剣のつとめ-8
「まぁ、寝てしまったのね、珍しい」
雨の続く、薄暗い昼下がり、先に目をさましたのはアーシュラの方だった。
傍らで突っ伏したまま、子供らしい寝息を立てる従者に、少女は腹を立てず、むしろ嬉しそうな様子で、形の良い後ろ頭をよしよしと撫でた。皇女としてはもちろん、姉としての振る舞いにも自負があるらしい彼女は、弟と同じ年のエリンがいかにも守護者然とした顔をすることが基本的に面白くないのだ。
剣は主人を守るのが役目だとはいえ、生まれてこのかた、危ない目に遭ったことなんて無いし、これからもそんなことがあるとは思えない。だったら、この可愛い剣にはぜひ、二人目の弟になってほしい。
「ほら、寝るならこっちにいらっしゃい」
自分の隣に寝かせてやろうと、肩を掴んでぐいと引っ張ると、スヤスヤと眠っていたエリンは哀れな悲鳴を上げて目を覚ました。
「えっ? なあに、痛いの?」
「え、と……ごめんなさい。肩には今、傷が……」
「そうだったの。お前、いつも痛いところだらけね」
少しも同情していない様子でそう言って、そのまま痛い肩を掴んで強引に布団に引っ張りこむ。
「わたくしと同じだわ」
甘い体温に暖められた布団の中で、皇女は楽しげに笑った。
「……今ので目がさめました」
「まあ、つまらないわね。付き合いなさい」
「お休みになるのですか?」
「寝ないわよ? もう眠くはないもの」
「だったら……」
「雨だもの、外には遊びに行けないし。それにお前、目がさめたなんて嘘よ。いつも、ほんの少ししか眠っていないでしょう、眠いに決まっているのだわ」
少女の言うとおりだ。昼間でも、ベッドの中に潜り込めば、いつだって眠れる自信がある。怪我をしているときは余計に眠いし、その上、皇女の寝台は、信じられないほど心地良いのだ。
「けど……あなたが起きてらっしゃるのに、僕だけ寝るわけには参りません」
「わたくしが良いって言っても?」
「そうです」
「強情ねぇ」
軽い体がのしかかる。痛いって言っている肩もやっぱりお構いなしだ。けれど、至近距離で見る、キラキラと快活に光る紫の瞳は、言いようもなく美しい。そして、少しでも無理をすると、一瞬で消え失せてしまう、危うい光だった。
「お前の目は、やっぱり美しいわね」
「え?」
「ふたつも色を持って生まれるなんて、とても素敵だわ。お父様と、お母様に感謝しなさい」
残酷なことを無邪気に言う。アーシュラは、少年がこの目のせいで殺されかけたことも、家を奪われたことも、ちゃんと理解しているのに。
「父と……母には……感謝しています」
「そう」
「でも、もう、会えません」
「そうね」
王者のような尊大な表情で、にやりと笑う。そして言った。
「運命だわ。お前はわたくしと同じ」
狭い、暖かい世界の中で、どんな宝石よりも貴重な色が、二人で三つ。二人して、それぞれに、思い通りにならない命を生きている。
「……同じだと言うのなら、僕の言うことだって聞いてください」
じくじく痛む肩を押し倒されたまま、エリンは言った。
「眠りたくないって?」
「違います」
父にも、母にも、兄にも、乳母にも、もう会えない。剣となった少年から全てを奪った主は、奪ったもの全部の代わりにならなければいけない。
ツヴァイが昨晩言った言葉の意味が、何となくわかった。
「僕には、アーシュラしかいないのです。どんな時も、遠ざけたりしないでください。それだけが、僕とあなたの約束なのですから」
少女は、射抜かれたように目を見開いたまま、暫く沈黙し、それから、分かったと言って頷いた。
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