第77話 タルトの忠告
城の建つ丘の麓の城下町は今日も変わらず賑やかで、商人や旅人など多種多様な民族が店の並ぶ通りを往来していた。
珍しい民芸品を扱う露店もあれば、おしゃれな雰囲気のカフェもある。かと思えば豪快な肉の塊を店先にぶら下げた肉屋もあり、その隣の武器屋から出てきた客が肉屋の肉で試し切りをしている。
立ち並ぶ店には統一感がまるでないが、この雑多な感じもウルズの特徴なのだろう。オープンカフェの向かい側の店先で始まった巨大な魚の解体作業に顔を顰める客は誰もおらず、逆に優雅にお茶を飲んでいた猫の獣人が目を爛々と輝かせてその作業を凝視していた。
その隣の席に座っていた別の猫の獣人は魚の解体作業には目もくれず、運ばれてきたミロフィのケーキを幸せそうに頬張っていた。
「ライリ、食べないの?」
向かい合う形で席に着いたライリは、さっきから頬杖を突いたまま道行く人々をぼんやりと眺めている。少し前に運ばれてきたケーキセットのティーカップはまだ空で、ミロフィのケーキからフォークを置いたレフィスが促すようにポットからカロムティーを注いだ。
「へぇ……石女もちょっとは気が利くじゃないか」
そう呟いて視線を向けると、案の定むっと眉間に皺を寄せたレフィスがライリを睨んでいる。反論しようと口を開きかけたレフィスより数秒早く、ライリがティーカップを持ち上げて薄く笑った。
「……ありがとう」
儚げな微笑の不意打ちを食らって、レフィスの顔が無意識に赤く染まる。
「何?」
「……そういうの、反則」
「はぁ?」
「大体男なのに何でそんなに綺麗なの? ずるいわ。不公平よ。もしかして美容を気にしてケーキ食べないの?」
ライリの前に置かれたまま手の付けられていないケーキをじっと見て、レフィスが首を傾げた。ケーキに向けられている熱視線を無視する訳にもいかず、ライリが呆れたように溜息をつく。けれどその表情には優しい色が見え隠れしている。
「ほんと、色気より食い気だよね。ユリシスの好みを疑うよ」
そう言いながらもケーキの皿を差し出したライリに、レフィスの表情がコロッと変わる。
クリームたっぷりのミロフィのケーキとは違って、ライリの注文したケーキは木の実をふんだんに使ったタルトだ。見た目に華やかさはないが、上品な大人のケーキと言う印象で、実のところレフィスもちょっぴり味見をしたいと思っていた。
「いいの?」
目をきらきらと輝かせて、レフィスがフォークを寄せた。その瞬間を見計らって、ライリがすっとケーキ皿を自分の方へ引き戻す。ささやかな幸せを纏っていたフォークはカツンと音を立ててテーブルに突き当たり、それと同時に怒りと哀愁の混ざった表情を浮かべたレフィスが頬をぷうっと膨らませてライリを睨み付けた。
「意地悪!」
「逆に何でそんなに単純なのさ」
堪えきれずに笑みを零したライリが、レフィスの見ている前で木の実のタルトにフォークを突き刺した。
「単細胞すぎて心配になるよ」
「え? 心配してくれてるの?」
「ほら、また引っかかる」
「もう! ライリなんて知らないっ!」
ぷいっと顔を背けて、レフィスがミロフィのケーキを口いっぱいに頬張った。甘さに緩む目元が、ライリを見て再び鋭さを纏う。
「不機嫌になるのは構わないけどさ……別にからかってるわけじゃないよ」
少しだけ声のトーンが落ちたことに気付いてレフィスが顔を上げると、再度頬杖を突いたライリと視線がぶつかった。二人の間に置かれた木の実のタルトには、垂直にフォークが突き刺さったままだ。
「……どうしたの?」
束の間の沈黙の後、ライリが呟くように話し始めた。
「レフィスはさ……先をどう考えてるの?」
「先って?」
「この先もユリシスと一緒に行くのかって事」
当たり前だと頷いたレフィスが、なぜ今更それを聞くのかと言いたげな表情を浮かべて首を傾げる。
「ライリは違うの?」
「そうじゃないよ。僕が言いたいのは……将来ユリシスと一緒になるのかって話だ」
「はへぅっ?」
よく分からない声を上げて、レフィスが僅かに頬を紅潮させた。いつもの冗談なのかと思ったが、まっすぐに向けられた瑠璃色の瞳がそうではない事を物語っている。
「王妃としての責務を果たせるかどうかは別としてさ。恋人としてのレフィスと、いずれ来るかもしれない王妃としてのレフィス。そのどちらも見る者によっては格好の獲物だ」
ライリが何を言いたいのか理解して、レフィスが無意識に背筋を正して息を呑む。
「……ユリシスの、弱点として?」
「そうさ」
