3:色なき風に想いを寄せて


「はっ、はっ、はっ……」

「あれ、先生もしかして弱くなった?」


 後ろ髪をバッサリと切られた風音が、全身を傷だらけにして立ち尽くしていた。しかし、それは少しでも気を抜けば膝が地面についてしまうだろう。それほど、息の乱れが激しい。

 一方、そんな風音と対立する少女ユキは、もちろん無傷。余裕そうな表情で彼の様子を観察している。


 ここは、管理部で保持している訓練施設。

 皇帝の許可がないと入れないそこで、風音の限界突破が行なわれていた。すでに佳境に入っているのか、それとも始まったばかりなのか。見た限りでは、わからない。


「……反則、だろ」

「ほらほら、魔力出し切らないといつまで経っても終わらないよ〜」


 髪を切るという行為が、風音に与えた影響は大きい。

 今、彼はその行為によって暴走している魔力を抑えながらユキと手合わせ……いや、その域を大きく超えて……闘っていた。さらに、その暴走した魔力は蔦の呪いの好物らしく、こちらも容赦無く奪い取ろうとしてくる。


「サツキちゃん、起きた時誰もいなかったら寂しがるだろうなあ」

「っ……!」


 その名前を聞いた風音は、周囲に暴走魔力特有の禍々しい物体を浮かせ目を見開く。そして、そのまま無言でユキとの距離を縮めてきた。意識が朦朧としているのか、いつもの優しげな彼ではない。人を傷つけることをなんとも思っていないかのような、そんな殺気を放ちながら近づいてくる。


「そうそう。そうこなくっちゃ♪」


 いつもの白いキャミワンピを翻しながら、ユキは嬉しそうに正気を失いつつある彼に微笑みかけた。

 その微笑みも、側から見たら十分狂気だった。


「……」

「……」


 それを、訓練施設の端で眺めているアリスと神谷。数百メートルは離れているのに、肌に感じている気迫は目の前で命のやりとりが行なわれているかのように錯覚させてくるもの。


「……神谷さん、ユキのところへ戻れてよかったですね」

「ええ、おかげさまで」


 アリスは、そんな感覚から逃れるために隣にいる神谷へと話しかける。ゆっくりと声を出したつもりだったが、それでもうわずったものになってしまった。

 しかし、話しかけられた彼の声はいつもと変わらない。


「管理部付けになるんですか?」

「いいえ。以前と同じく、ユキ様に従うまでです」

「……そうですよね」

「はい。身の回りのお世話と、回復に専念するつもりです」

「ユキ、自分で部屋掃除できるようになったんですよ」

「ええ、先ほどお部屋に上がらせていただきました。イチ様とななみ様がお慶びになられることでしょう」

「でも、服選びとか、身だしなみを整えるのは難しいみたいです。いつも同じ服ばかり着てる」

「あれは、ユキ様の勝負服ですから。それは、これからも尊重して行きます。もちろん、服の繕いも」


 アリスも、それに気づいていた。

 ユキは、多少服が破れてもさほど気にしていないらしく、よく裾がほつれたワンピースを着て生活している。「直そうか?」と声をかけても、「大丈夫です」と頑なに断られてしまい、アリスも手が出せなかったのだ。

 これからは、彼がそういう細かい部分を担ってくれるだろう。どれだけ笑っていても、彼女が孤独と闘っていることを知っているアリスにとって、それは嬉しいこと。


 黒世以前は、どこに行こうにも神谷がその後ろをついて回っていた。流石に管理部任務へはついてこなかったが、朝の目覚めから夜眠る時までの身の回りの世話を全て担っていた彼。

 黒世で起きたとある出来事によって、主人に拒絶され今までは姿を消していたのだ。きっと、今の状況を一番喜んでいるのはユキではなく神谷自身なのかもしれない。


「ふふ。ユキは、仲間を大事にするのに自分を大事にしないんですもの。これで、私は安心て自分の任務に集中できるわ」

「お手数をおかけしました」

「いいえ。私だって、ユキのことが可愛くて仕方ないの。姫と同じくね」

「……」


 「姫」の単語が出されると、神谷はその口を閉ざし全力投球で遊んでいる主人に目をやった。それは、見ていないとどこかへ消えてしまうのではないかと不安になっている様子を伺わせてくる。しかし、すぐにいつもの無表情に戻り、


