第6話 冒険の始まり

 雪花の森を出てすぐの記憶が、レフィスにはなかった。

 どうやら気を失って倒れてしまったらしい。自分では気付かなかったが、相当疲れが溜まっていたのだろう。目を覚ますとすぐに飛び起きたレフィスに、宿屋の女主人が夕べの事を事細かに説明してくれた。


「真っ青な顔しててね。あんた、夜のうちに死んじまうんじゃないかと思ってハラハラしたよ。体中擦り傷だらけだし、右手には結構深い穴が開いてたからね、あたしが魔法で治しといたよ。なあに、こう見えてもあたしも若い頃は冒険者として旅しててね。治癒魔法なんて朝飯前さね。しかしまぁ、あんた、あれかい? 一緒にいた連れはこれかい? いやぁ、若いっていいねぇ。あたしもあと少し若かったら口説き落としてやるのにさ。あらやだ、本気にしないどくれよ、冗談だよ。それにしても思い出せば出すほどえらく美形だったねぇ。あんた、逃げられるんじゃないよ。しっかり捕まえとくんだよ。あれだけの獲物、もう二度と現われないかもしれないんだからね」


 ……とまぁ、こんな感じで説明してくれたのだが、半分以上はユリシスの話題で終わった。

 とりあえず宿屋を後にし、レフィスはその足でギルド本部へと向かっていった。





「こんにちはー!」


 異様にでかい声で挨拶しつつカウンターへ駆け寄ったレフィスを、マスターのフレズヴェールがあからさま嫌そうな顔をして出迎えた。


「うふふ、やったわよ。古城の魔物退治!」


「お前さんがやったのは、一部屋に張った結界魔法だけだろうが。魔物退治は全部ユリシスが片付けたんだろう?」


「げ。どうしてそれを……」


「昨日ユリシスから報告を受けたんだよ」


 ユリシスと話をあわせていなかった事を思い出して、レフィスがぎくんと小さく体を震わせた。もっとも、倒れてしまったレフィスが話をする事など出来るはずはなかったのだが。


「でもっ! でも、私だってがんばったもの!」


「がんばってもどうにもならん事がある。お前さん、ユリシスが行かなかったら確実に死んでただろう?」


「うっ」


 痛いところを突かれたのか言葉に詰まったレフィスが、悔しそうに唇を噛んで顔を伏せた。


「自分の実力が分かれば問題ないんだよ。これに懲りて、もう無茶は止めるんだな」


「……私……登録できないの? どうすれば冒険者になれるの?」


 さっきまでの勢いをなくし、落胆した声音で乞うように言葉を落としたレフィスを見て、フレズヴェールがこほんとわざとらしく咳払いをした。そしておもむろにカウンターに小さな木箱を取り出すと、一度レフィスを見てからゆっくりと蓋を開けた。

 中に入っていたのは、金色の腕輪だった。ギルドに登録された冒険者が同じ腕輪をしている事くらい、レフィスも学習済みだ。腕輪にはそれぞれのランクを示す石が嵌め込まれているはずだったが、フレズヴェールから手渡されたレフィスの腕輪には穴が開いているだけで石はなかった。けれど、今のレフィスにとってそんな事は問題ではない。冒険者専用の腕輪を、今こうして受け取ったのだ。それは、レフィスが念願だった冒険者になれた瞬間だった。


「これっ!」


「不本意だが、お前さんを今日から冒険者として登録する事にした。ランクは勿論ストーンだがな」


「ど、どうして? だってさっき……」


 驚きと喜びの入り混じった忙しい顔を向けるレフィスに、フレズヴェールが意味ありげににやりと笑う。レフィスの腕輪を指先で突きながら、さりげなく視線を奥のテーブルに向けて、その瞳に三人の冒険者の姿を捉える。


「どうあっても死ぬと分かっている者を冒険者には出来ない。だからお前さんは新しい仲間を作って、戦力強化を図らなくちゃならない。ストーンのお前さんを仲間に入れても、戦力の落ちない仲間をな」


 フレズヴェールの視線の先を辿って、レフィスが背後の酒場へと目を向ける。そこには、昨日曖昧に別れたままだったユリシスの姿があった。ユリシスの隣に深紅の服を着た美女と、儚げな印象のエルフが座っている。何だか見た目にもかなりゴージャスな組み合わせである。


