第69話 ルベルク温泉郷
獣人の国ウルズは、その大半が自然に囲まれた緑豊かな国である。
若草色の草原が広がる牧歌的な村を通り過ぎると、今度は様々な商品を扱う露店が並ぶ町があり、草原とは打って変わって活気に満ちた元気な声があちこちで飛び交っている。その雑多なメインストリートを抜けるとどこまでも広がる緑の大地を緩やかに蛇行する川があった。
川の上流を辿ると、小高い丘の上に聳え立つ立派な城が見える。城の建つ丘のそのほぼ半分は、まるで巨大な獣の手によって削り取られたかのように切り立った崖の形をしており、割とギリギリに建てられた城の足下から滝のように水が流れ落ちていた。落ちた水はそのまま蛇行する川の流れとなり、ウルズの全域に幾つも枝分かれしながら草原の向こうまで伸びている。
そのうちの一本の流れは城から西の方角にある森の中へ消えており、入り口には下手くそな字で「ルベルク温泉郷はこちら」と書かれた看板が立てかけられていた。
森の入り口には四人の獣人がいた。
興味津々に白い猫耳をぴくぴくと動かす女と、その女の腰くらいの背丈で二足歩行する黒ウサギ。どこか妖艶な魅力を醸し出す狐の獣人の横には、大きめのローブを羽織った人物がフードも目深に被って立っている。
「花の湯、果物の湯、美肌の湯って言うのもある。薬湯に……肉の湯って何? グロい」
看板に吊されて置かれていた温泉案内の地図をひとつ取って眺めていたレフィスが、温泉とは到底思えない名前を見つけて頭の猫耳をぴくんと震わせた。
「温泉に浸かりながら肉料理って事もあるわよ?」
人差し指を顎に当ててくすくすと笑う狐耳のイーヴィは、普段よりも色気がぐっと増したようにも見える。狐の獣人恐るべし。
「お肉かぁ……それはそれでありかも」
「色気より食い気か」
黒ウサギがぼそりと呟いて、ひとりさっさと先へ進んでいく。身長が子供くらいにまで縮んでしまったウサギは、レフィスたちと違って姿は完全な獣のままだ。
獣人の国では主に二種類の獣人がいる。レフィスたちのように獣の一部分だけを残した人型と、姿はそのままで人間のように歩く獣型だ。獣型の方がより獣の血が濃いとされているが、血の濃さによって身分が分かれると言うことはない。
先を歩く黒ウサギの後ろ姿を見ながら、レフィスは脳裏に思い描いた人物と黒ウサギとのギャップに必死で笑いを堪えていた。いつもはレフィスを置いてすたすたと歩いて行く彼も、今は歩幅が狭いのでせかせかと必死に歩いているように見えるのだ。歩く度に左右に揺れる丸い尻尾も可愛すぎて堪らない。
「ユリシス可愛い」
「もう一度言ったら仕置きだ」
間髪入れずドスの効いた声で制して、黒ウサギのユリシスがレフィスを睨み付けた。そのつぶらな瞳も、また可愛かった。
***
ルベルク温泉郷を訪れる数日前。
湯治を勧めたフレズヴェールが、後日ある魔法薬を取り寄せた。黄色、水色、桃色、緑色とすべて色の違う小指の先ほどの小さな珠は、以前イーヴィたちが情報を買いに訪れた「死神の大鎌」で手に入れたらしい。その店の名前を聞いたライリが店主のアシュレイを思い出して一瞬だけ眉間に皺を寄せた。
「ルベルク温泉郷は誰でも入れるんだが、奥に秘湯があってな。そこには限られた獣人しか入れないんだよ。その秘湯が怪我に良く効くらしい」
その先は言われずとも理解できた。目の前の魔法薬は獣人に姿を変えるものなのだろう。真っ先に興味を示したレフィスの瞳が、興味津々に魔法薬を見つめている。
「何の獣人に変身できるの?」
「それは飲んでからのお楽しみだ」
悪戯をする子供のような笑みを浮かべて、フレズヴェールが各々に薬を選ばせる。
「アシュレイが言ってたが、ひとつだけ当たりがあるそうだ」
