第59話 リヴェスティールの花屋
レフィスたちは今、ルナティルスの王都リヴェスティールにいる。
綺麗に整備された石畳の城下町には、闇を仄かに照らす街灯と、季節の花を咲かす花壇が、等間隔に綺麗に設置されている。時刻は深夜に近く、民家の明かりはほぼ消えていたが、飲食店の看板が並ぶ通りの方はまだ何件か営業しているらしく、時折酔った男の声が響いてきた。
もっと禍々しい空気に包まれた様子を想像していたレフィスは、ここがベルズの有り方とさほど変わらない事に驚きを隠せないでいた。ルナティルスへ出発する前にルヴァルドから少しだけ街の様子を聞いてはいたが、ここまで自分たちの暮らしと変わらない街を目にして、レフィスはルナティルスに対しての自分の知識がいかに凝り固まっていたかを恥じた。
反乱は確かに起きた。各国を脅かす魔族も、ルナティルスの脅威に間違いない。けれどそれはルナティルスの一部であって、そこに暮らす人々はレフィスたちと同じように笑い、泣き、時に怒って、時に恋をしながら生きている。
目的の花屋は、案外すぐに見つかった。普通ならとっくに閉店している時間帯だったが、レフィスたちが二つ目の角を左に曲がったちょうどその時、目指す花屋は暗い通りに一軒だけ明かりを残したまま閉店作業を行っていた。
緑色のエプロンをした若い男が、店先に置いていた花の入ったバケツを抱えて行ったり来たりしている。一人でやっているのかと思っていた所に、今度は店内から儚げな外見をした美しい娘が現れた。
他愛ない会話の合間に微笑みを交し合い、どこからどう見ても仲睦まじい様子で閉店作業をする若い男女を見て、ライリが声音に不審な響きを込めて呟いた。
「花屋、だよね」
「どこからどう見ても花屋よ。……レジスタンスであるかどうかは、微妙だけれど」
近付くにつれ二人の姿がはっきりわかってきたが、目に映る男女はやっぱりどこをどう見てもレジスタンスと言う言葉の似合わない二人だった。
男の方はどちらかと言うと細身で筋肉も少ない優男。女はまた不思議で、身なりは庶民の街娘なのだが、内から漂う気品のようなものが感じられる。人形のように愛らしく、壊れ物のように繊細なその姿は、花屋で働く娘と言うよりはむしろ高貴な身分である事を物語っているようにも思えた。
「場所に間違いないし、ちょっと話してみる? 優しそうだし」
「見かけはあまり当てにならないものよ、レフィス」
「いい例があるじゃないか」
そう言ってイーヴィを指差したライリに、当の本人はさして気にも留めずににっこりと笑うだけだった。
深夜の通りには他に通行人はおらず、男はすぐにレフィスたちに気付いて、人のよさそうな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「やあ、こんばんは。ちょうど良かった。もう少しで閉めるところだったんだ。どんな花が必要なんだい?」
屈託のない笑顔はどことなく心を解すような温かさで、それは花屋を営むこの男にとてもよく似合っていた。
「遅くまで開いてるのね。客は来るの?」
「まあ、少しはね。向こうの通りに酒場が何件かあっただろう? たまに踊り子や歌姫に贈り物として買っていく客がいるんだ。ここでは手に入らない珍しい花もあるからね」
「あら、本当。リアファルにしか咲かないキュアノスもあるのね。どうやって手に入れるの?」
男の足元のバケツに入った瑠璃色の瑞々しい花を手に取って、イーヴィが演技ではなく本心から驚いて目を見開いた。そんなイーヴィに男も少し驚いた表情を浮かべたが、それはすぐに笑顔の奥へと隠して、花屋の店主へと切り替わる。
「キュアノスがエルフの国でしか咲かないって、良く知ってるね。僕たちはルナティルスから出る事も出来ないからね。本を読んで、知識を得て、そこから創造するのさ。――ここにある花は全部、僕が魔法で作り上げたレプリカなんだ」
バケツから瑠璃色のキュアノスを手に取った男が、香りを嗅ぐ真似をしてみせる。つられてイーヴィも鼻を近づけてみたが、その花からは何の香りもしなかった。
「実際に見た事のある花なら、何とか香りまで再現できるんだけど……キュアノスはさすがに無理かな」
花をバケツに戻して、少し寂しげに苦笑した男が、花からレフィスたちに視線を戻す。優しい色をした瞳の奥に、かすかに揺らめく疑惑の光を垣間見た気がした。
