第2章 にゃんだふるライフ
第7話 宿なき子
「ねぇ、ちょっと待って! か弱い乙女に慈悲はないのっ?」
よく晴れた青空に、今朝も煩いくらいの声が響き渡る。
レフィス・ヴァレリア、十七歳。陽光を浴びて明るく輝く栗色の髪。揺れる前髪の向こうから覗く若草色の瞳は、今、これ以上ないくらいの闘志を帯びて燃えていた。
「お前さんを信じて半月も部屋を貸した挙句、未だに宿賃を貰えないあたしにこそ女神の慈悲が欲しいもんだよ!」
「いやー! 待って待って! せめて朝ごはんだけでも!」
「往生際の悪い娘だね! もう我慢の限界だよ!」
とある宿屋の入り口で、血生臭い(?)攻防が行われていた。
少女の腕を引っ張って宿から追い出そうとしている肉付きの良いおかみさんに対抗して、新米冒険者レフィスも負けてはいなかった。掴まれていない方の腕で必死に柱にしがみ付き、必要ならば食いつく事も厭わない剣幕で苦渋の表情を浮かべている。
入り口で行われる光景は、当然宿の一階に設けられた食堂に集う冒険者たちの目にも止まるわけで、彼らは朝っぱらから腹に重い朝食を食べたような表情を浮かべながら二人の様子を呆然と見ていた。
「ドラゴンをも震え上がらせると言われた元冒険者リオネットに、ひよっこのお前さんが敵うとでも思ってんのかい! 秘奥義、リオネット龍殺し。受けてみなっ!」
「えぇっ? 待って、それ反則っ……ぎゃー!」
よく晴れた青空。吹き抜ける風は肌に心地良く、かすかに花の香りを運んでくる。その香りに目を閉じて、ライリは全身でこの穏やかな朝の風景を受け止めていた。
エルフの彼にとって目を閉じたまま歩く事は苦にならない。月色の髪をなびかせて歩くその姿は、過ぎ行く人々を簡単に魅了してしまうほどだ。ましてや目が合ったとなれば失神する女性もいる事だろう。まことエルフという生き物は罪作りな種族である。
「たまには早起きしてみるものだね。朝がこんなに気持ちいいものだなんて」
普段のライリは低血圧である。それが今日に限って早起きなのは、ただ単に夢見が悪かっただけだ。石女ことレフィスが、文字通り巨大な石塊となって自分を押し潰す悪夢に、ライリは短い悲鳴を上げながら飛び起きたのだった。
「あの石女。夢にまで出てくるなんて……プライバシーの侵害だよ、まったく」
はあっと大きな溜息をついたライリの足が、ぐにゃりとしたものを踏み潰した。突如として襲いかかった異様な感触に、ライリがぎょっとして目を開く。と同時にバランスを崩した体が、そのまま無残に地面へと転がり落ちた。
「ぶっ!」
情けない、押し潰された蛙のような呻き声が、美しいライリの唇から零れ落ちる。打ち付けた鼻頭が痛い。
「何だよっ、もう!」
先程とは打って変わって不機嫌極まりない声を上げて、ライリが地面に突っ伏していた体を持ち上げる。その下にぼろ雑巾が……もとい、ライリの目にはぼろ雑巾のように見える物体があった。
「……石女」
げっそりとした口調で呟いて、ライリがぼろ雑巾とも思えるレフィスの首根っこを掴んで持ち上げた。
「本当に災いを振りまく事が大好きだね、君は」
首を掴まれた猫のように大人しくされるがままだったレフィスが、うっすらと開けた若草色の瞳に不愉快な表情のライリを確認する。と同時に、有無を言わさぬ勢いでライリの腰にぎゅううっとしがみ付いた。
「うわっ!」
「ライリだぁ。天の助け……」
「何してるんだよっ! 離れろ、鬱陶しい!」
腰にしがみ付くレフィスを引き剥がそうとするライリだったが、どこにそんな力が残っていたのか不思議に思うほど、レフィスの腕はがっちりとライリの腰に食いついて離れない。火事場の馬鹿力とはまさにこの事だ。
「消し炭にするよ! いい加減に離せ!」
「……ごはん」
物凄い剣幕で怒鳴るライリをよそに、レフィスはぽつりとそれだけを呟くと、ライリの腰にしがみ付いたまま意識を失った。
