第78話 遠慮と本音

 ルクスディルが用意してくれた客室のソファに寝転がったまま、ユリシスはぼんやりと天井を見つめていた。

 イーヴィは散策に行ってくると言い残して部屋を出ていき、レフィスとライリは城下町までクダインの葉を買いに行っている。ルクスディルは今夜行われるリーフェルンの神託の準備に取りかかっているのだろう。


 一人でいるには広すぎる客室に、しんとした静寂が満ちている。少し前まではこの中に身を置く事が当たり前であったはずなのに、今のユリシスにはこの静寂は少しだけ心に重い。


 幼い頃から自分を照らしてくれた陽だまりのような笑顔のレフィス。

 口を開けば棘のある毒舌しか零さない、本当は人一倍寂しがり屋のライリ。

 一歩離れた場所から仲間を見守り、保護者のように深い愛情を注いでくれるイーヴィ。


 仮初めだったはずの仲間は今はなくてはならない存在に変わり、騒がしい喧噪さえ恋しくなる。その変化はユリシスにとって、誰もいない部屋で笑みを零すくらいには心地の良いものになっていた。


「一人で笑っている貴方も珍しいけど、少し不気味よ? ユリシス」


 いつの間に戻ってきたのか、気配を全く感じさせないままイーヴィがソファの横に立っていた。扉の開いた音もしなかったから、転移魔法を使ったのだろう。ライリのようにあからさまな悪態をつくことはなかったが、眉根を寄せて避難めいた眼差しを向けながらユリシスがソファから身を起こした。


「気配を消して近付く奴には言われたくない」


「そう怖い顔しないで頂戴。休んでいると思って、出来るだけ静かに戻ってきたのよ。起きてたのならこれ、預かってきたわ」


 テーブルに置かれた野草の束を見て、ユリシスが更に眉間の皺を深くする。


「何だ、これは」


「あのメイドの好物ですって。炒め物にもスープにも、勿論生でもイケるらしいわ」


 クリーム色の紙で花束のように包まれた野草には、淡いピンクのリボンが結ばれている。手に取ってはみたもののどうしていいか分からず困惑の表情を浮かべたユリシスに、イーヴィが堪えきれず声を漏らして小さく笑った。


「モテるウサギは大変ね」


「……あいつだけでいい」


「まぁ! 貴方も言うようになったわね。ごちそうさま」


「どういたしまして」


 リボンを解いて包装紙から野草の束を取り出すと、ユリシスが茎の部分を右手で軽く掴んだ。そのまま手首を捻るようにくるんと回すと、手の動きに合わせて茎の部分に水色の球体が出現する。水で出来たそれは花瓶の役割を成して、転がりも崩れもせずテーブルの中央に飾られた。少しだけテーブル周りが青臭い。


「ところで」


 イーヴィがユリシスの向かいのソファに腰掛ける。水の花瓶に生けられた野草を挟んで、少しだけ探るような視線が向けられた。


「私にも教えられることってあるのかしら? 神託の件をライリが承諾したことや、二人が城下町へ行ったこととか……勿論話せないのなら無理に聞こうとは思わないけれど」


「いや、隠しておく必要もない」


 少しの間も置かずにユリシスが首を横に振る。


「神託の件を受ける代わりに、ルクスディルに話を聞いて貰おうと思っている。ルナティルス……リーオンの脅威と、三国家の同盟について」


「……大きく出たのね。でもそれじゃあ、貴方の正体を話さなくちゃいけないんじゃない?」


「そうだな。……だからあいつはレフィスを借りると言ってきた」


 記憶を辿るように瞼を閉じると、先程ライリと交わしたやりとりがユリシスの脳裏に浮かび上がった。





 数時間前。

 別室でライリと二人きりになると、ユリシスは一呼吸置いてから口を開いた。


「神託の件……お前はどうしたい?」


 束の間の沈黙が流れ、腕を組んだライリがソファの後ろからその背もたれ部分に寄りかかるようにして腰を預けた。床の絨毯を彷徨う視線が重なり合うことはない。


「あのさ」


 形の良い唇から、息を吐くようにライリが声を落とした。


「確かに神託はリーフェルンじゃなきゃ意味がないからやるのは僕だ。だからユリシスが僕の意見を聞くのも分かるし、間違いじゃないよ。でもさ……」


 声のトーンは低く、けれどそこに含まれるのは怒りではなくやるせなさのような切ない色が見え隠れしている。室内に漂う静寂が、ライリの声音に共鳴して僅かに揺れた。


「何でそんなに遠慮してんのさ。僕がどうしたいかより、ユリシスはどうしたいの? 別室に連れてきてまで、僕に言う事があるんじゃないの?」


「……ライリ」


「君がルナティルスの王子だったとしても、今僕らと一緒にいる君はただのユリシスだ。だったらいつものように命令するなり何なりすればいいじゃないか。……それが僕たちじゃないか。違うの?」


