第24話 迷子の子猫ちゃん
情報収集だと意気込んだ割りに、レフィスの足は真っ直ぐホールを突っ切り、そのまま人気のない方角へと進んでいた。確かな目的を持って、堂々と突き進んでいく。
(だってもし誰かに話しかけられたりしたら絶対ぼろが出るって! 大体私貴族相手の話し方なんて知らないしっ)
……要するに、ただ逃げていただけだった。
なるべく人のいない所を選んで歩き、貴族の集合体が見えればなるべく視線を合わせず足早に通り過ぎる。そうしながらレフィスは、自分でも知らないうちに屋敷のどんどん奥へと足を踏み入れていったのだった。それに気付いた時には、もう既に遅く……。
「ここどこ?」
レフィスは人気のない、おまけに薄暗い廊下の真ん中で立ち尽くす羽目になったのである。
「何でこんなに誰もいないの?」
己がそれを望んで歩いて来たからだと、今はそう嫌味を言ってくれる相手もおらず、レフィスは恐ろしいほどしんとした廊下の真ん中で不安げな視線をあちこちに投げかけた。勿論その瞳が人を捉える事はなく、広いだけの廊下はただ恐怖を揺り起こす静寂と薄闇をレフィスに与えている。
「来た道を戻ればいいのよ、うん。簡単じゃないの」
自分を元気付けるように大きな声で言ってから、レフィスが来た道を振り返る。その視界の端に、何か黒い影のようなものが見えた気がした。気のせいと思えばそう出来たのに、今のレフィスの状態と状況ではそれも無理な話で、次の瞬間にはもうレフィスは思いっきり力の限り逆方向に全力疾走していた。
(何あれっ。もしかしなくてもそうなのお化けなの私そんなもの見たのいやいやそんな非現実的な事があるわけないわあれはただの影よ影って一体何の影なのやっぱりお化けいやいやただの見間違いって事もあるしそうよそれが一番安心できる答え……)
振り向かず全力で走りながら、器用にさっき見た影のようなものの分析をしていたレフィスが、速度も落さずに目の前の角を曲がった瞬間。
「ぶほぅっ!」
突然現われた、と言うかそこにあった黒い壁に激突して、レフィスが潰れた悲鳴と共に大きく後退する。その足元がぐらりとふらついたかと思うと、前から伸びてきた力強い腕にレフィスの体は引き寄せられていた。
「まったく、どこほっつき歩いてるのかと思えば力の限り激突してくるとはな。お前らしいにも程がある」
「……ユリシス?」
豪快にぶつけた鼻をさすりながら見上げた先に、黒い衣装とマントを羽織ったユリシスがいた。煌びやかな貴族たちほどではないが、それでも身に纏ったその衣装はとても上等な代物で、ユリシスの整った顔立ちを十分すぎるほどに活かしていた。
「大方迷子にでもなってたんだろう。阿呆」
「迷子で悪かったわね! 大体広すぎるのよ、この屋敷」
「認めたか」
勝ち誇ったように口の端を上げて笑うユリシスに、レフィスがぐっと言葉を詰まらせて黙り込んだ。何だか上手く乗せられたようでむっとする。
「大体ね、ユリシスが遅すぎるのがいけないのよ。イーヴィは一人でどっか行っちゃうし、ライリは最初から姿見せないし、私一人じゃ絶対ぼろ出ちゃうし」
「お前にしては懸命な判断だな」
「むーっ。何よその言い草! 私だってやる時はやるの。ただこういうのはちょっと苦手で……」
「ああ、苦手そうだな」
言ってから、また勝ち誇った笑みを浮かべる。その笑顔があまりに普段のユリシスとかけ離れていて……ちょっとだけ見惚れてしまったレフィスがまた言葉に詰まる。そんなレフィスの心情など知らず、ユリシスは目の前で怒ったり赤くなったり言葉に詰まったり爆弾のように弾けたりするレフィスを面白そうに見つめていた。
「別にいいもん。こういう服、もう一生着る機会ないだろうから。今日だけ我慢して大人しくしてればいいもの」
「それは断言できないな」
「え?」
「いずれ再び着る事になるかもしれない。今のうちに練習して慣れておくのもひとつの手段だ」
「何の事?」
かみ合っているようで合っていない言葉に首を傾げたレフィスが、再度その意味を問おうとユリシスの名前を口にした時――廊下の向こう側で貴族の女性と思われる声が聞こえてきた。一人ではないらしく、数人の若い女の声が楽しそうに、そして少し興奮したように響いてくる。
「多分こっちの方へ来たような気がするんだけど」
「それにしても初めて見る顔だったわね。どちらのご子息かしら」
盛り上がった会話は少しずつレフィスたちの方へ近付いてくる。何事かと耳を澄ますレフィスとは逆に、その声を聞いた瞬間ユリシスの顔にさっと嫌悪の色が走った。
「ちっ。しつこいな」
「何? 知り合い? ユリシスを探してるんじゃないの?」
「迷惑だ」
「何が迷惑なのよ。話があるんじゃないの? ねえ……」
廊下の向こう、聞こえてくる女たちの声に向かって、レフィスが今にも大声を上げそうに口を開いた。それを見たユリシスが面白いくらいにぎょっと目を剥いて、力任せに強引に有無を言わさずレフィスの口を自身の右手で覆った。
「むがっ」
「少し黙ってろ」
「むぅぅぅっ!」
それでも抵抗して暴れるレフィスの僅かな声に気付いたのか、廊下の向こうで囁きあう女たちの声が一斉に色めき立った。
「今あっちで物音がしたわ」
「今度こそ逃がさないわよ。ちゃんと名前聞いて私の事覚えてもらわなくちゃ」
「何よ、あなた抜け駆けする気ね! 負けないわよっ」
何やら闘争心剥き出しの会話が聞こえたかと思うと、ぱたぱたと走ってくる足音が近付いてきた。その音に心底嫌な顔を浮かべたユリシスが再度舌打ちして、焦ったように周囲を見回した。薄暗い廊下には幾つもの扉が並んでいる。そのうちのひとつを静かに開けて、ユリシスはレフィスの口を塞いだまま無人の部屋に素早く身を潜めた。
音もなく静かに閉じられた扉の向こうに訳も分からず引きずり込まれたレフィスは、混乱する頭の片隅で、口を塞いだままになっているユリシスの大きな手を少しだけ意識してしまっていた。
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