第76話 恋バナに花が咲く

「えぇっ? フレズヴェールって王子様だったの?」


 一瞬静まりかえった室内に響いたレフィスの言葉に、ライリが飲んでいたお茶を危うく吹き出しそうになった。

 筋肉質のがっしりとした体躯。厚い胸板を惜しげもなく晒した裸の上半身に赤いマントを羽織り、狼頭のてっぺんにでーんと鎮座する金色の王冠。

 そんなありきたりな「王子姿」を想像して笑いを押し殺したライリが、吹き出す前にお茶を飲み込んでぽつりと呟く。


「王子様ってガラじゃないだろ」


 レフィスが落とした腕輪をルクスディルが床から拾い上げる。自身の持つ腕輪と色を違えた宝石を見つめながら、それと同じ色の目をした兄を思い出してふっと笑みを浮かべた。


「兄が国を出たのは十五の時だったか。最初は見聞を広める為に旅に出た兄だったが、ある日冒険者になったと言う知らせが届いてな。時々顔を見せに帰ってきていたんだが、ギルドマスターを継いでからは数えるほどしか会っていない」


 仕事が忙しいのだろうと呟いて、腕輪をテーブルの上に置く。腕輪の青い石に兄の姿を重ねて、ルクスディルが少しだけ昔を懐かしむように目を細めた。


「兄は元気にしているだろうか?」


「ああ。彼には随分と世話になっている。……信頼に足る人物だ」


「そうね。ちょっとドジなところもあるけど、上手くやってると思うわ」


「アリスには振られっぱなしだけどね」


「アリスって、あの花屋の? ふぅん。フレズヴェールの好みってあんな感じなんだぁ。あ、でもフレズヴェールとアリスって年が結構離れてない?」


 ユリシスの言葉を聞いて、ルクスディルが嬉しそうに笑う。しかし続くライリとレフィスの会話から聞こえたアリスの名を耳にすると、途端顔から穏やかさが消え、代わりに焦燥感を滲ませた笑みを張り付かせた。


「えぇと……兄と、そのアリスという女性は、その……どういう関係なんだ?」


「気にするとこ、そこなんだ」


 ライリの呟きに誰もが同意したのは言うまでもない。




「話が逸れたが……」


 さっきからいろんな方向へ脱線する話の道筋を修正しようと、ユリシスが一呼吸置いてからルクスディルへと視線を向けた。


「神託の件だが、少し仲間内で話をしたい。すまないが個室を借りることは出来るか?」


「あぁ、構わない。用意させよう」


 そう言うと扉の方へ目をやり、吸い込んだ息を全て吐き出す勢いでルクスディルが咆哮した。

 人型の姿で狼の遠吠えを発する事にも驚いたが、何より突然吠えられた事でレフィスたちが揃ってびくんと体を震わせる。

 ここでは呼び鈴の代わりに叫ぶらしい。それはそれで獣人の国らしいのかもしれないが、何も知らないレフィスたちには少々どころかかなり心臓に悪い。どくどくと早鐘を打つ胸が静まりきらないうちに、ノックされた扉の向こうから白い耳を生やした人型のウサギのメイドが姿を現した。


「彼らを客間へ案内してくれ」


「畏まりました」


 一礼したメイドが顔を上げ、ユリシスを見た瞬間にポッと頬を染めたのをレフィスは見逃さなかった。考えるよりも体が動き、彼女の視界からユリシスを隠そうと立ち上がったレフィスを、当のユリシスが背後から静かに引き戻す。


「お前とイーヴィはここにいてくれ」


「え? どうして?」


「ルクスディルの信頼に応えたい」


 返された言葉の意味を理解する前に、ぽかんと呆けたレフィスの耳にライリの楽しげな毒舌が届いた。


「要するに人質だよ」


「人質って……」


「ルクスディルの目の届かない場所に行った僕らが何もしない保証はないからね」


 さらりと物騒な言葉を落として綺麗な笑みを浮かべたライリが、姿を隠すためにフードを深く被って部屋を出て行った。後に続いたユリシスがメイドとすれ違ったとき、彼女の目がハート型になったように見えたのはレフィスの錯覚……なのだろうか。


 閉じた扉を暫く無言で見つめていたレフィスの胸に、じわじわとどす黒い靄のようなものが満ちてくる。僅かに頬を膨らませてどかっと座り込んだ体が、ソファに深く沈み込んだ。それは生まれてしまった不安と嫉妬の沼に心が引きずり込まれる様と似ていて、意地でも這い上がろうとしたレフィスが拳を強く握りしめたまま頭を強く横に振った。


「ユリシスと言ったか。あれはなかなかの色男だからな。メイドが見惚れるのも無理はない」


「獣型なのに元の姿が分かるの?」


「元の姿を模したものが、ああやって獣型の容姿に反映されているではないか。静かな水底を思わせる冷静な澄んだ瞳。滑らかな手触りに違いない艶やかな毛並み。心の奥に秘めた優しさは、あの愛くるしい丸い尻尾を見れば一目瞭然だ」


 レフィスにはよく分からないが、黒ウサギの姿でもユリシスは獣人たちの目を引く容姿らしかった。語るうちにだんだん言葉に熱の篭もるルクスディルに、メイドとは違う不安が押し寄せてくる。悟られないように浮かべた笑みが微かに引き攣った気がした。


「だが、あまり気にする必要はないと思うぞ」


「え?」


 唐突にまっすぐ見つめられ、レフィスの胸がどくんと鳴る。


「あいつにそんな気はないだろう? どこから見ても君一筋だ。そういう匂いしかしない」


「匂いって何のっ?」


「それはもう欲情の香りしかないじゃない」


 ルクスディルの言葉に頬を紅潮させ、イーヴィの言葉に声を詰まらせてレフィスが咽せる。その様子を見てイーヴィのみならず、ルクスディルまでもが面白いものを見たと言わんばかりに豪快な笑い声を上げた。


「なかなか面白い娘だな。からかい甲斐があるというか何というか……君たちが大事にするのも分かる気がする」


「ふふ。でも駄目よ。レフィスにはもう無愛想な王子様がいるんだから」


「何事にも動じなさそうなあの男が選んだ伴侶か。……ふむ、そこに至るまでの経緯が興味深いな」


「こういう話、意外と好きなのね」


「ああ、そうだな。大好きだ!」


 恥ずかしげもなく即答する次期獣王。そのエメラルドグリーンの瞳は宝物を前にした子供のようにきらきらと光りを湛え、顔を赤くしたまま困惑の表情を浮かべるレフィスを映し出していた。

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