第62話 レフィスの覚悟

 武器屋の店主は強面のわりに気さくな人柄で、城へ行くのならと炎の魔力を込めた硝子玉を幾つかレフィスにくれた。

 重要な場所には鍵がかかっているだろうし、手当たり次第破壊して行っては不要な戦闘を招きかねない。火よりもワンランク上の炎の魔力を込めたそれは、簡単な鉄の鍵くらいなら難なく溶かせるほどの代物で、今から城に忍び込むレフィスたちにとってもありがたい物だった。


 城の裏門が見える木陰に身を潜め、イーヴィが記憶を頼りに地面に簡単な見取り図を描いた。


「裏門を抜けて城を右側に回り込めば出入り口があるから、ここから中に入って一階の左奥の階段が地下牢への入り口になるわ」


 木の棒で地面の見取り図をなぞりながら説明して、イーヴィが様子を伺うように城の裏門へと視線を向けた。城周辺の空気が時折薄い絹のようにさざめいて、そこに結界が在る事を静かに物語っている。


「結界があるから見張りはいないのね」


「ルナティルスの住民たちは近寄れないし、もともと外からの侵入もないに等しいからね。そりゃ警備も手薄になるよ」


「私が結界を破るわ。そしたらそのまま私とライリは城の左側へ抜けて、出来るだけ多くの敵を引き付けるわ。レフィスは少しの間身を潜めて、戦闘が始まった頃合に右側の出入り口から城へ侵入して頂戴。中にも敵はいると思うから出来るだけ見つからずに、もし戦闘になったのならブラッドを使って一気にけりをつけなさい。長引けば目的がユリシスだとばれて、地下牢に敵が押し寄せてくるわ。場合によっては、あのリーオンもね」


 脳裏に浮かぶリーオンの姿と胸の傷が共鳴したように、数回だけ鈍く痛みを発した。胸元に当てた手のひらに指輪の感触を確かめて、レフィスは深く息を吸い込んだ。


「大丈夫。任せて」


 いつになく強く言い切ったレフィスにふわりと微笑んで、イーヴィが優しくレフィスの頭を撫で下ろした。それだけなのに、レフィスの体に入っていた余計な力が剥がれ落ちていくようだった。


「レフィス。行く前にひとつ確認したいのだけれど」


 優しい笑顔のまま、けれど眼差しはひどく真剣で、その奥にはかすかな哀れみのような光すら垣間見える。その鳶色の瞳に正面から見つめられ、レフィスが無意識に姿勢を正して呼吸を整えながら次の言葉を待った。


「ユリシスを助ける事で、あなたの存在がルナティルスに知られるかもしれないわ。ブラッディ・ローズの継承者としてね。今までの平穏は失われ、今以上に危険な事が起こるかもしれない。常に命を狙われるかもしれないわ。……あなた、それでもユリシスを助けに行く?」


 束の間、風が止まった。無音にも似た深夜の闇の中、聞こえてくる自分の鼓動に耳を澄ませながら、レフィスは静かに自分の中にある数々の記憶を呼び戻してみた。


 幼い頃の約束も、ギルドに入ってからの日常も、記憶から消えてなくなった痛みも全部思い起こして、その記憶の中心にいつでも在り続けた存在を何よりも愛おしく思う。思えば幼い頃、指輪を預かった時から、レフィスの運命は決まっていたのかもしれない。


 危険は承知の上でルナティルスへ来た。ユリシスがなぜ、記憶も存在も消して行ってしまったのか、今ならその意味も痛いくらいに理解できる。

 けれどレフィスはもうその力を手にしてしまった。ユリシスがどんなに危険から遠ざけようとしても、力がレフィスと共にある以上、完全に安全な場所などどこにもないのだ。


 それならば、安全な場所を作ればいいと思った。自分が何より信頼する仲間と共に、自分自身が力と共に安全な場所になればいいのだ。その覚悟をして、レフィスはルナティルスへとやって来たのだ。


