6:千秋楽①



 風音は、コンコンと自室の扉を叩く音で目覚めた。


「……」

「先生、体調どう?」


 すると、少年ユキの声がそこから聞こえてきた。今日も演習と聞いていたので、その帰りだろう。時計を見ると、すでに夕方になっていた。ずっと寝ていたため、そして、カーテンを引いているためか、時間の感覚があまりない。


「……?」


 起き上がった風音は、ベッドに頭を乗せて寝ているサツキに気づく。その寝顔は、安心しきっているのか穏やかだ。

 起こさないようにそっと頭を撫でると、くすぐったそうに表情を変えるも、そのまま眠り続けている。それを見るだけで、自然と口角が上がってしまう。もう、体調は大丈夫そうだ。顔色も、以前よりずっとずっと良いものだった。


「今行く」


 小さな声でユキに応えて、ベッドから降りる。後ろを振り向くも、サツキが起きることはなさそうだ。

 多少マシになったのか、ふらつきはあるものの動けるようになっていた。この体調なら、あとは魔力でどうにかなりそうだ。

 その辺に出かけられるような部屋着に着替え扉を開け、


「どーも」

「……あ、サツキちゃん寝てるのね」


 とユキを迎え入れた。やはり、少年の格好をしている。

 そんな彼は、音を立てないようにゆっくりと部屋へ入ってきた。薄暗い部屋だが、歩けないほど真っ暗ではない。そのまままっすぐ進んだユキは、風音が誘導したソファへと腰掛けた。

 これは、今宮が引っ越し祝いにと贈ってくれたもの。さすが、彼が選んだだけあって座り心地が良かった。うっかりそこで寝てしまっても腰を痛めにくいのは、少々ズボラな面を持ち合わせる風音にはありがたい。


「体調はどう?」

「ん、良好。回路も開いてる感じするし。ただ、寝てたからか身体が鈍ってる」

「まあ、あれだけ派手に熱出せばね。明日は休みだし、夕方までは寝てた方が良いよ。夜なら組手付き合う」

「……わかった。頼む」

「俺も限界突破した時は熱出したから、身体の鈍り具合とかはわかるよ」

「でもどうせ、1日とかで治ったでしょ」

「まあね。俺には呪いはないし」

「にしても1日はおかしいって……」


 限界突破すると、数日は寝込むのが普通だ。こうやって起き上がれる風音だって、十分回復が早い方。しかし、ユキはその上をいくらしい。ため息を漏らしてしまうのは、仕方ない。

 風音は、そんな彼との会話をしつつ、寝ているサツキの頭が乗っているベッドへと静かに腰をおろす。


「あはは。身体は弱いけど、魔力がカバーしてくれるからどうにでもなっちゃう」

「良いのか悪いのか……」

「てか、先生の部屋広いね」


 心配されることを嫌う……というかどう反応したら良いのかわからないユキは、話題を変える。

 彼の部屋は、ユキが住んでいる隣の部屋の2倍近く広い面積だった。家具がベッドとクローゼット、ソファにテーブル2つしかないのもあって、かなり広く見える。


「思っていた以上に広くてびっくりしたよ」

「元々、皇帝の監禁部屋だったからね」

「は?どういうこと?」

「ほら、あの人執務溜め込む癖あるでしょ?これだけ広くないと、書類が入らない時もあって。隣が俺の部屋だから、監視するのにも良い感じでよく使われてたよ」

「……手伝ってやれよ」

「やだよ。俺はそもそも戦闘要員として管理部にいるの」

「オレってどっち?」

「先生?お色気担当じゃない?」

「真面目に!」


 ガラス製のソファテーブルの上には、いつものガスマスクが置かれていた。それがなんだかアンバランスに見えてしまうほど、部屋の中がシンプルだ。それも、広く見える要因のひとつだろう。

