと言う細長い樹木に囲まれてひっそりと存在していた。

 天を突くほど真っ直ぐに伸びたラプタの樹木の幾つかには縄梯子がかけられており、その先に設置された物見櫓から周囲を窺っていたエルフの一人がこちらへ近付くレフィスたちの姿を捉えて指笛を吹いた。


「止まれ」


 頭上から声がしたかと思うと、レフィスたちの前に一人のエルフが軽やかに降り立った。性別に迷うほど中性的な顔立ちだったが、発せられた声音が彼を男性だと確定する。

 美しい顔の眉間に僅かな皺を寄せたまま、隠すつもりもない警戒心をあらわにした青い瞳がレフィスたちを観察するように順に見る。その視線がレフィスの横に立つフェイデルに移るや否や、エルフが驚愕したように瞳を大きく見開いた。


「フェイデル様!」


「あ、ただいま。ルディオ」


 にこりと笑うフェイデルの様子に、ルディオと呼ばれたエルフが険しい表情に微かな困惑の色を滲ませる。


「彼らは一体何者ですか? なぜ一緒に……」


「泉に落ちた僕を助けてくれたんだよ。リアファルに用があったみたいだから、一緒に帰ってきたんだ。通っていいでしょ? 母さんはいつもの所にいる?」


 そう言いながらすたすたと中へ入っていくフェイデルに、ルディオのみならずレフィスたちもどうしていいか分からずに暫くその場で立ち尽くしてしまった。そんな彼らを見てどうしたのかと首を傾げたフェイデルが、挙げた右手を大きく左右に揺らしてレフィスたちを手招きした。

 呼ばれておずおずと足を踏み出したレフィスは一応ルディオに軽く会釈をして、そのまま逃げるようにフェイデルの方へと走っていく。その後ろ姿を仕方なさそうに見つめたルディオだったが、通り過ぎていく客人の最後の一人を見るなりはっと息を呑んで硬直した。

 自分と同じ種族。だと言うのに、その内側から滲み出る魔力は近付くことすらおぞましい色に揺らめいている。


「……異端の子」


 微かに震えた唇から零れ落ちた言葉を耳にして、ライリがすれ違いざまにルディオを一瞥する。かと思うとぞっとするほど美しい笑みを浮かべて、そのまま無言で仲間たちの方へと歩いて行った。




 ラプタの木々に囲われたその中は想像以上に広く、ここが樹海の奥深くだと言う事を忘れそうになるほど綺麗に整備された町並みが広がっていた。ルウェインのような華やかさはないが、自然と共存するリアファルはどこか田舎の風景を思わせる長閑な空気が感じられる。

 簡素な作りの家々の中には太い樹木の幹をそのまま家にしたものもあり、屋根に当たる部分に広がる枝葉からは外灯代わりだろうか……細い木の蔓に結び付けられた小さな透明の石が淡く光を纏って揺れていた。


 エルフたちの居住区の奥、立ち並ぶラプタの木々に架けられた吊り橋が向かった先にひときわ大きな樹木が聳え立っていた。太い幹の至る所に小さな窓があり、その幾つかは遠目で見ても光が漏れているのが分かる。

 大樹と同化するようにして作られた建物を指差して、フェイデルがレフィスたちを振り返った。


「あそこが僕の家だよ。今の時間だったら、母さん執務室にいると思うんだけど」


「執務室って……。ねぇ、フェイデル。あなた……もしかしなくても、偉い人?」


 入り口でのルディオの態度からも薄々感じてはいたが、道中明確な素性を聞いていなかったレフィスが、少しだけ恐縮したようにフェイデルを窺い見た。


「ううん」


 そう言って首を横に振るフェイデルに、レフィスが無意識に入っていた力を抜いてほっとする。そんなレフィスを見て、フェイデルが邪気のない可愛らしい笑顔を浮かべた。


「僕は偉くないよ。偉いのは僕の母さん。リアファルの女王なんだ」




 フェイデルの言う「家」は間違いなくリアファルの城と言うべき荘厳さを纏って、訪れたレフィスたちを出迎えた。

 客間に通されるものと楽観的に思っていたレフィスは、左右に数人のエルフが並ぶ謁見の間に敷かれた赤い絨毯に視線を落としたまま石のように固まっていた。隣にはイーヴィとライリ、一歩前にユリシスとフェイデルがいるので心細くはなかったが、左右と正面から感じる刺々しい視線に嫌な汗が滲み出る。