「ユキ様の体調管理はお任せください。私は、以前と同じく執事として彼女を支えます。……それが、生前のイチ様がお望みになられていたことですから」


 と、冷静な口調でアリスへと返答した。

 それを聞いたアリスは、


「そうね。……たまには、私にも美味しい食事作って欲しいな」

「ユキ様からお願いされましたら、いくらでも」


 その頑なな態度に笑いながら、殺気で動けなくなる前に素早く訓練場を後にする。



***



「……?」

「目が覚めたか」


 サツキが目を開けると、そこは病室だった。

 眠った時は、薄暗い手術台の上だった気がする。病室の明るさに少々混乱しながら、声の主を確認するために上半身を起こした。すると、


「……皇帝」

「改めてサツキくん、ようこそレンジュへ。この、皇帝サクラが君を歓迎しよう」

「サクラ、皇帝?」

「ああ。よろしく頼むぞ」

「……先生は?私、魔力が」

「ああ、ユウトくんは別件でユキと外出しておる。用事が終われば戻ってくるじゃろう」

「……そう、ですか」


 皇帝と今宮が立って、サツキを見ていた。

 双方の表情は、初めて会った時のような警戒は一切ない。まるで、仲間を受け入れるかのような優しい微笑みを、こちらに向けてくれていた。その暖かさに、頭をぼーっとさせていると、


「早速ですが、サツキさん。あなたの戸籍を調べさせていただきました」


 今宮が、手に持っていたファイルを開き、サツキに向かって差し出してきた。そこには、自身のデータが書かれていた。と言っても、顔写真に性別、名前くらい。他は、見事に空欄になっている。


「孤児院にいたと伺っていましたが、そこに入る際に身分証明などはなかった感じでしょうか?」

「……えっと」

「ゆっくりで大丈夫ですので、思い出してください」

「……」


 口調は事務的だが、やはり表情は柔らかい。サツキは彼の優しさに甘え、かけ布団に視線を落として思考を巡らせた。

 すると、隣から心地よい風が吹いてくることに気づく。そちらを見ると、病室の窓が半開きになっていた。もうすぐ秋になるというのに、まだまだ日差しの照りつけは鋭い。しかし、ここは屋内なので心地よい風だけを感じることができる。


「……私、孤児院にいた記憶はありますが、入った時の記憶はないんです。いつの間にかそこにいて」

「……記憶改竄魔法かの?」

「その可能性が高いですね」

「あ、でも、私。本当に小さい頃から転々と孤児院を回っていたので、覚えてないだけかも」

「承知です。その線で、もう一度洗い直してみます。国籍など、覚えているデータってありますか?」

「……いいえ。キメラになる前はレノンドに居たんですが、そこの住民が持っているような証明カードはなかったです。それに気づくまでは、ずっとレノンドが私の国籍だと思っていて」

「ほお、レノンドか。これまた随分遠くに」


 レノンドとは、タイルを抜け、大きな山を2つ超えた先にある国。大国レンジュと多少なりとも関わりはあるものの、そこまで積極的に取ろうという間柄でもなかった。

 近年は、レノンド皇帝が病で伏せているという話を聞いたまで。見舞いに行くほど、親しい仲でもないのでここ数年は関係がない。


「……皇帝、出張許可をください」

「うぬ。アリスと調べてくるがよい」

「いえ、私だけで。彼女は、残していきます」

「なぜ?」

「あなたが執務をサボるからです!!」

「……っち」

「ふふ」


 そのやりとりは、まるで子どもと保護者のよう。聞いていたサツキが、思わず笑ってしまうほど愉快な会話だった。

 笑い声を聞いた今宮は、もう少し文句を言おうと口を開くも途中でやめた。そして、


「……サツキさん。これから、よろしくお願いいたします」


 と、改めて頭を下げてくる。その様子に慌てたサツキは、ベッドから足を出して床へと降りようとする。しかし、それを皇帝が片手で止め、


「これ。まだ安静にしていないといかんじゃろう。久しぶりの魔力故、少々慣れるまで時間がかかると思うが」

「……すみません」

「自分のことより礼儀を尊重する姿は、評価しよう。しかし、やりすぎはいかん。子どもは子どもらしく大人に甘えなさい」

「甘える……?」

「そうじゃ。この国では、自分の感情を押し殺さなくて良い。泣きたい時は泣けば良いし、怒りたいときは怒るがよい。今みたいに、笑える時は積極的に笑うと人生が楽しいぞ」

「……?」


 その感覚がわからないサツキは、首を傾げるしかない。

 組織にいた時、そんな風に言ってくれた人はいなかった。できるだけ感情を押し殺し、注目を浴びないようにする。それが日課だった彼女に、すぐ理解してくれという方が酷だろう。それに気づいた皇帝は、


