第73話 思いがけないプロポーズ
休憩所と言う名の個室に五人の獣人が、それぞれ全く違う様子でソファに座っていた。
顔を真っ赤にさせた挙動不審のレフィスと、この状況に困惑した表情を浮かべるイーヴィ。相変わらず冷静に状況を判断しようとしているユリシスは黒ウサギの姿に戻っている。眉間に深い皺を寄せたままのライリの視線の先には、まるで尊いものを前にしたかのようにライリを見つめる狼の獣人がいた。
「えぇと……とりあえず説明して貰ってもいいかしら?」
イーヴィの視線を受けて、ライリが不機嫌に息を吐く。
「説明して欲しいのは僕の方だよ。いきなり現れて襲いかかってきたのはこいつだ」
「そうだとしても、顔面に蹴りを入れるのはどうかと思うわ」
直接見たわけではないが、男の顔に残った赤い足跡から何があったのかは十分に想像できる。ライリの代わりに謝罪しようとしたイーヴィだったが、蹴られた本人は怒るどころかむしろ宝物を見つけた子供のように、エメラルドグリーンの瞳をきらきらと輝かせてライリを……ライリだけを見つめていた。
「……えぇと」
「知らないよ」
イーヴィから説明を求める視線を向けられても、ライリだって何が起こっているのか分からない。敵意は感じられないが、鬱陶しいくらいの崇拝の念がびしびしと伝わってくる。ライリがどんなに冷たい眼差しで睨んでも、男の尻尾は嬉しそうに揺れるだけだった。
「おお! 美しさだけではなく、ひと睨みで相手を射殺せるほどの殺気を併せ持つとは! さすがはリーフェルン。先ほどの爆発的な殺気も顔面蹴りも、実に見事だった。気高く美しく、そして恐ろしい。最高だ」
「……愛の囁き?」
「あ゛?」
ドスの効いた声と共にじろりと睨まれ、レフィスが慌てて口を閉じる。
「まぁまぁ。それよりも状況を整理しましょう」
場の雰囲気を柔らかい笑顔で上手に収めつつ、問題解決に向けてイーヴィがそれとなく話を進めていく。絆は強いくせによく話の脱線する仲間たちを纏めるのは、いつの間にかイーヴィの仕事になってしまっている。
「まず自己紹介しましょうか。私はイーヴィ。こっちの猫がレフィスで、黒ウサギがユリシス。貴方のリーフェルンはライリよ」
「ライリ。良い名だ」
リーフェルンに関すること全てを肯定する男に、さすがのイーヴィも呆れ顔を隠しきれずにいる。顔面蹴りも何のその、名前にすら感動して唸る男は、ライリが足を舐めろと言ったら躊躇いもなく実行するのではなかろうか。
その光景を想像して、ちょっとだけ見てみたいと思ってしまった自分を戒めるように、イーヴィがこほんとひとつ咳を落とした。
「それで貴方は?」
「俺はルクスディルだ。ディルと呼んでくれて構わない」
むしろそう呼んでくれと言わんばかりに、ルクスディルが弾ける笑顔をライリに向けた。
「うざ」
ゴミでも見るかのようなライリの眼差しを受けてもなお嫌な顔ひとつせず、ルクスディルは笑みを浮かべたままイーヴィたちを順に見つめて最後にまたライリで視線を止めた。
「まさかリーフェルンに会えるとは思っていなかったのでな。俺としたことが、つい自分を見失ってしまった。驚かせてしまったようで申し訳ない」
膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめて、ルクスディルが軽く頭を下げた。先ほどと比べて幾分落ち着きを取り戻したのか、口調も纏う雰囲気もどことなく微かな威厳を放っている。
「リーフェルンはウルズ国民の中で知らない者はいないほど有名な鳥でな。その美しさもそうだが、何よりウルズの初代国王クフヴェルドの伴侶として共にウルズを建国したと伝えられている。元々繁殖力の弱い鳥であった為、建国から百年余りで姿を消したと言われていたが……」
言葉を切って、ルクスディルがライリを見つめた。
「まだ絶滅してなかったんだな。良かった! 信じる者は救われる!」
再び興奮したのか語気を強めたルクスディルとは反対に、ライリはひどく冷たいオーラを纏ったまま、もう視線すら合わせなくなっていた。そんなライリの態度も何のその、ルクスディルはすくっと立ち上がるとライリの前まで進み出て、そのまま流れるような動作で膝を付いた。自然に行われた一連の動作はあまりにも優雅で、ルクスディルの姿が物語に出てくる騎士のように見えてくる。
膝を付く騎士と、忠誠を誓われた姫……はこの上なく面倒くさそうな表情を浮かべている。外野のレフィスたちが呆気に取られて言葉を失う中、自分の世界にすっぽりと入り込んでしまったルクスディルの真面目な声が静まりかえった部屋に響き渡った。
