剣のつとめ-7

 翌日、皇女は彼女の予言通り元気になったけれど、外はあいにくの雨だった。アーシュラは世話係のメイドを追い出し、部屋に運ばれてきた食事を、エリンと二人で食べた。

「エリン、わたくしの分のハムを食べなさい」

「……食べないと元気になれないと、お医者の先生が仰っていました」

「知ってるわよ……」

 皇女は、メイドや医者の前で決して我が儘や弱音を口にしない。今朝だって、食事を残すところを見られたくなくて、メイドたちを退出させたに相違なかった。

「食欲、無いのですか?」

「うーん……」

 ベッドに腰をかけて、ばたばたと足を動かして、苛立たしげに少女は唸る。本当に辛い時にはそんな余裕はないのだけれど、今日のような少しの不調は、アーシュラにとっては怒りの対象だった。少女はままならない自分自身に腹を立て、エリンに文句を言う。けれど、その他の者に対しては、常に善き皇女として振る舞った。政治に興味の無い奔放な両親は揃って不在がちであり、祖父はアーシュラに甘い。城内に自分を叱ることができる大人がほとんど居ないことを、彼女はよく理解しているようだった。

「冷たくて、甘いものがいいなぁ……」

 甘えるようにポツリとこぼす。エリンは少し考えて、アーシュラが先ほど自分の皿に放り込んだハムを半分に切った。

「では、このハムは半分アーシュラがお召し上がりください。そうしたら、僕がクヴェンの所へ行って、何か甘くて冷たいものを頂いて参ります」

「本当?」

「もちろんです」

「わたくしが欲しがったからって、言っちゃ嫌よ?」

 酷いことを言う主人だ。執事のクヴェンというのは、アーシュラとベネディクトの世話を担当している使用人の中で一番偉い人物で、真面目で、無愛想で、少し怖い。自分が菓子をねだったことをツヴァイに知らされてしまうかもしれないし、出された食事以外のものが欲しいなんて、怒られるかもしれない。

「わかりました」

 けれど、無理をしてハムとパンを詰め込む健気な主人を喜ばせてやりたいと思い、エリンは迷わず了解した。

 結局、クヴェンはエリンを叱らず、黙って二人分のバニラアイスを用意してくれた。アーシュラは大喜びで、ベッドの中でそれを食べて、それから、幸せそうに眠りについた。

 柔らかい雨音が静かな部屋を埋めて、エリンは、眠る主人の隣で、ここのところ滞りがちだった勉強をして過ごした。

 けだるい浮遊感、知らず知らずのうちに身体が揺れる。雨の日の訓練はとても疲れるし、傷もまだ痛むし、昨晩夜更かしもしてしまったので、少し眠い。

 何となく惹かれて、軽くてフワフワの羽根布団に顔を埋める。本当に寝るつもりなんて無かったのだけれど、疲れたエリンの意識は、半分座った中途半端な姿勢のまま、ストンと途切れた。


 ゆっくりと、心ゆくまで眠ることは許されない毎日。少年の眠りはいつも切実な中断の闇であったけれど、それでも時折、夢をみることもあった。夢の中でまで、必死で稽古をしていることも多くて……そういう夢は、せっかくの安息の時間を邪魔されたようで、目がさめた後にがっかりする。

 逆に、嬉しい夢は、兄や、乳母や、両親が出てくる夢だった。もう五年も会っていない。会いたいと思うことも、思い出すこともほとんど無いのに、時々夢には現れるのだ。そんな時は、自分がまだ家族のことを忘れていないのだということを確認できて、なぜだか、とても嬉しかった。

 もう、カスタニエの名を名乗ることは、無いというのに。

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