第10章 Re:スタート

第74話 獣王の証

 ウルズ全域を潤すスラド川は、国の重要な水資源だ。その水源は獣王の居住である王城の地下で、城の建つ小高い丘の上から絶えず流れ続けている。


 水を生み出すのは地下に設置された大きな青い水晶球で、それはウルズ建国の折にルナティルス王家から贈られたものだと伝えられていた。

 建国当時は大部分が枯れた荒野だったウルズも、水を生む水晶のおかげで見渡す限りの緑に包まれた自然豊かな国へと変化した。今ではほとんど失われているが、当時は高い治癒力を秘めた水が流れており、その力で向上した大地の再生力が瞬く間に荒野を緑に塗り替えていったと言う。


 そんな歴史のある、ウルズにとっても国宝級の水晶が置かれている地下室を抜けて、レフィスたちはルクスディルに連れられて城の一室へと招かれていた。

 否。

 招かれたと言うよりは侵入したと言った方が正しい。


 ルクスディル曰く、獣王と王位継承者だけが地下の水晶の間へ続く扉を開くことが出来るらしい。水晶の間から地上へ続く抜け道も存在し、その先の扉も獣王の資格を持つ者しか開けられない。これを逆手にとって、ルクスディルは水晶の間から度々城を抜け出していた。

 その道を通って、レフィスたちは今ルクスディルの私室にいる。


「ここまで来れば一安心だ。まずはこのような招待の仕方で申し訳ない。リーフェルンの姿を他の者に見られたくないのでな」


「騒ぎになるのは目に見えてるからね」


 万が一のことを考えてローブを纏っていたライリが、目深に被っていたフードを外した。その姿に見惚れるような溜息を零すルクスディルに、言葉を挟む者はもう誰もいない。


「それで、私たちがここに呼ばれた理由を教えてもらえるかしら?」


「あぁ、そうだな。座ってくれ」


 大きいソファにイーヴィとライリ、その向かい側にユリシスとレフィスが腰を下ろすと、ルクスディルが真ん中に置かれた一人掛けの椅子に座ってふうっと一息ついた。


「改めて名乗ろう。俺はルクスディル=ファウベスク。ウルズの現獣王ガルヴェラム=ファウベスクの第二子で時期獣王の予定だ」


「そ、そんな偉い人を足蹴にしちゃって……ライリ、大丈夫なの?」


 恐る恐るユリシスに訪ねたレフィスの小声を拾って、ルクスディルが頭の後ろを掻きながらばつの悪そうな笑みを浮かべた。


「俺もつい我を忘れて興奮してしまったからな。ライリ殿にも迷惑をかけた。すまなかった」


 王家の者に対してライリのした行為は、本来ならば許されるものではない。それなのにルクスディルは逆に自分の非を詫び、得体の知れない四人組の獣人を自分と同じ対等な立場の者として接してくる。