***
森の中には温泉へ誘導する立て看板があちこちに設置されており、少し奥へ進むと休憩所なのか少し開けた場所に出た。冷たい飲み物などを売る店も幾つかあり、温泉を堪能した獣人たちが花の香りや肉の匂いを漂わせながら涼んでいる。
獣人ばかりかと思ったが人の姿も意外に多く、その中に数人のエルフを見つけたライリは驚きのあまり暫くエルフたちを凝視してしまった。獣人の国とエルフの国がそこそこ親交があるというのは間違いではないらしい。
広場を抜けると森の更に奥に続く一本道が現れた。道の両側に等間隔で置かれた明かりが、鬱蒼とした森を仄かに照らし出している。何かの果実をくり抜いて作られた明かりは道標のようにレフィスたちを誘導し、役目を終えた先には獣型のリスの獣人が背中をこちらに向けて座り込んでいた。
レフィスたちの足音に気付いてびっくりしたように振り返ったリスの獣人は食事中だったらしく、大きく膨らんだ頬袋からポロリと木の実が一粒零れ落ちた。その呆けた姿が異常に愛らしく、レフィスはめちゃくちゃに抱きしめたい衝動を必死に抑えて下唇とぎゅうっと噛み締めた。
「やあやあ、お客さんですか! いや食事中で失礼」
頬袋をいっぱいにしたまま少しも言葉を詰まらせないリスの獣人が、ぴょんっと立ち上がってレフィスたちにお辞儀をした。
「この先の温泉は所謂VIP制となっておりまして……許可証はお持ちですか?」
流暢に喋る合間に、ボリっと木の実の砕ける音がする。喋りながら食べる熟練の技は、それがいつ行われたのか分からないほど実に自然だ。
「許可証って……もしかしてフレズヴェールに渡された、あれかしら?」
イーヴィから視線を投げられ、レフィスがバッグの中から金色のゴツい腕輪を取り出した。出かける前にフレズヴェールが渡した腕輪は見るからに高価そうで、細やかな細工と共に青い宝石を咥えるようにして一匹の獣の姿が掘られている。
通行書みたいなものだと言って渡された金色の腕輪だったが、それを見たリスの獣人はなぜかつぶらな瞳を大きく見開いて、頬袋に詰め込んだ木の実を口からぼろぼろと零してしまっていた。
「エルバムス様のご紹介でしたか。これは失礼しました。ささ、どうぞ」
森の中なのに扉がある。木製の扉には腕輪と同じ獣の姿が掘られており、その扉の向こうは森の中とは思えないほど豪華な作りの空間が広がっていた。
太い緑の蔓を絡ませて作った壁には小振りな花が点々と咲いており、天井まで囲う緑の壁から垂れ下がった蔓の先端には先ほどと同じ果実をくり抜いて作ったランプが灯されている。
休憩所と言うよりは広い個室のようで、ゆったり座れるソファや横になれる簡易なベッドまで用意されていた。幾分面食らった様子のレフィスたちをソファへ促して、リスの獣人が木の器に入った飲み物をテーブルに置く。
「わたくしはここの管理を任されているクピカと申します」
そう言ってお辞儀をしたリスの獣人――クピカは施設の説明を始めた。
「温泉はあちらの扉から行けます。大小様々な温泉がありまして、効能は治療や美肌など詳細は看板に記してあります。明確に男女で分かれておりませんが、温泉自体に簡易な仕切りを設けておりますのでご安心下さい。あとこちらの施設と温泉は自由にご利用頂いて構いません。何かご入り用でしたらこちらを鳴らして、わたくしをお呼び下さい」
そう言ってテーブルの上に木の板と棒を一本置く。何の変哲もない板きれだがよく使い込まれていて、真ん中が僅かに窪んでいる。
「何かご質問はございますでしょうか?」
問われて、四人が一斉に顔を見合わせた。口に出さずとも、抱いた疑問は皆同じのようだ。確認するように小さく頷いたレフィスが、四人を代表して手を挙げた。
「あの……エルバムスって、誰?」
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