 閉鎖的な国でよそ者のレフィスたちが歓迎されるはずもなく、けれど王子であるフェイデルを救ってくれた手前邪険に扱う訳にもいかず、体裁を保つために形式的な謝礼の場として通されただけに過ぎない。

 赤い絨毯の先、鮮やかな緑の蔓を編んで作られた玉座に座る女王リリアーナは、ユリシスが渡した獣人の国ウルズからの親書を膝の上に広げたまま片肘を突いてそれを眺めていた。


「あのウルズを取り込むとはな。ルウェインのジルクヴァインから同盟の要請があった時は、自国の尻拭いも出来ぬ形ばかりの王子かと思っていたが……意外と頭は回るようだ。それに度胸もある」


 親書から顔を上げて、リリアーナがユリシスを見た。すうっと細められた青い瞳はそれでも眼光鋭く、見つめられていないレフィスでさえなぜか心臓を鷲掴みにされたかのように息を止めてしまう。

 女性でありながら纏う空気は氷のように冷たく鋭い。獣王ルクスディルの親しみやすい雰囲気がいかに有り難いものだったのかを、レフィスは女王リリアーナを前にして再確認したのだった。


「並の人間ならリアファルを訪れようとは思わぬであろうよ。ましてや貴公はあの忌まわしきルナティルスの王子。そしてエルフの忌み子を連れ立っての訪問が、ウルズの親書一枚で罷り通ると本気で思っているとはな」


 滑稽だと言わんばかりに唇の端を僅かに上げて、リリアーナが親書を側に控えるエルフへと手渡した。視線は真っ直ぐユリシスを見つめたまま、その隣に困惑顔で立ち尽くすフェイデルを視界に収めて短く息を吐く。


「しかし我が息子フェイデルを救ってくれたことには感謝せねばなるまい」


 言葉とは裏腹に、リリアーナの眉間に深い皺が刻まれる。不本意である事はその表情から読み取れたが、それをわざわざ口にするほどリアファルの女王は愚かではなかった。


「今日一日、リアファルに滞在する事を許可する。部屋も用意させよう。……だが」


 澄んだ水面を思わせる美しい青い瞳に凍てつく炎を燻らせたまま、リリアーナが言葉を切ってライリを一瞥した。


「その忌み子が部屋を出ることは許可できぬ」


「……っ」


 思わず声を荒げそうになったレフィスの腕を、ライリ本人が素早く掴んで制止する。視線はリリアーナを真っ直ぐに見つめたまま微動だにしないライリだったが、掴まれた腕から伝わる彼の思いに、レフィスは唇を強く噛み締めて言葉を喉の奥に押し込んだ。


「深閑の森での出来事は聞き及んでいる。全てがその忌み子のせいではない事も理解はできる。ただ己と違う力を振るう同族に恐れを抱く者も多い。特に今は少しばかり時期が悪くてな。これ以上余計な問題を増やしたくないのだ」


 話は終わりだと暗に告げて、リリアーナが玉座から立ち上がった。そのまま背後の扉から退室しようとして立ち止まり、一瞬の思案ののち再びユリシスたちを振り返る。その顔に先程までの嘲りや嫌悪はなく、ただ未知のものに怯えるような不安の色が浮かんでいた。


「滞在は許可したが、今リアファルには原因不明の奇病が流行っている。そなたらが病に罹らないと言う保証は出来ぬ。体に咲く白い花……冥花には気を付けよ」

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