「ライリ殿。俺と結婚してくれ」
間髪入れず、ライリが二度目の顔面蹴りを繰り出した。どげしっと踏み付けた鈍い音に、レフィスがお茶を吹き出す音が重なり合う。表情の読めないウサギ顔のユリシスですら、口元を手で覆い僅かに俯いて肩を震わせていた。
「生活には困らない。毎日愛も囁こう。一生大事にすると約束する」
顔面蹴りを食らったままのプロポーズは、違う意味で一生に一度のプロポーズだ。足に踏まれていない右目が、思いを伝えるようにじっとライリを見つめる。
「俺の子を産んでくれ」
ぶわりと殺気が膨れ上がった。目に見えない殺気はライリの髪を妖しく揺らめかせ、天井から吊された果実のランプが鈍い音を立てて次々に罅割れ始める。このままでは部屋全体が崩壊しかねないと、イーヴィが慌ててライリの肩に手を置いた。
「ライリ、気持ちは分かるけど少し落ち着いて」
「悪いけど無理だよ。こんな辱めを受けたのは初めてだ」
「ライリ!」
イーヴィの制止も虚しく、抑えの利かないライリの力が更に膨張する。罅割れたランプの幾つかが割れ、ついには室内の空気が竜巻に似た渦を巻き始めた。みしみしと悲鳴を上げる蔓の壁が一部を損壊させ、低い音を立てて崩れ落ちた音にレフィスが思わず肩を竦める。
「ライリ! 止めて!」
レフィスの声に重なるようにして響いたのは、ユリシスの落ち着いた低い声だった。
「静まれ」
ライリとルクスディル間に割って入ったユリシスが、一言だけ呟いて右手を軽く横に払った。瞬間、それまで部屋中を荒らしていたライリの半分暴走した力の波が、風に流されるようにさあっと霧散して消滅した。
何が起こったのか分からず呆気に取られたままのルクスディルへ向き直って、ユリシスが謝罪の意を込めて頭を下げた。
「仲間の非礼は謝罪しよう。すまなかった」
ユリシスの背後で、ライリが不満げに鼻を鳴らした。
「いや、こちらも事を急ぎすぎたようだ。俺も謝ろう」
「それで結婚の件だが……悪いが承諾は出来ない」
エメラルドグリーンの瞳が大きく見開かれたかと思うと、ルクスディルがユリシスの肩をぐいっと強く掴み寄せた。ルクスディルは未だ膝を付いたままの姿勢のため、小さな黒ウサギ姿のユリシスとは目線がほぼ同じだ。肩を掴んで引き寄せられたユリシスの顔面に、ルクスディルの鼻頭がぺちょんと付く。
「なぜだ! 俺は本気だぞ。……はっ! もしや二人は既に夫婦の契りを……」
「やっぱり殺す!」
ユリシスの後ろで立ち上がったライリが、三度目の顔面蹴りをルクスディルに食らわせた。
「げふ!」
「この頭に詰まってる脳味噌の使い方も知らないようだから教えてあげるよ。僕は男だ。おまけに獣人じゃないからリーフェルンでもない。ちょっと見れば分かるだろ。脳味噌以前に獣人特有の嗅覚も鈍ってるんじゃないの?」
これでもかと言うほど辛辣な言葉を吐き捨てるライリを、エメラルドグリーンの瞳が凝視する。驚愕し僅かな揺らぎを見せる瞳には、ちょっと見ても男だとは到底見抜けない美貌を持つライリが映し出されていた。
「……男。そうか、男か。……男なのに、美しいな」
「あ゛ぁ?」
ぐりっと更に強く踏み付けた足をユリシスが引き剥がそうとするより先に、絶叫に近いクピカの声が部屋中に木霊した。
「あああああっ! ルクスディル様に何という事を……。お止め下さい! お止め下さいぃぃ!」
ルクスディルの顔面を踏み付けるライリの足に、クピカの小さなリスの体がしがみ付く。ぽふぽふと小さな手で足を叩いてくるクピカに毒気を抜かれ、ライリがルクスディルの顔面から足を退いた。
ルクスディルの前に立って、彼を庇うように両腕を横にしてライリを牽制したクピカが、その姿を改めて目にして小さく悲鳴を上げる。
「ひぃっ! リリリリーフェルンっ? え……いや、それでも!」
ぶんぶんっと首を横に振って、再度ライリに向き直る。
「たとえリーフェルンの獣人としても、ルクスディル様に無礼を働くことは許されません!」
「先に無礼を働いたのはそっちだよ」
「ルクスディル様がそのようなことをなさるはずがありません。この方はウルズ国の王となられるお方でありますぞ!」
一瞬の沈黙の後。
「「「「はい?」」」」
ライリたち四人の声が、物の見事に重なった。
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