第60話 囚われの民
花屋の奥の自宅へ招かれたレフィスたちは、促されるままアランと向かい合う形で居間のソファに並んで座った。キッチンから戻ってきたクロエが、慣れた手つきで人数分のお茶を用意する様子を眺めながら、レフィスは自分の中でざわつく焦燥感を必死に押し殺していた。
「気持ちを落ち着かせてくれるハーブティだよ。クロエの淹れてくれるお茶は美味しいんだ」
「皆さんも、どうぞ」
それぞれの前にカップを置いて、クロエが改めてアランの横に腰掛ける。それを見計らったようにして、イーヴィが口を開いた。
「早速で悪いんだけど、状況を説明してくれるかしら? 私たちはルナティルスについて、ほとんどと言っていいほど何も知らないのよ」
「その前にひとつだけ確認させて欲しい。――やっぱり、ユリシスは捕まってしまったのかい?」
改めて口にされた事で事態の深刻さが浮き彫りになり、レフィスは胸の奥が鋭く抉られたような感覚に呼吸を止めた。
「ルヴァルドからは、そう聞いてるわ」
「彼は?」
「今はジルクヴァインの王城で保護されているわ。傷は深いけれど、命に別状はないそうよ」
「そうか。……良かった」
肩の力を抜いて、アランが深く息を吐いた。持っていたカップがかすかに揺れ、中身が零れそうになるのをもう片方の手で押さえながら、ゆっくりとそれをテーブルに戻した。
「仲間からの情報でユリシスが捕えられたらしいと聞いてはいたけど、ルヴァルドも一緒にいたし……彼ほどの力を持つ者がそう簡単に捕まるとは思えなくてね」
僅かに俯いていた顔を上げて、アランが目の前に座るレフィスたちを真っ直ぐに見つめた。
「ユリシスたちがここへ来たのは数週間ほど前の事だ。城へ侵入し、リーオンが手にしたラカルの石を破壊、もしくは奪う計画だったらしい。……計画が失敗したと言う事は、リーオンは既にラカルの石をある程度使いこなせていると言う事か」
「ラカルの石の事まで知っているのね」
「大体はね。リーオンはブラッディ・ローズをずっと探し続けてた。その過程でフィスラ遺跡の遺物を知り、ブラッディ・ローズの代わりにしようとしたんだ。けれど心のどこかでは、未だに本物の秘宝ブラッディ・ローズを求めてるはずだ。だから、きっとユリシスは城のどこかに生きたまま捕えられていると思う」
「ユリシスからブラッディ・ローズの在り処を探ろうとしてるって事? ラカルの石を手にした上に、ブラッディ・ローズまで欲しがるなんて貪欲で意地汚いね」
ライリの暴言を聞きながら、レフィスが無意識に胸元へ手を当てる。服の下に隠した指輪の存在が手のひらを通して伝わり、レフィスの脳裏にブラッドの姿が浮かび上がる。
普段から感情などかけらも見えない彼は、ただ「力」としてそこに在るだけの存在だ。そんな彼がもしリーオンの手に渡れば、きっと何の躊躇いもなくレフィスたちを攻撃するだろう。それが、彼の存在理由なのだ。
「そもそも、そのリーオンと言うのはどういう人物なの? ルナティルスの支配者のようだけど」
「十年前の反乱の時、指揮を取っていた側近の一人フォードの一人息子がリーオンだ。反乱後はフォードが一時実権を握っていたんだけど、五年後にリーオンが彼を暗殺し、今に至る。恐ろしく頭のいい、残虐な男だ。十七歳の時に実の父を躊躇いもなく殺し、魔物と僕たち神魔の血を掛け合わせた魔族の研究を完成させたんだからね」
「ユリシスとは、幼馴染になります」
それまで黙っていたクロエが言葉少なに告げて、寂しげに目を伏せた。そんなクロエの手に自分の手を重ねて、アランが心配ないと告げるように優しく微笑んだ。
「話を戻そう」
そう言って、アランがおもむろに自分の手をテーブルの上に置いた。瞬間、アランの手のひらが淡く光を放ち、それは瞬く間にテーブルの上を薄いクリーム色の光の膜で覆い尽くした。何事かと目を見張ったレフィスたちの前で、光の膜の表面にぼんやりと城の見取り図が浮かび上がる。