「ほら、挨拶してこい。お前さんを仲間に入れてくれる、ありがたい奴らだぞ」


 フレズヴェールに後押しされ、レフィスがユリシスたちの座るテーブルへと足を向けた。

 レフィスがギルドに来た時からずっと様子を窺っていたのだろう。三人は近づいてくるレフィスを見て疲れたように目を伏せたり、物珍しそうに視線を巡らせたり、人懐っこい笑みを浮かべたりしていた。


「えっと……はじめまして。それから、昨日はどうもありがとう」


 後半はユリシスに向けて言ったつもりだが、本人は自分の事と思っていないのかレフィスを見ようとはしない。どうしていいのか手持ち無沙汰になったレフィスを、深紅の美女が自分の隣の椅子を引いて座れと促してくれた。


「はじめまして。私はイーヴィ。ユリシスはもう知ってると思うから省くわね。こっちのエルフがライリよ」


「レフィスです」


 ユリシスとは顔見知りだが、ライリとイーヴィのゴージャスさにすっかり縮こまってしまったレフィスに、イーヴィが優しい笑顔を向けて緩く首を横に振った。


「緊張しなくていいわよ。もっと普通に話してくれて構わないわ」


「あ……うん。それじゃあ、私を仲間に入れてくれるって、本当?」


「石女なんて珍しいしね」


 美しい笑顔をたたえたまま、目の前のエルフがそう言った。


「石女っ?」


「だってランクストーンでしょ? 石女、そのまんま君の事だよ」


 変わらず美しい笑顔を保ったまま毒を吐き続けるエルフに、文句のひとつでも叫ぼうかと口を開いたレフィスを、隣のイーヴィが見惚れるくらいの笑顔を向けてやんわりと止めた。


「まぁ、落ち着いて。ライリはいつもこうなの。怒るより慣れた方が楽よ。それに、あなたを仲間に入れようって言ったのは、そこで無関係面してるユリシスなんだから」


「え? ……ユリシスが?」


 意外だと目を丸くしたレフィスを見て、ユリシスが文句あるかと鋭い視線を投げ返した。その眼光にも負けず問いかけようとしたレフィスだったが、その言葉より先に毒色に染まりきったライリの美しい声音が耳に届く。


「本当、意外だよ。女性に興味のなかったユリシスが、ついに彼女を作るんだから。しかもすべてが平均並みの石女なんかをさ」


「な、何言ってんの? いつどこでそう話が捻じ曲がったのよ!」


「違うの?」


「違うに決まってるでしょ! 大体昨日初めて会ったんだからっ」


「キスまでしたのに? 階段を転がり落ちて、お堅いユリシスの唇まで奪ったのに?」


 ごいんっとレフィスの頭がテーブルに激突した。

 その様子を面白げに見ているエルフと、困ったように笑うイーヴィと、相変わらず無関心を決め込むユリシス。ただひとり、突っ伏した頭から湯気を出しているレフィスだけが見る見るうちに体温を上昇させていった。


「な、な、な……何で知ってるのよ――――!」


 ギルド本部を揺るがすほどの絶叫に、空を飛ぶ鳥ですら驚愕して墜落したとかしないとか。




 何はともあれ、無事に冒険者としての道をスタートさせたレフィス。彼女を取り巻く仲間は一癖も二癖もある個性的な面々ばかりだが、戦力的には他に類を見ないほど強力で申し分ない。ランクストーンではあるが、この三人をはるかに上回る力を隠し持っている事実は、今のところユリシス一人しか知らない。レフィス本人ですら、その指輪について何一つ知らないのである。


 けれど、きっと大丈夫だと思った。

 あの指輪は、大切な人が約束の印にくれたもの。それがレフィスにとって、危険なものであるはずがない。それだけは、固く信じて疑わなかった。


 今はまだ、そう信じていられる平穏の中にいた。






 月のない夜。

 音もない降雪の中、交し合った幼い約束。


『いつか必ず迎えに行くよ』


『本当? この指輪、大切に持ってたら……また会える?』


『約束するよ』


『うん。約束』


 絡み合った小さな小指。

 熱を求めて彷徨うその指が触れ合う日は、まだ遠い。

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