「お主には、ユウトくんとユキがついておる。あやつらは、お主を決して1人にはしないであろう。少しずつで良いから、この国で楽しく生活してほしい」


 と、補足しながら彼女の頭を撫で上げた。

 すると、その手に少し安心したのか表情を緩めて口を開く。


「……私は、これからどうなるんですか」

「どう、とは?」

「魔力入れてもらったので。何か任務かと思い。でも、私、キメラですけど戦闘用ではなくて、その」

「……わかっておる、お主がどんなキメラか。悪いが、調べさせてもらった」


 皇帝の回答に、顔を青ざめるサツキ。

 自身がどんなキメラとして作られてしまったのか、どうやら知られたくなかった様子だ。全身を震わせ、一瞬にして恐怖に身体を支配されてしまった。

 皇帝は、そんなサツキをゆっくりと抱きしめる。そして、


「大丈夫じゃ。お主が嫌だと思っていることはせん。その歳で、色々辛かったのう。この国に……わしの近くにいる限り、もうそんなことはさせんから安心してくれ」

「……」

「わしは、そんな行為をするためにお主を迎え入れたわけではない」

「……本当?」

「ああ。わしは嘘はつかん」


 その言葉に、今宮がタイミングよく咳払いをしてくる。


「……ただし、執務は例外じゃな」


 咳払いの意味がわかった皇帝は、サツキから離れるといたずらっ子な表情になって怯えている彼女の顔をのぞいた。すると、サツキの震えがピタリと止まる。


「ふふ。レンジュの皇帝は面白いですね」

「執務をこなしてくれさえいれば、私もそう思います」

「これ宮。雰囲気が台無しじゃないか」

「その原因を作っている張本人が偉そうにしないでください」

「……とにかく、君はユウトくんと暮らしなさい。あの子なら、わしも安心して預けられる」

「先生、私のこと重りにならないですか」

「ならん。むしろ、自分で良いのかの葛藤をしてるじゃろうな。ユウトくんはそんな子なんじゃ」

「……先生」

「もちろん、君の体調もある。風音のフェロモンが辛くなったら、いつでも教えてほしい」

「大丈夫です。ユキが、私の感情をある程度コントロールしてくれているので。暴走することはないかと」


 彼女は、戦闘用キメラではない。

 他に、用途があって作られた子だった。

 その用途を知った今宮は、思わず意識を手放してしまうのではないかと思うほど顔面蒼白になったほど。隣で聞いていたアリスが、かろうじてその身体を支えていなければ、きっとそのまま倒れてしまっていただろう。それほど、残酷な使い方をされるために作られてしまったキメラだった。


「暴走する分には良い。しかし、それで君が傷つくのは本望ではないという話だよ」

「……私、先生と生活します」

「うぬ。であれば、戸籍が残っていなければ風音の苗字で再登録しておこうか」

「承知です」

「よし、そうと決まれば難しい話は終わりじゃ。サツキくん、不調の中時間をくれてありがとう」

「……こちらこそ。あの、登録お願いします」


 そう言って、サツキはまたもや床に足をつけようとするものだから、今度は皇帝と今宮が笑ってしまった。どうやら、彼女は律儀な性格らしい。急いでその行動をやめさせ、


「お主は、休養が第一じゃ!」

「立たないで!」


 と、少々大きな声を出してしまう。それにビクッと肩をあげるも、心配されているのは感じ取ったようだ。サツキは、そんな慌てようを披露する2人を見て再度笑った。そして、


「お言葉に甘えて、もう少しゆっくりさせてください。先生が戻るまで」

「ああ。お主が起きたことを伝言しておこう」

「お願いします。……あの」

「なんじゃ?」


 これ以上話すことがない2人が病室から出る準備をしていると、サツキがそれを止めた。


「……ナイトメアのこと、聞かないんですか」


 サツキは、こんな話をされると思っていなかったのだろう。尋問されると身構えていただけに、拍子抜けしてしまったというところか。


「今はまだ聞かぬ。どうせ、公安のありさくんがきたら話すんじゃろう?なんども同じ話をするのは申し訳ないからの。その時にでも一緒に聞こう」

「……」


 その温度感は、サツキが今まで感じたことがないほど緩やかで温かいもの。この胸を暖かくしてくる感情を知らない彼女は、やはり首を傾げることしかできない。


「さてと、年寄りは退散しよう。後ろの付き人に怒られる前に書類整理をしないといかん」

「わかっているなら、今すぐやってください!」

「……やる前に怒られてしまったわい」

「ふふ。お話、ありがとうございました。今宮さん、戸籍の件お願いします」


 サツキは、レンジュに来れたことを喜んだ。

 ここには、今まで感じたことがない感情を見つけられるかもしれない。新しい環境、新しい大切な人に囲まれた生活がこれから待っている。


 たとえ、もう人間に戻れない身体でも。自身が特殊なキメラになってしまっても。

 サツキは、この地で新しい人生をやり直そうと改めて心に誓った。


「……カイト、カイト」


 しかし、2人がいなくなると表情を暗くする。どうしても思い出してしまうことが1つだけあった。

 地獄に置き去りにしてしまった大切な人を想い、その頰に涙をこぼす。


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