第68話 ミロフィを召し上がれ

 営業前のギルドには当然誰もおらず、朝日の射し込み始めた室内にマローダの香ばしい匂いが漂っていた。カウンターに置かれた三つのカップのうちのひとつには、ミルクがたっぷり注がれている。


「ほらよ。お前さんはこっちだ。甘さも足しといたからな」


 そう言ってミルクの入った方をレフィスの前に置いて、フレズヴェールも淹れたてのマローダの香りを楽しんでからカップに口を付ける。レフィスとイーヴィも同じようにマローダを飲みながら、ほんの少しの間無言で久しぶりの再会を喜んだ。


「それはそうと、お前さんたちだけか? ユリシスとライリはどうした?」


「何か用事があったみたい。後から来るって言ってた」


「そうか。……それにしてもレフィス、お前さん無事で本当に良かったな」


「マスター。心配かけてごめんなさい」


 しゅんと俯くように下げられた頭を、フレズヴェールが大きな手でぽふっと軽く撫でてやる。大きな手のひらの下で、レフィスがはにかむように笑った。


「それで、一体何があったってんだ? あぁ、話せる範囲でいいぞ」


 パーティ解散の手紙を読んだのはフレズヴェール本人だ。そこに書かれていたユリシスの名前――ルーグヴィルドの名が示すものが何であるのかフレズヴェールが分からないはずがない。

 ルナティルスの統治者であるルーグヴィルド王家。十年前の反乱で根絶やしにされたと思われていた、最後の生き残りがユリシス=ルーグヴィルドだ。それらを結び付け、そこから派生する幾つもの事柄は機密事項にも値する話だろうと容易に想像が付く。だから、話せる範囲でいいのだ。


 上手く説明出来ないレフィスの代わりに、イーヴィが今までのことを話し始めた。

 レフィスを捜して遠くイスフィルの村へ行ったこと。

 そこで王女ルージェスからユリシスの危機を知り、三人でルナティルスへ潜入したこと。

 無事に帰還し、深手を負ったユリシスも順調に回復し、今に至ること。

 ブラッディ・ローズをレフィスが継承したことは黙っていた。


 イーヴィの話を最後まで聞いて、フレズヴェールがふうっと気の抜けた溜息を零した。


「あのルナティルスから、よく無事に帰って来られたな。いや本当……良かったよ」


 心の底からほっとした様子で、カップに揺れるマローダの茶色を呆けたように見ていたフレズヴェールが、残っていたそれを一気に飲み干した。そして思い出したようにテーブルに置いたままだった袋から、例のミロフィの果実を取り出した。


「まぁ、何だ。無事に帰ってきたお祝いに珍しいもん食わせてやるよ」


 ごとんと置かれたその赤い果物が、レフィスを「見て」ガチッと歯を噛み合わせた。


「ひぃっ!」


 引き攣った悲鳴を上げて、レフィスがイーヴィに抱きつく。その懐かしい光景を見て、フレズヴェールが声を上げて豪快に笑った。


「なっ、何それ! 歯が生えてるっ」


「ミロフィって言ってな。獣人の国ウルズではよく食べられてる果物だ。こんな見てくれだが、味は旨いぞ。この歯の周りの部分が一番甘くてな……」


 そう言いながら、フレズヴェールが果物ナイフを探しに奥へと消えた。救いを求めて青い顔を横に向けたレフィスだったが、僅かな希望は柔らかく微笑んだイーヴィの言葉によってあっけなく崩れ落ちてしまった。


「厚意は素直に受け取っておくものよ」


「ええっ? だってアレよ?」


「あら、ミロフィは本当においしいわよ。そこの角のお菓子屋さんで、前にあなたも食べたじゃない。ミロフィのケーキ」


「だって……あんなにグロい果物だとは思わなかったんだもの」


 ひそひそと話す二人の声は聞こえていないのか、奥の部屋からかすかに鼻歌っぽい旋律が聞こえてくる。


「生は嫌。生は嫌」


 呪文のように繰り返される言葉の途中で、奥から「あいたっ」と声が漏れ聞こえる。それを聞いたレフィスの顔から、さあっとまた血の気が引いた。


「やっぱり噛むんだ-」


 テーブルに肘をついて頭を抱え込むレフィスに、イーヴィが堪えきれずにくすくすと声を漏らして笑い出した。


「イーヴィも一緒に食べるんだからね!」


「はいはい、分かったわ。でも一番甘い歯の所はあなたに譲るわね」


 拒否しようとしたレフィスの声が出るより先に、小皿を持ったフレズヴェールが奥の部屋から戻ってくる。それとほぼ同時にギルドの扉が開かれ、外からユリシスとライリが静かに入ってきた。


