第25話 甘い密室
真っ暗な部屋の中、僅かな明かりは閉じられたカーテンの向こうから差し込む細い月光のみ。それでも目が慣れてくると、暗闇の中に幾つも置かれた白い物体が見て取れた。それはテーブルであったり結構大きな彫像であったりと様々だ。それらすべてにかけられた白いシーツから、レフィスはこの部屋が使われていないものを仕舞う物置部屋だという事を悟った。
かなりぎゅうぎゅうに所狭しと置かれている色んな物の隙間を縫って、ユリシスがレフィスを引き摺りながら器用に部屋の奥へと身を潜めた。幸い物が溢れているこの部屋では、暗闇も手伝ってかしゃがむだけで簡単に身を隠す事ができる。それでも用心に用心を重ねて、ユリシスはレフィスの口から手を離す事はなかった。
「静かにしてろ」
低く、しかも耳元で囁くように言われ、レフィスの体があっという間に熱を持つ。口を塞がれている為互いの体もこれ以上ないくらいに密着し、おまけにレフィスの大きく開いた背中にユリシスの片手が直に触れている。割と軽い拷問だ。
派手に動揺して身を捩れば更に強く抱きすくめられ、耐え切れずに声を漏らせば紫紺の瞳が間近に迫る。大人しくしたいのに、この状況ではそれも難しい。上がり続ける心拍数を必死に抑えながら、レフィスは助けを求めるかのようにユリシスの胸元をぎゅっと握り締めたまま、早く時間が過ぎるのをただ待つだけしか出来なかった。
(ちょっと待ってよ。何、この状況っ。何でこんな事になってるの? うわっうわーっ。待って、絶対まずいって。心臓の音、絶対聞かれてるっ)
止まる事を知らずどんどん上昇していく自分の体温を感じながら、レフィスはきつく目を閉じる。鼓膜を激しく揺さぶる自分の鼓動音の隙間に、扉の向こうで囁きあう女たちの声が滑り込んできた。
「あら、誰もいないわ。気のせいかしら?」
「確かにこっちへ来たと思ったんだけど」
(そのまま早く行っちゃってー! 扉開けないで、お願い)
レフィスの必死の願いが効いたのか、女たちの声と足音が扉の向こうからだんだん遠ざかっていく。その音が完全に消えようかとした瞬間、レフィスの背中に触れていたユリシスの手が僅かに動いた。
「……っ」
(もう無理、限界!)
沸点に達したレフィスが、ありったけの力を込めてユリシスの腕から逃れようともがき出した。これ以上こうしていると、絶対におかしくなる自信があった。と言うか、もう既にレフィスの体は熱を持ったり震えたりしている。ただ密着したまま黙って座っていただけなのに、激しく乱れている呼吸を誤魔化そうと、レフィスが頭を大きく横に振って口を塞ぐユリシスの手から逃れた。
「いい加減離し……っ」
「待て!」
隠れていると言う状況も忘れて無我夢中で叫びながら、レフィスが逃げ出そうと腰を浮かせると同時に、ユリシスの腕がそれを拒んで再度レフィスの体を強引に引き寄せた。
「うわっ」
勢いよく立ち上がろうとした所で力任せに引き戻され、バランスを崩したレフィスの体が冷たい床の上に転がり落ちた。傾いた拍子に側にあった何かに捕まろうとしたが、伸ばした手が掴んだのは白いシーツで、レフィスは体を支える事も出来ないまま床の上に仰向けに倒れこんでしまった。
ごんっと打ち付けた後頭部が痛い。かすかに涙の滲んだ目を開けると、すぐ目の前に綺麗な顔があった。
「ひゃっ!」
息がかかるほど……というか、もう息がかかっている。それくらい間近で、ユリシスに見下ろされていた。
「少しくらい大人しく出来ないのか、お前は」
見つかる事を恐れてか、低く掠れた声で呟かれた音は、間近で見下ろされているレフィスの肌に直接僅かな震動を与えてくる。何がどうなっているのかパニック寸前のレフィスの目に映るのは、他を映す事を許さないかのように近くにあるユリシスの顔と、自分たちを覆い隠すように被さった白いシーツの色だけだった。
「えっ、ちょっ待って。何これ、何でこんな事になってるのっ」
「お前が暴れるからだろう。だから大人しくしてろと言ったんだ」
レフィスを押し倒した状態のまま、ユリシスは少しもそこから動こうとはしない。顔色ひとつ変えず、その瞳にはいつもの冷静さが垣間見える。それとは面白いくらい逆に、レフィスは体中の血管が沸騰しているのではないかと思わせるほど、曝け出した肌すべてが真っ赤に染まっている。
「あんな状況で大人しくしてろって方が無理よ!」
一応声を落して抗議したレフィスが、真っ赤な顔のままでユリシスを睨み付けた。その全く覇気のない睨みを快く受け止めて、ユリシスがふっと色気のある笑みを浮かべた。あまりに間近でそれを見たレフィスの心臓が、一瞬高く跳ねて、そして一瞬だけ止まった。
「な、何よ……」
「大人しく出来ないんだな」
「当たり前でしょ!」
「今も?」
「そうよ! 大体ユリシス近過ぎ……」
この距離をどうにかしようと、圧し掛かるユリシスの体を力一杯押し戻そうとしたレフィスの顔に、ふっと影が落ちた。見上げたレフィスの額を、ユリシスの細い金髪が柔らかくくすぐっていく。
「お前、動揺しすぎだ」
そう動いた唇が、鼻の頭を掠めたような気がした。触れたのか触れないのか、レフィスには分からなかった。声も、息も止めて、目すら固く瞑ってしまったレフィスには、その時のユリシスの表情など分かるはずもない。彼が、どんな風に自分を見つめていたのかなど。
「今のうちに慣れておけ」
声が僅かに離れた。それにほっとしたのも束の間、レフィスが目を開ける間もなく、ユリシスの声が今度は耳のすぐ側でした。
「窮屈なドレスも……俺も」
ほとんど吐息に近い声は、甘い余韻を響かせながら、レフィスの真っ赤になった耳朶に熱い唇を落していった。
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