「お客さんたち、ここら辺じゃ見ない顔だよね。どこから来たの……って、聞くのも無粋かな? ここにいるんなら、ルナティルスからしか来られないしね」
男の目が探るように、レフィスたちを順に捉えていく。穏やかだと思っていた空気が瞬時に緊迫し、それまで率先して会話をしていたイーヴィですら、安易に言葉を発する事が出来なくなる。互いが相手の出方を待ち、慎重に事を構える中、先に声を発したのは男の方だった。
「クロエ、君は先に戻ってていいよ。良かったら一緒にその花も持っていってくれないか?」
あくまでも花屋の店主として仕事を言いつけたかのように振舞って、男がクロエと呼んだ女性の足元に置かれたバケツを指差した。少しの間視線をさ迷わせたクロエだったが、それ以上男が何も言わないのを静かに受け止めて、緊張した表情のまま足元のバケツを持ち上げて奥の部屋へ戻ろうと踵を返した。
その拍子に、レフィスだけが目を見張った。ほんの僅かに揺れ動いた空気に、懐かしい香りが紛れ込む。
冬に咲く花の、春の陽だまりを思わせる優しい香り。
「――エリティア」
レフィスの唇を割って零れた花の名に、男とクロエが見て分かるほど驚愕した表情を浮かべた。振り返ったクロエの持ったバケツの中には、イスフィルで幼い頃にレフィスがユリシスにあげた淡い桃色をした野の花が揺れていた。
『また戻ってくる。それまで、これを持っておいてほしい』
そう言って指輪を預けていった幼い頃のユリシスの姿が、レフィスの脳裏に浮かび上がる。
幼い二人の、別れの夜。静かに降る雪と、別れを惜しむように揺れるエリティアの花に埋もれて、レフィスの記憶の中からユリシスの姿だけが消えていく。その残像を呼び戻すように、レフィスがしっかりと彼の名を呼んだ。
「ユリシス……」
ルナティルスの地では禁忌ともなりうる名に、レフィスを除く全員がぎょっとして目を見開いた。
「お、……いっ、この馬鹿女!」
慌ててレフィスの腕を引いて後退したライリが、素早い動きで周囲を様子を確認する。幸い通りは先程と変わる様子もなく深夜の静けさに包まれており、僅かな闇の隙間にも怪しい気配は感じられなかった。ほっと息を吐いて、掴んでいた腕を放しながら、ライリがレフィスを恨めしげに睨む。
「ここがルナティルスだって、分かっててやってる?」
「ご、めん……なさい」
「名前すら、ここじゃ危険だって最初に教えたよね? それともあいつを助ける事で頭がいっぱいで忘れたとか? ああ、石女は脳味噌まで石で出来てるのか。分かったよ。じゃあ、今後一切喋るの禁止」
「ええっ! 何もそこまで……」
周囲を無視して繰り広げられる会話に、イーヴィの盛大な溜息が紛れ込んだ。そのわざとらしい介入に、二人がはっと口を閉じて、イーヴィと花屋の男を交互に見やる。
「ライリ……貴方も十分、禁句を口走ってるわ」
額に手を当てて、呆れたように再度溜息を零した。その後ろでは、それまで黙って様子を見ていた男が、堪えきれずにくっくっと声を漏らして笑い出していた。
「彼の仲間にしては、珍しい組み合わせだね」
「まだ仲間とは言ってないわよ?」
いまさら言い逃れは難しいが、あえてしらを切ろうとするイーヴィに、男が顔に穏やかな笑みを戻して緩く首を横に振った。
「エリティアと彼の名を結びつける人はそういないからね。大丈夫、もう十分だ。彼が仲間と共に冒険者を装っていた事は知っている」
そう言ったかと思うと、男が短い呼吸に乗せて瞬時に結界呪文を唱えた。店先に置かれたバケツに入った花の幾つかが淡く光り、簡易な結界が店の周囲に張り巡らされる。単に売り物としてではなく、時と場合によっては結界の核となる花が常時置かれている事からも、ここが目的の場所である事に間違いはない。
「簡易とはいえ、これだけの結界を瞬時に作るなんて、さすがルナティルスの民ね」
「準備は万端にしておかないとね。いつ誰が来るか分からないし」
それまで店の奥でエリティアの入ったバケツを持ったまま立ち尽くしていたクロエが、危険はないと判断して男の側へと戻ってきた。隣に立ったクロエに小さく頷いて、男が改めてレフィスたちへと視線を向けた。
「自己紹介が遅くなったね。改めて……僕はアラン。見ての通り、ここで花屋をしてる。そして彼女はクロエ。僕らは、ルナティルスからユリシスを助ける者だよ」
クロエの手元で揺れたエリティアから、またふわりと切ない香りがした。
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