第75話 ルクスディルの頼み
「そろそろ本題に入ってもいいだろうか?」
王族なのにすっかりのけ者状態だったルクスディルが、四人を窺い見ながら訊ねた。
「あぁ、何だかごめんなさいね。こっちは気にしないで続けてくれるかしら?」
イーヴィに軽く頭を小突かれ反射的に睨み返したライリだったが、それ以上何かを言うこともなく尖らせた唇を噤んで静かになる。レフィスはソファに突っ伏したままだったが、ユリシスにも視線で促され、返事の代わりに頷いたルクスディルがゆっくりと話し始めた。
「現獣王ガルヴェラム……俺の父だが、そろそろ引退してゆっくり過ごしたいと言ってきたんだ。王位を継ぐ事に異論はないんだが、問題は王妃の方でな。領主の娘や従姉妹、果ては元気な子を産みそうな町娘まで見合い話を持って来られて正直困っているところなんだ」
「結婚する気はないの?」
「結婚するならリーフェルンの獣人だと決めていた」
即答され、質問したイーヴィの横でライリがぎくりと体を震わせた。
「子供の頃から、ずっと憧れていたんだ。絶滅したと言われていたが、きっとどこかで生きているに違いない。そう思い続けて大人になり、王位継承と共に妻を娶らなくてはならない今、この時期に!」
ライリを見たエメラルドグリーンの瞳が憧憬に揺れ、そして哀情に変わる。
「やっと見つけたと思ったんだが……男だったとはなぁ」
「今この時ほど自分が男で良かったと思った事はないよ」
「そう邪険にしないでくれ。もう無理強いはしない」
「言い方!」
ソファに深くもたれかかっていたライリが、思わず身を乗り出した。そのまま飛びかかりそうな勢いの体を横からやんわりと制止して、イーヴィが無言の圧力でライリの体を再度ソファへ沈み込ませる。
肩に置かれた手の力が、異常に強い。これ以上話を中断するなと笑顔のまま目で訴えられて、ライリは大人しくイーヴィに従ってソファの背もたれにぼふんっと体を預けた。
「ライリ殿を妻に迎えることは出来ない。だが王位は継承したい。そこでだ。ひとつ提案があるんだが、父に俺の結婚はまだ早いと説得してくれないか?」
「獣王様に私たちが? さすがにそれはちょっと無理があるんじゃないかしら」
「リーフェルンなら大丈夫だ! リーフェルンの言葉はウルズにとって神託にも近い」
その場にいた全員の視線を一気に集め、ライリが面倒くさそうに顔を顰めた。
煩わしいくらいのリーフェルン信者に嫌気が差したが、ここで声を荒げると隣のイーヴィが本気で怒りかねない。出来るだけ落ち着いた声を出そうと一息吐いてから、ライリが自分を見つめているルクスディルを一瞥した。
「それって提案じゃなくて、もうお願いだよね。僕たちがその願いを叶えてやる義理はないと思うけど?」
王族を散々足蹴にした者が言う台詞ではないのだが、そんなライリの言葉に言い淀む様子もなく、逆にルクスディルが強気な笑みを浮かべた。初めて見せた計算高い笑みに、不意打ちを食らったライリの方が言葉に詰まる。
「ライリ殿たちが入っていた温泉は限られた獣人しか入れない特別な温泉だ」
「許可証なら見せたじゃないか」
「そうだな。だが、許可証があっても入れない者もいる」
その言葉の意味にいち早く気付いたのはユリシスだった。はっと息を呑む音を聞き逃さなかったルクスディルが、ライリからユリシスへと視線を移して小さく頷いた。
「君たちは獣人ではないな」
「……なぜ分かった?」
緊張に身を固くしたユリシスを見て、なぜかルクスディルが困惑顔になる。それを見たユリシスも怪訝そうな表情を浮かべ、二人の様子にイーヴィたちまでがどうしたのかと首を傾げた。
一瞬静まりかえった室内が、疑問符に埋め尽くされる。
「さっきそう言われたんだが……違うのか?」
皆の視線を一斉に受けたルクスディルが、疑問の答えを求めるようにライリへと目を向ける。ルクスディルに注がれていた視線がライリに移り、当の本人は鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くしてソファの背もたれから身を起こした。
「僕が? いつ?」
「俺に脳味噌の使い方がなってないと言った時だ。獣人ではないからリーフェルンでもない、と」
三度目の顔面蹴りを食らわせた時に怒鳴り散らした記憶がよみがえり、ライリが小さく声を漏らしてばつが悪そうに視線を逸らした。
「ライリ殿が男だったという事実の方が衝撃が強すぎて忘れていたが、間違いないのだろう? 君も、なぜ分かったと言ったしな」
自分の失態に呆れて、ユリシスが額に手を当てて肩をがっくりと落とした。ウサギの長い耳も気落ちしてしゅんと垂れ下がっている。
「まぁ、君たちが獣人であろうがなかろうが今回は不問に付す事としよう。君たちを罰したとあっては兄に顔向けできないからな」
「兄?」
繰り返すイーヴィに肯定の意を示して頷いたルクスディルが、改めて目の前の四人を見つめた。
獣人ではないが、本心を隠して他人を騙すような後ろ暗い気配もなければ、本能的に感じる敵意や殺気の類いもない。
隠すどころか大々的にぶつけてくるライリの不機嫌は、身の危険を感じる危ういものと言うよりは駄々っ子の癇癪のようなものだ。素直すぎるレフィスは微笑ましかったし、イーヴィとユリシスの冷静さも場を弁えているだけで危険を孕むものではない。
最低限の警戒心だけ残して、ルクスディルは目の前の四人を密かに歓迎していた。
「クピカから話は聞いている。これに見覚えがあるだろう?」
袖を捲って前に突き出された右腕に、見たことのあるゴツい金色の腕輪が嵌められていた。
繊細な細工と共に彫られた獣が咥えているのは青ではなく緑色の石だったが、それはフレズヴェールから渡された通行証の腕輪と同じものだった。
「昔、父から貰ったもので一応身分を証明する物でもある」
「え? 身分って……王族って事? ……えっ!」
バッグから取り出した腕輪とルクスディルの腕輪を見比べていたレフィスが、自分で発した言葉の意味を理解して再度驚きの声を上げた。その拍子に腕輪が床に滑り落ち、ごとんっと鈍くくぐもった音が室内に響き渡る。
ごろごろと床を転がる腕輪が、ルクスディルの足に当たってやっと止まった。
「冒険者になると行って国を出た兄が、十年ほど前にギルドマスターの名を継いだ。君たちの知るフレズヴェールとは俺の兄、エルバムス=ファウベスクだ」
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