1:赤い地面、黒い影②



 怖い。痛い。私もまことみたいに……。

 まことみたいに、ここで死ぬんだ。


「……?」


 そう思うも、一向に痛みは来ない。

 ゆり恵が恐る恐る目を開けると、目の前に全身を黒いマントで覆った魔法使いが1人立っていた。その手には、投げられたはずのナイフが光っている。


「……影?」


 影はマントで全身を隠すと、アカデミーで教えられていた。初めて間近で見たゆり恵の視線が、それに釘付けになる。フードを深くかぶり、顔部分は闇に閉ざされていて表情はわからない。

 影の登場に肌がピリピリとするような緊張感がゆり恵を襲うも、それを向けられているのが自身ではないためかそこまで不快にはならない。むしろ、その緊張感が恐怖を和らげてくれる。


「……助かったの?」


 ゆり恵に背中を向けた影は、再度投げつけられたナイフを素手で掴んだ。そして、そのまま2本同時にはじき返す。


「ぎゃっ!!」

「ユキ君!?」


 ナイフがギュンと音を立てて、先ほどとは倍も違うようなスピードでユキの心臓をついた。

 それを見たゆり恵が、心配そうに叫ぶ。一度信頼した相手を疑うような器用さを、彼女は持ち合わせていない。

 しかし、それは正しい。


「ユキ君……じゃない?」


 そこにいたのは、全く別人の男性だった。いかついその姿は、見知ったユキとは似ても似つかない。

 既に生気が感じられないところを見ると、死んだのか。初めて見る死体なのに、ゆり恵は不思議と恐怖を感じなかった。むしろ、これ以上自身が傷つくことはないという安堵が彼女の全身を駆け巡る。


「……」


 男性の死を確認するや否や、倒れているまことに近づいていく影。ゆり恵は、それをボーッと眺めていた。腰が抜けて立てない。

 影は、そのまま意識のないまことの上に手をかざす。光に包まれたまことの身体からナイフが抜かれたが、血が飛び出ることはなかった。目の前で治療されている彼の顔に、段々色が戻ってくる。

 目を閉じてしまうほどの眩い光は、見ているゆり恵の心までも癒していく。

 光が薄れたのは、それからしばらくしてから。しかし、ゆり恵には一瞬の出来事のように思えた。

 影は、まことの傷がなくなったこと、息の乱れを確認すると、死体を抱えて瞬間移動したのか煙のように消えていった。

 残されたのは、ゆり恵とまこと。それに、2人分の荷物。


「……夢?」


 影は、見られた人の記憶を消していく、と聞いたことがある。なぜ、あの影はゆり恵の記憶を消していかなかったのだろうか。考えてもわからなかった。

 しばらくボーッとしていたが、ハッとし、まことを揺さぶる。


「まことっ!まこと、ねえ」


 すると、まことはゆっくりと目を開けた。すぐに起き上がったところを見ると、無事らしい。死んだと思っていたゆり恵の瞳に、涙が溜まっていく。


「……あれ?ユキは?どうなっちゃったの?」

「あの人、ユキじゃなかったのよ。きっと、綾乃先生が前に言っていた、記憶から身体変化させる術ね。影が来て助けてくれたの」

「僕の傷は……?」

「その影が、治療してくれたのよ」

「え、ゆり恵ちゃん。影の記憶あるの?」


 まことも、授業でやったので影の記憶消しは知っている。が、その事実が信じられない様子。首を傾げてゆり恵の話に耳を傾けていた。


「みたい。なんで、消していかなかったのかな」

「うーん、忘れてたのかもね」

「まさか!でも、助かったのは事実だから。まこと、死んじゃったかと思った」

「ごめんごめん、もう大丈夫。傷もないし」

「……かばってくれてありがとう」


 動けなかった自分が情けないという感情と、もっと強くなりたいという感情が入り混じったゆり恵顔は、まことから見てもわかるほど強く出ている。

 そんな彼女がお礼を言うと、立ちあがって自分の荷物を握りしめていた。しかし、その表情は悔しさが滲み出て硬い。


「おーい」


 すると、後ろからユキがやってくる。それを見た2人は、顔を見合わせると、


「「本物?」」


 と、幽霊を見るかのように聞いた。まことが、ゆり恵を守るために一歩前に出る。


「へ?……本物って?このカッコよさが偽物とでも言うの?」


 まだ日が浅いとはいえ、ユキの性格はだいたい理解できている2人。その解答に、安堵の表情を浮かべ


「本物だ」

「よかった」


 と、顔を合わせて笑い合った。

 ユキは、わけがわからないような顔をし、


「てか!まこと、ケガしてるの?もしかして、誰かに……」


 誠の服や鞄がボロボロなのに気付いたのか、そう聞いてきた。よく見ると、地面には乾いた血の跡も残っている。


「あ、大丈夫。さっき、侵入者に襲われてさ」

「大丈夫じゃないよ!ケガは?」

「大丈夫。影が助けてくれたんだ」

「へ?影?」

「すごかったのよ!悪い奴を倒して、まことの治療までしてくれたの」


 本来なら、それだけ聞いても疑問なしに状況を理解できないはず。

 なぜ、2人がこんな人のいない場所にいるのか、なぜ影が記憶を消さなかったのか。特に後者は、ルール違反だ。他の人が知ったらその影はランクを剥奪されることだろう。

 しかし、ユキは、


「へえ、影を間近で見れるなんてすごいね。ゆり恵ちゃんはケガないの?」


 と、話をつなげた。


「まことがかばってくれたから、ないよ」


 先ほどの硬い表情がなくなっているゆり恵の声は、明るい。ユキと会えて、気分が変わったらしい。キャリーケースを握りしめ、しっかりと地面に足をつける。


「まこと!やるじゃん!」

「だって、ゆり恵ちゃん守んないとって思って」

「とっさにできることじゃないって!すごい!」


 ユキがそう言ってまことの背中を軽く叩くと、うれしそうに頭を掻くまこと。

 そのまま2人分の荷物をもらったユキは、先頭に立って中庭を出た。2人は、素直に荷物をユキに預ける。


「講堂で、早苗ちゃんが待ってるよ。2人がいないから心配してて、俺が迎えに来たんだ」


 早く行こう、と言い3人は講堂へと急ぐ。



 ***



「ヒヤヒヤしましたよ……」

「あら、皇帝直属部隊の影を信用してないの?」

「そういうわけじゃないですが……」


 そんな3人の様子を、中庭の隅っこで見ていた2人がいた。1人は、今宮。もう1人は、スーツに身を包んだ女性。

 その女性は、ウェーブのかかった金色の髪を1つにまとめている。人形のように整った顔のパーツの中でも、灰色の虹彩が日の光に反射してキラキラと輝くのが印象的な人だった。胸には、麻取の紋章が。


「あの影、知り合いなのかしら?」

「……ええ」

「ふーん。記憶消していかなかったの、おとがめなし?」

「見なかったことにしていただけると嬉しいです」

「……事情がありそうね。わかったわ」

「感謝します、ゆみさん」


 ゆみと呼ばれた女性は、消えたユキたちの方向を楽しそうに眺めている。


「さてと、お仕事しましょうか!」

「お願いします」


 そう言うと、2人はどこかに瞬間移動していった。

 中庭は、元の静けさを取り戻している……。


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