間髪入れずに肯定し、ライリも頬杖をやめて椅子の背もたれに寄りかかった。視線は逸らさないまま、腕を組んでレフィスを真剣な眼差しで見つめている。
「ユリシスを排除しようとする者は、きっとこれから先も現れる。あのリーオン以外にもね」
「うん」
「君自身を守る盾としてブラッディ・ローズ……あの男ブラッドを使うことに、まさかとは思うけど躊躇いはないよね?」
「う、うん。……一応」
「一応って何さ」
呆れ顔で溜息を零すと、ライリは一息つくようにカロムティーを口にした。
普段なかなか見せない真剣なライリを前にして、レフィスもどことなく緊張した面持ちで座っている。
二人の間には食べかけのミロフィのケーキと、垂直にフォークを突き立てられた木の実のタルトが置かれたままだ。そのタルトの皿の方を、ライリが意味ありげに指さした。
「リーオンのように力でねじ伏せる者もいれば、言葉巧みに懐に入って牙を剥く奴もいる。力にはブラッドで対応出来るけど、精神面で君は騙されやすい。自覚がないとは言わないよね?」
既にタルトのケーキでライリに騙されているレフィスには返す言葉が何もない。
「それが君らしいとは思うけどさ……今後を考えるなら、少し人を疑う事も覚えた方がいいよ」
すぐに頷くことが出来ずに、レフィスが窺うようにライリを盗み見る。てっきり射抜くような視線を向けられているのだろうと思っていたレフィスだったが、こちらを見つめるライリの瞳はどこか苦しげな色を帯びて切なく揺れているように見えた。
ライリの言葉の重みをしっかりと受け止めながら、同時にレフィスの胸の奥がじんと温かい熱を持つ。言葉は決して優しくはなかったが、そこにはレフィスを心配するライリの思いが溢れるくらいに詰まっている。その不器用な優しさが少しくすぐったくて、レフィスがはにかむように微笑んだ。
「ありがとう」
「何でそこでお礼が出てくるんだよ。僕の話聞いてた?」
「うん。だから、ありがとうなの。心配してくれてるんでしょう。……誰彼構わず最初から疑いの目で見る事は難しいかもしれないけど、ライリの言葉、ちゃんと覚えておくから」
柔らかなレフィスの笑顔にすっかり毒気を抜かれ、まだ何か言おうとしていたライリが諦めたように口を閉ざした。
素朴な環境で育ったせいか、レフィスは良くも悪くも素直だ。ライリの助言を素直に受け止め、自分に出来ない事は素直に難しいと告げる。そしてその言葉を聞いたライリは、自分がほっとしていることに気付いて思わず目を見張った。
人を疑えと言ったのはライリ自身だったが、本当は猜疑心に染まったレフィスなど見たくはなかったのだと思い知らされ、改めて自分の間抜けさに嘲笑する。
「どうしたの?」
「……何でもないよ」
ぽつりと呟いて、ライリがレフィスの前にフォークが突き刺さったままのタルトを置いた。一瞬目を輝かせたレフィスだったがすぐに唇を噛み締め、何かに耐えるようにケーキとライリをじっと見比べている。レフィスの猫耳がぷるぷる震えているのを見て、ライリが堪えきれずに小さく吹き出して笑った。
「これは本当。騙してないからさっさと食べなよ。クダインの葉を買って帰らなくちゃいけないんだから」
ユリシスと二人で話した後、ライリはルクスディルの頼みを引き受けることを約束した。と同時に必要な物として、軽い催眠状態を引き起こすクダインの葉を買ってくるようルクスディルから使いを頼まれ、レフィスはライリと共に城下町を訪れていたのだった。
目的を思い出し、慌ててケーキを食べ始めたレフィスだったが、一口食べてふとライリを見つめた。
「さっきの続きだけど、例えば凄く注意してたけど失敗しちゃう時もあるじゃない? そういう時もライリやイーヴィが近くにいて危ないよって教えてくれるんじゃないかなぁ……なんて、甘いかな?」
「呆れを通り越して、清々しいくらい他力本願だよね、それ」
「だってライリたちもずっと一緒にいるんじゃないの? だったら私、そんなに心配することないと思うんだ」
いずれ訪れるであろうルナティルス奪還のその時に、ユリシスの隣にはきっとレフィスがいるだろう。そしてその傍らにライリたちがいることを当たり前のように語るレフィスに、ライリは一瞬息を詰まらせて唇を震わせた。
どこまでも素直で、仲間の誰よりも非力で、騒々しくて、けれど気付かないうちに胸の奥を陽だまりのような温かさで満たしてくる。そのぬくもりの心地よさに緩む口元を悟られまいと、ライリはレフィスから顔を背けて唇を軽く噛み締めたのだった。
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