「それでお前さん、宿から追い出されたってのか」
哀れみを込めた声で呟いたのは、ギルドマスターのフレズヴェール。野菜のスープとベーコンエッグをがむしゃらに食べるレフィスを見下ろす狼の顔には、堪えきれない含み笑いが見え隠れしている。
「幾つか依頼もこなしたろう? お前さんに渡した報酬はどうした?」
「冒険者になる前から泊まってた宿屋の家賃に消えたわ。今のとこは半月分滞納中」
コップの水を飲み干して「ご馳走様」と手を合わせたレフィスが、隣に座ったまま一言も口を開かないライリを見てへらりと笑った。
「ありがとう、ライリ。ごはん、助かったわぁ」
「誰が奢るって言った? 倍返しでよろしく」
氷の微笑を浮かべて薄緑色のカロムティーを啜るライリに、レフィスが呆れたと言わんばかりに口をぽかんと開けて固まった。
「何それ。大体人より倍の報酬貰っておきながら、仲間にごはんのひとつも奢らないなんて人の風上にも置けないわ!」
「もう少し大人しい仲間なら、喜んで奢るけどね」
「何よ、偏屈エルフ!」
レフィスが手に持ったフォークでライリを刺しそうだったので、フレズヴェールが皿と一緒にそれを引き取りながらさりげなく話題を変えた。
「そうそう、レフィス。金に困ってるんなら、ちょうどいい依頼があるぞ」
「本当?」
ライリに対してむっとしていた事もけろりと忘れて、満面の笑みでフレズヴェールに向き直るレフィス。この変わり身の早さが彼女である。
「ああ。ルウェインの西部にあるミセフィアと言う街に星屑の灰を届ける仕事だ。ミセフィアなら幸いここから魔法陣が繋がってるし、すぐに依頼主の元まで到着できるだろう。どうだ? 引き受けるか?」
「やる!」
即答したレフィスが、フレズヴェールから依頼内容の書かれた依頼書をひったくった。依頼内容はフレズヴェールが言った通りさほど難しいものではなく、レフィス一人でも十分やれそうなもののようだった。
ミセフィアの街にある魔術研究所に「星屑の灰」という品物を届けるというもの。魔力を秘めた品物である事は間違いないが、その内容が明らかではない為、決して袋を開けてはならないと言うのがこの依頼の注意事項だった。これくらいなら子供でもやれそうだ。レフィスは大金を掴んだも同然で、フレズヴェールから預かった星屑の灰を大事そうに肩から提げたバッグにしまい込んだ。
「善は急げだわ! じゃぁ、早速行って来まーす」
フレズヴェールに手を振りながら、レフィスが早足でギルドを後にした。最後までレフィスを振り返らなかったライリは、カップのカロムティーを飲み干すなり、小悪魔的な微笑を浮かべてフレズヴェールをじっと見据えた。
「フレズヴェールも人が悪いね」
「何の事だ?」
「あの依頼書、星が二つ付いてたよ。単純で能天気なレフィスは報酬額しか目になかったようだけど。もう少し考えれば分かりそうなものなのにね。品物を届けるだけの依頼にしては破格の報酬だって事を、さ」
無邪気な笑みを向けるライリとは反対に、フレズヴェールは冷や汗をだらだらと零しながらあさっての方角を向いている。
「そ、そんなに危険な仕事じゃないぞ。ただどんな魔力を秘めてるか分からないってだけで」
「それが危険なんじゃないの? そういう依頼は石女なんかじゃなく、ちゃんと経験を積んだ者に任せた方が無難だと思うけど」
「うぅ。……レフィスがあんまり惨めだったから、つい」
「泣く子も黙るギルドマスターが、ついに情にほだされた訳か。……しかも相手があの石女とはね。ご愁傷様」
「うがぁぁぁ」
我関せずと笑みを浮かべるライリと、カウンターに突っ伏して呻くフレズヴェール。この二人の側には、暫くの間誰も近づけなかったとか。
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