「おう! 話は聞いたぞ。お前さんたちも、よく戻ったな」


「フレズヴェール。……迷惑をかけた。すまない」


「無事で何よりだ。待ってろ、今マローダを淹れてやるからな」


 新しく来た二人のために甲斐甲斐しくマローダを用意するその姿は、ギルドマスターと言うよりは子の世話を焼く母親のようだ。カウンター越しに見え隠れする狼の尻尾がふぁさふぁさと左右に揺れているのを見て、レフィスたちはフレズヴェールと同じようにこの時間に戻れたことを心から嬉しく思うのだった。



「あれ? ユリシス、頬どうしたの? 何か少し腫れてるみたい」


 レフィスの隣に腰掛けた事でより鮮明に見える左頬が、少し赤く熱を持って腫れていた。


「あぁ……ちょっと、な」


 歯切れ悪く言い淀んで暫く間を置いた後、再度レフィスを見やってから、ユリシスが右手の親指で左頬をさらりと撫で下ろした。


「さっきちょっと絡まれただけだ」


「えっ? でもそれ殴られた痕なんじゃ」


「心配するな」


「でも……」


 なおも食い下がろうとするレフィスに痺れを切らしたのか、ユリシスがフォークに刺してあった薄桃色のミロフィの果肉をレフィスの口に強引に突っ込んだ。


「むぐっ」


「少し黙れ。……事を大きくしたくないだけだ。大丈夫だから」


 そう言われたことと口内のとろけるような甘さに、レフィスがぴたりと大人しくなる。無理矢理突っ込まれたはずのミロフィだったが、意外に心を虜にする甘さで、レフィスは黙ったまま二個目の果肉に手を伸ばしていた。


「ほんと、相変わらずの単純ぶりだね」


 三個目に手が伸びそうになっていたレフィスだったが、残った果肉の端っこが僅かにギザギザになっているのが見えて、慌ててフォークを戻すと小皿ごとライリの方へ押しやった。


「そんなに食べたいならあげる」


「はぁ? 食べ残しなんかいらないよ」


「おいしさを分かち合いたいの! すっごく甘いんだから。食べないともったいないんだからね。しかも残ってるその部分、一番おいしいとこなんだから」


 イーヴィを挟んで交わされるやりとりもまた懐かしく、二人以外は嬉しいような呆れたような曖昧な笑みを浮かべてレフィスとライリを見つめるのだった。


 なかなか食べないライリに強硬手段を取ったレフィスが、フォークを無理矢理握らせようとしてライリの右手をむんずと掴んだ。その拍子にライリが短い呻き声を上げて、掴まれた右手を振り払った。


「どうしたの? 怪我してるの?」


「何でもないよ。ちょっとぶつけただけだ」


 そう言って話題を終わらせるように、ライリがフォークに刺さったミロフィを口に放り込んだ。これ以上話すことはないとでも言うように視線を逸らされ、レフィスも大人しく乗り出していた体を元の椅子の上に戻す。その横ではライリとユリシスを横目で盗み見るイーヴィが、気付いた言葉を嚥下するようにマローダを飲み干した。


「何だ何だ? 帰ってきたと思ったら、早速怪我か? そんな体で仕事出来んのか?」


 と言ったかと思うと、フレズヴェールがううむと唸る。


「ってか、そうだよな。よくよく考えてみりゃ、お前ら病み上がりだよな」


 フィスラ遺跡で生死の境を彷徨ったレフィスに、ルナティルスで似たような目に遭ったユリシス。ライリの右手の打ち身も怪我に入れれば、この中で健康なのはイーヴィしかいない。イーヴィひとりでも依頼はこなせるだろうが……考えて、フレズヴェールが顔を上げた。まるで名案が思いついたとでも言わんばかりの笑顔がそこにあった。


「よし! 休暇だ! お前ら全員でウルズのルベルクに湯治に行ってこい!」

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