「これは……」
「少し見辛いと思うけど、形に残るものは危険だからね。何とかこれで覚えて行ってもらっていいかい? ユリシスが捕われているとしたら、おそらく地下牢だ。ここの階段から地下へ行ける。……僕たちも手伝えたらいいんだけど」
「情報をくれるだけで十分よ。何かあった時に貴方たちが手を貸した事がバレれば、ただではすまないでしょうしね。ここに住んでいる者なら尚更、顔を知られるべきではないわ」
そう言ったイーヴィに、アランは申し訳なさそうに緩く首を横に振った。
「せめて、ルナティルスから出る術が僕たちにあったなら、一緒にユリシスを助けに行けるのに……」
「あの……貴方たちは、ルナティルスから出られないの?」
悔しげに呟いたアランの言葉に疑問を抱いて、レフィスが思わず口を挟んだ。
ルヴァルドの魔法陣を通して、レフィスたちはルナティルスへとやって来た。もちろん今までもユリシスとルヴァルドは、幾度となくルナティルスを訪れていただろう。
入る事も出る事も出来たユリシスやレフィスたちと違い、アランたちはそうではないと言う。自分がここへ来た経緯を思い出しながら、それらしい答えを見つける事が出来ずにいたレフィスに、アランが諦めに似た淡い微笑を浮かべた。
「反乱が起きた直後は何とか国外へ逃げた者もいたようだけど、リーオンの支配下に変わってからは誰一人として国外へ出た者はいない。……これを」
そう言って服の袖を捲ったアランの右腕には、明らかに人為的に黒い小さな石が埋め込まれていた。石の周りには不気味な模様が浮き出ており、それはレフィスたちが見ている前で時折血を滑らせたように鈍く光った。クロエの左手の甲にも同じような模様と石が埋め込まれている。
「これはルナティルスの民すべてに埋め込まれた、魔力を吸い取る石だ。吸い取られた魔力はルナティルスを覆う結界や、リーオンが魔族を作る為に使われたりしている。魔力を吸い取られるからと言って死ぬ訳ではないし、魔力自体も時間があれば回復する。僕たちは日々の生活を約束される代わりに、こうやって魔力を奪われているのさ」
「この石を埋め込まれた者がルナティルスの結界に触れると、消滅してしまいます。だから私たちは国から出る事が出来ず、日々魔力を奪われる為だけに生かされている」
それまで黙っていたクロエが、自分の言葉を噛み締めるように呟く。言い終わると同時に左手の石を右手で覆い隠して、今にも泣きそうな瞳を閉じて俯いた。かと思うとすぐさま顔を上げ、真っ直ぐに強い眼差しを向けてレフィスたちを見つめ返した。
「奪われた私たちの魔力がどのように使われ、どのように世界を脅かしているか、分かっているつもりです。きっと多くの人を殺め、貴方たちを傷付けもしたでしょう。許されないかもしれませんが、それでも私たちは自分たちに出来る事で、少しでもリーオンを止められればと……それがルナティルスの解放に繋がる事を願って、今までユリシスを助けてきました」
声が、震えていた。必死に語りかけてくる青い瞳の奥には、儚い外見とは裏腹に強い意志が垣間見え、その思いが涙となって一粒白い頬を滑り落ちる。
「ユリシスが生きていると分かった時、私たち本当に嬉しかったんです。私たちの身を案じ、影からいつも助けてくれた。その彼が捕われているのに、私たちは城に近づく事すら出来ない」
唇をきつく噛み締めて、クロエが深々と頭を下げた。
「お願いします。どうかユリシスを……彼を助けて下さい」
切に願うその姿は、レフィスがユリシスの身を案じて不安になるそれと、どことなく似ているような気がした。
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