 視線は依然として交わらない。けれど呻くように思いを吐露したライリの言葉に、ユリシスは頭をガツンと殴られたような気がして目を見張った。


 ルナティルスからの救出後、こうしてまたパーティを組み行動を共にしていても、心の奥底では後ろめたい気持ちが燻り続けていた。


 何も言わずに消えたユリシスを、ライリたちは危険を承知で救い出してくれた。その行動と彼らの思いには感謝しかない。それなのにユリシスは未だに全てを委ねることが出来ないでいる。そしてその思いは隠しきれず、こうも簡単にライリに知られてしまっている。

 自分の愚かさに、ユリシスは目を伏せた。


 レフィスと同じように、ライリとイーヴィもかけがえのない大切な仲間だ。失いたくない存在だ。

 頼ることに慣れていないユリシスだったが、今頼らなければ仲間を失うかもしれないという漠然とした不安はありありと感じ取れた。


「ライリ……すまない」


 呟いたユリシスの左頬が、じわりと鈍い痛みを呼び戻す。けれどそれは、心地良い痛みだった。


「またお前に殴られるところだった」


「お望みならそうするけど?」


「二度目は辞退しよう。お前の細い手は、意外と頬に食い込む」


「そんなに細くなんか……」


「――ライリ」


 強く名を呼ばれ、はっと顔を向けた。ユリシスの紫紺の瞳は強い輝きを取り戻し、揺るぎない意志を持ってライリをまっすぐに見つめてくる。その美しく深い輝きに、ライリが自然と息を呑んだ。


「俺個人の問題でもあるが、ウルズの獣王との繋がりをこのまま断ちたくはない。リーフェルンの神託を受ける代わりに、俺から再度三国家の同盟を持ちかけたいと思っている」


「ルクスディルに正体を明かすの?」


「そういうことになるな」


「……機会があれば、エルフの国でも?」


 無言で頷くユリシスを見て、ライリが考え込むように視線を足下へ落とした。


 ユリシスがルナティルスの王子である事を知ると同時に、ルクスディルは彼の弱点をも知るはずだ。

 ルナティルスの事件以降、気持ちが吹っ切れたのか、ユリシスは良くも悪くも自分の思いを隠すことはしなくなった。当然先程までの会話の中で、ルクスディルもレフィスの存在を認識しただろう。


 裏表のない性格で謀の苦手な獣人ならそこまで警戒する必要もないだろうが、今後エルフの国やルウェインでもその存在を公にするのであれば、ライリたちも十分に心構えをしておかなければならない。何よりも一番に、そういうことに疎いレフィスが。


 そこまで考えるに至って、ライリがふっと自嘲めいた笑みを零した。


(何だかんだで、結局僕も石女には甘いんだ)


 いつの間にかパーティの裏のボス的な地位を築いていたレフィスの存在に、呆れたような溜息をつくも、ライリはその疲れを心地良く受け止めていた。


「いいよ。神託、やってやろうじゃないか。……その代わり、ひとつ条件がある」


 足下へ落としていた視線を再びユリシスへ戻し、ライリが少しだけ意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「少しの間、レフィスを借りるよ」


「……は?」


 案の定素っ頓狂な声を上げたユリシスに、ライリがしたり顔のまま声を小さく漏らして笑う。


「君でもそんな顔出来るんだ。別に心配するようなことはこれっぽっちもないから安心しなよ」


「……お前な」


「あとさ、これはユリシスが言うように君個人の問題かもしれないよ。でもその問題に僕たち付き合っていくつもりで一緒にいるんだからさ、……ちゃんと覚えといてよ」


 さらりと返された言葉に、ユリシスが声を詰まらせる。言葉にならない思いはユリシスの胸の奥でじんわりと温かい熱を持ち、それは意図せず紫紺の瞳を緩く歪ませてしまうほどだ。慌てて視線を逸らして俯いたユリシスの声音が僅かに震えていることに、ライリが気付いたかどうかは分からない。


「……お前も丸くなったな」


「やっぱりもう一発いっとく?」


「遠慮する」


 そう呟いて顔を上げたユリシスの紫紺の瞳に、美しい笑みを浮かべたライリの姿がはっきりと映し出されていた。

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