紫の皇女と青の皇子-4

 発作のように時折繰り返される、皇帝から皇子への虐待は、その後も止まなかった。主だった家臣にはその事実を知るものも多かったが、やはり、アドルフを諌められる者はおらず、それどころか、皇帝の不興をかってしまった皇子に味方をすることは己の得にならないと判断し、距離を置くものまで出てきていた。

 ベネディクトは優しいだけでなく、利口な少年でもある。世話役の執事のクヴェンと、エリン、そして、ツヴァイが変わらず接しては居たものの――自分の居場所が徐々に危うくなりつつあることを、きちんと理解している様子であった。

 彼の側近くにいた者は、彼の、優しく思いやりに満ちた瞳が、徐々に祖父の呪いによって曇りつつあることに気付いていた。

 しかし、誰も何も出来ないまま、時だけが流れていった。


 そして、そんな皇子ベネディクトが風変わりな拾い物をしたのは、久しぶりに父、エーベルハルトが帰城した、ある日のことであった。

 外の世界を知らない子供たちを少しでも楽しませようと、父は気まぐれの土産代わりに、はるばるシノニアから、サーカス団を引き連れて帰ってきたのだ。

 夜、庭にテントを広げて、子供たちのための貸し切りのサーカスが開催された。

 ハロウィンとクリスマスが一度にやって来たような、色とりどりの光に、聞いたことのない異国の音楽。大雑把なエーベルハルトが、なんでもかんでも入城を許可してしまったせいで、ゾウやライオンや見たことのなかった動物もやって来て、アヴァロン城は大騒ぎであった。

「面白かったわねぇ」

「はい!」

 病み上がりのアーシュラを乗せた車椅子を押しながら、ベネディクトはニコニコと嬉しそうだ。

「お前は何が一番良かった?」

「空中ブランコ!」

「わたくしはねぇ、ライオン!」

「怖くありませんでした?」

「怖いものですか。とっても可愛らしいじゃない。一頭お城にも欲しいくらいよ」「えええ……」

 和やかに話す二人の少し後ろから、エリンは速度を合わせて付いていく。


 姉弟で話をしているときは決して邪魔をしない。黙って、彼らの話を聞いていた。

 両親が帰ってきて、祖父も機嫌が良く、姉も元気そうなその日の夜、ベネディクトは幸せそうに見えた。

「父上は、今回は長くお城にいらっしゃるのでしょうか?」

「さぁ、どうでしょうね」

「ずっといらっしゃればいいのにな……」

「そんなの、毎日騒々しいったらないわ」

「賑やかで良いではありませんか」

「そうかもしれないけど……でも、父上はああやって世界を飛び回っていてこその父上なのよ。お城でじっと我慢しているなんて、可哀想だわ」

「それは……」

 皇子が少し言葉をつまらせた瞬間、アーシュラは車椅子から身を乗り出してエリンの方を見て言った。

「ねぇ、それよりもエリン、お前、あのサーカスみたいなナイフ投げが出来る?」

「……リンゴを狙うなんて、やったことはありませんが……」

「あれも面白かったわ、今度お部屋でやってみせて頂戴」

「は?」

「わたくしの頭の上にリンゴを乗せて構わないわよ」

「無茶なことを仰らないでください」

「ふふふふふ」

「殿下……」

 呆れた顔で睨む従者を意に介さず、皇女は明るく笑う。そして、思いついたように車椅子を止めさせて、パッと立ち上がる。

「よし、今夜は少し歩くわ、エリン、手を、こっち!」

「え……」

「ベネディクト、椅子をクヴェンに返しておいてもらえる? 気分が良いから、エリンとお散歩してからお部屋に戻るから」

「あっ、姉上……」

 弟がまだ何か言いたそうにしているのに、アーシュラは気付かなかった。エリンはそれが少し気になったけれど、一人で立ち上がって歩きはじめた主人を放っておくわけにもいかず、車椅子とベネディクトを置いて、彼女を追いかけなければならなかった。

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