 あれこれ考える必要もない。答えは既に決まっている。


「勿論行くわ。だって私、ユリシスを助ける為にここまで来たんだもの」


 しっかりと迷いのない口調で言い切ったレフィスに、イーヴィとライリが顔を見合わせてかすかに笑った気がした。






 城の裏門には驚くほど人気がなかった。ライリの言うように結界はもとより、ルナティルスに侵入する者などいないだろうという認識の甘さでもあった。


「いい? 行くわよ」


 確認して、イーヴィが右手を結界に触れるすれすれにかざした。どこからともなくふわりと風が舞い、イーヴィの長い髪が妖しく揺れ動く。小声で唱えられる呪文は聞いた事もない韻を孕んでいて、耳にするだけで意識を奪われそうになる不思議な呪文の綴りだった。


 淡々と続いた呪文が、ふと音階をあげて一段高く響いた。かと思うとかざしていた手の中指が僅かに動き、明らかな意図を持って楽器を弾くように結界に触れた。

 その瞬間、結界にひときわ大きな金色の魔法陣が浮かび上がり、揺るやかに自転しながら淡く光を放ち始めた。再度結界を弾いたイーヴィの中指から次いで現れ出た銀色の魔法陣が金色の魔法陣と同じように自転を始める。その二つの魔法陣がぴったりと重なり合った瞬間、目の前の結界に大きな罅割れが生じた。


「さあ、ライリ。思う存分暴れて頂戴」


 言い終わると同時に罅割れが蜘蛛の巣状に広がり、そしてそのまま音のない爆発と共に大きな穴を開けて砕け散った。


「じゃあ、レフィス。ユリシスは頼んだわよ」


 そう言って真っ先に駆け出していったイーヴィを追って、ライリも遅れまいと走り出す。すれ違う瞬間に一瞥して、少し強いくらいの力でレフィスの背中を叩いていったライリの姿も、あっという間に遠くなる。


「二人とも気をつけてね!」


「誰に向かって言ってんのさ!」


 完全に姿が消える直前に聞こえた相変わらずの言葉に、自然と笑みが零れ落ちた。二人なら大丈夫だ。後は自分がしっかりユリシスを助け出さねばと、レフィスは気持ちを落ち着かせて深く息を吸い込んだ。





 力は、それを振るう者によって善にも悪にもなる。思わぬ形で、誰もが欲しがる強大な力を手に入れたレフィスは、正直この大きすぎる力をどう扱っていいのかも良くわからない。

 けれど自分には信頼できる仲間がいる。迷った時に道を指し示し、間違った時には叱ってくれる唯一無二の仲間たち。彼らとなら、きっとこの力をいい方向へ使えるような気がした。

 ブラッディ・ローズを受け入れ、共に行くと言う選択をした時点で、レフィスはあらゆる覚悟をしてイスフィルを後にした。


 力に呑まれない、そして溺れない覚悟。

 自分の意思を迷わない覚悟。

 死ぬかもしれないと言う覚悟。


 生半可な覚悟では、ブラッディ・ローズを持つ資格も、ユリシスを助けに行く資格もない。守られるだけではなく、自分が皆を守るくらいの気持ちで、レフィスはしっかりと己のこれからの運命と向き合う覚悟をした。

 ブラッディ・ローズの力は、大切なものを守る為に使う。それが自分自身に立てた誓いだった。




 裏庭の植え込みの下に身を潜め、息を殺してその時を静かに待つ。胸が痛いくらいに早鐘を打ち、口の中が一気に干上がっていくのを感じながらも、レフィスは両手を強く握り締めたまま二人を信じて目を閉じた。

 視界を遮断し、聴覚にのみ集中する。やがて城の向こうから激しい爆発音と共にいきり立った多くの声が聞こえてきたのを合図に、レフィスが閉じていた瞼を静かに開けた。


「ブラッド」


 名を呼ぶと同時に、レフィスのすぐ側に真紅の影が姿を現す。


「行こう。ユリシスを助けに」


 そう言って見上げたレフィスを、ブラッドはいつもと同じ変わらぬ表情のまま見下ろしていた。

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