 時期獣王にしては気さくで物凄く心の広い人物だと、ライリ以外が感嘆の意を込めてルクスディルを見つめた。


「ひとつ聞いていいかしら?」


 ルクスディルの心の広さに甘えて、イーヴィが敬語もなしに話を進めた。


「予定と言うことは、他にも候補者がいるの?」


「王位継承のゴタゴタに巻き込もうとしてるのなら、僕が一番に君の継承権をなくしてあげてもいいよ」


 ルクスディルを指したライリの指先にしゅるりと巻き付いた黒い帯は、隣から伸びてきたイーヴィの手に握りしめられたことで何事もなく消滅する。


「それについては心配ない。兄はいるが、獣王として王位を継ぐのは俺だと決まっている」


「なぜ断言できる?」


「獣王の証を持って生まれたのが俺だからだ」


 疑問を口にしたユリシスへ視線を向けて、ルクスディルがその瞳を静かに伏せる。


「説明するより見てもらった方が早いだろう」


 ルクスディルの周囲だけ、空気の流れが変わった。そこだけ空間が切り離され、時間が巻き戻るかのようにルクスディルの体の輪郭が次第にぼやけて曖昧になっていく。

 全体的に一回りほど小さくなった体から体毛が消え、鼻口部が縮んだ顔はもう狼のそれとは全く異なっていた。


 空気の流れが元に戻る頃、レフィスたちの前にいたのは獣型の獣人ではなく、人型の姿になったルクスディルだった。


「本来なら獣人は獣型か人型のどちらかに分かれ、二つを切り替えられる者は存在しない。獣王以外はな」


 狼の獣人にしては筋肉の付きが薄い優男風の人型に変わったルクスディルが、少し得意げに笑みを零しながら青紫色の髪を掻き上げた。獣王としての風格はどちらかというと獣型の時の方があった気がするが、逆に言えば人型の方は人好きのする笑顔が印象的な話しやすい柔らかな雰囲気を纏っている。

 威厳のある獣型と、親しみやすい人型。そのどちらにもなれる獣王の意味を想像して、イーヴィが感心したように息を漏らした。


「相手に舐められない為には獣型。警戒心を解くには人型。そうやって姿を使い分けて、物事を有利に進められるのね。さすがと言うか、よく出来てるわ」


「まぁ、それもあるが、一番は結婚相手を見つけることだな」


「結婚相手?」


 女子の好きそうな話題に、早速レフィスが乗っかかった。王族の恋愛トークを聞くことは滅多に……と言うかほとんどないので、興味津々に身を乗り出したレフィスの瞳が途端きらきらと輝き出す。


「俺たち獣人族の王が王位を継承する為には、王妃を迎えることが絶対条件だ」


「獣型と人型のどちらも同じ人物だと見分けた人が王妃様になるとか。あ、待って。獣型と人型のどちらにも臆さない人を選ぶ、とかでもいいかも」


 うふふと笑みを浮かべながら、レフィスが勝手に創作した王族ロマンスを脳内映像で楽しみ始めた。


「獣型の獣人に日頃から意地悪されてたヒロインが人型のルクスディルに助けられて好きになるのよ。獣型の時のルクスディルには最初気付かないんだけど、でもある時いつも意地悪してくる獣人から獣型の姿で同じように助けられて、それでヒロインが二人は同一人物だと気付くの! そして……」


「世継ぎを得るためだ」


「そう! そして獣型のルクスディルが世継ぎを……え?」


「獣人族は子孫を残す本能が他の種族より強い。ましてや俺は王族で、一族の血を絶やさないためにも世継ぎは必要だ。獣王が獣型と人型両方になれるのは、王妃がどちらであっても問題なく子を成すことが出来るためだと伝えられている。相手に対する配慮という面もあるのだろう」


 淡々と語られる生々しい言葉に、あまり免疫のないレフィスの顔が瞬時に赤く染まった。と同時に先程の温泉での出来事がよみがえってしまい、一気に体が熱を持つ。

 言葉を詰まらせて短く呻いたレフィスを見て、それまで不機嫌顔だったライリが少し意地悪な笑みを浮かべた。


「石女にはちょっと刺激の強い話なんじゃないの?」


「そっ、そんなことないもん! ちゃんと分かるもの!」


「何で言い切れるのさ」


「私だって大人なんだからそのくらい……」


 誘導されているとも知らずにそう口にしてしまったレフィスの瞳に、したり顔のライリが映る。


「あぁ、そうか。さっき物凄い悲鳴が聞こえたもんね。石女もついに大人になったんだ。おめでとう」


「ふぁうっ? ななな何言ってんの? そ、そんなことしてないもん! ちょっと抱きついただけだも……ん……?」


 室内がしんと静まりかえった。

 頬を紅潮させて硬直するレフィスと、腹を抱えて必死に笑いを堪えているライリ。イーヴィは保護者のような目でふたりを見つめ、ユリシスに至っては呆れたように右手で顔を覆ってしまっている。


「阿呆」


 溜息と共にユリシスが力なく呟くと、糸が切れた人形のように崩れ落ちたレフィスがそのままソファに顔を埋めて突っ伏した。


「うわぁぁぁん! ライリの馬鹿ぁぁぁ!」

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