 少々大きな声を出してしまった風音は、急いでサツキの方を振り向く。まだ眠っている様子を確認すると、ホッとため息をついた。


「真面目に言うと、戦闘要員中心に外交関係も依頼されると思うよ」

「外交って?」

「他国とのやりとり。先生、顔が良いから」

「……そう言うものなのか?」

「うん。管理部にいれば、全身使われるの覚悟した方が良い。俺もよく、魔警が逮捕し損ねた性犯罪者相手に身体開いたりしてる」

「それも仕事……?」

「先生も覚悟した方が良いよ。使えるものは使う、ここに所属される限り拒否権はない。それが管理部だから」

「……」


 今、目の前で平然と口にしているが、それは人権を無視した行為。風音の表情が一気に苦しそうなものに変わった。

 しかし、仕方ない。それが、管理部なのだ。

 大国レンジュを陰で支える少数精鋭隊故に、人権すら皇帝に差し出す。ある意味、番犬よりも忠誠を誓う関係だろう。

 その分、待遇は良いし権力もこの国で皇帝の次にある。報酬面も生活サポートも全て整っているので、今宮もアリスもここにい続けられるのだ。国の忠誠心だけで続けられるものではない。


「お前は強いな」

「……管理部って場所、少しずつ教えるから。あんま怖がらないでね」

「わかったよ。サツキのこと守ってくれるなら、オレはなんでもやれる覚悟ある」

「そう聞いて安心した。先生も十分強いよ」

「……」


 あまり怖がらせてもよくない。そう思ったユキは、話をやめた。

 あとは、彼が管理部の任務をこなして体感して行った方が良いだろう。

 その返答なのか口を開こうとしている風音が視界に入るも、ユキは別のところに気が行ってしまった。彼の言葉を遮り、


「ところで、なんで部屋にフィールド張ってるの?」


 と、質問をする。

 よくよく見ると、壁に沿って薄いフィールドが展開されていた。普通の人が見ても気づかないだろうそれは、均等に部屋に張り巡らされている。手慣れていないと、ここまで綺麗なものを持続的に出せない。


「え、防音対策だけど」

「……サツキちゃん襲うための準備?別に聞かないからお好きにどうぞ」

「んなわけあるか!なんでそうやって、そっちの話に持っていくの!」

「だって、先生すぐ発情するし」

「お前の前でしたことねえだろ!」

「ってことは、俺の前じゃないところではあるのね」

「言葉の綾をそうやって受け取るな!」

「じゃあ、なんの防音対策さ」

「はあ。……実家にいた時は、姉貴が人連れ込んで盛るからうるさくて常にフィールド張ってたってだけ。無意識にやってたわ。天野に言われるまで気づかなかった」

「……ゆみさんか」

「ああ……」


 ユキも、風音の家族に会っている。故に、誰がそう言う行為をしているのか見当がついてしまった。名前を言うと、双方神妙な顔つきになってしまうほどには共通認識ができているようだ。ユキは、これ以上聞かないことにした。


「まあ、張ってた方が落ち着くからそのままにしておく。多少は保温とか冷却持続の効果もあるし」

「……とか言って、サツキちゃん襲わないでね」

「襲わねえって。お前の中で、オレってどんな位置付けなの……」


 その呆れ声に笑いながら、ユキは改めて部屋を見渡した。まだ彼に引越し祝いを贈っていないので、何が良いのか思考を巡らせているため。しかし、ここまでシンプルだと彼の趣味が全くわからない。

 そんなことを考えている時。

 ユキは、ダブルサイズのベッドで視線を止めた。


「……え、先生。サツキちゃんってどこで寝てるの?」


 いくら見渡しても、ベッドは1つしかなかった。魔法で消した訳ではなさそうだし、サツキと2人で生活しているのにこれは不自然だ。すると、


「……あ」


 風音も、それに今気づいたらしい。「しまった」と言う表情が露骨に出てしまうほど、焦り出した。

 とはいえ、まあ仕方がない。

 なぜなら、今まで寝込んでいてそれどころではなかったから。さらに、家具を運び入れ整えたのは今宮とアリスの2人。その時すでに意識を失って寝込んでいた風音は、そこまで確認する時間がなかったのだ。

 しかし、彼の性格からして後悔の嵐が吹き荒れているのは間違いない。


「……先生が良ければ、私は同じベッドで良い」


 2人の話し声に起きたのか、目をこすりながら眠そうな声でサツキが返事を返してきた。

 その頭は、どうやったらそこまで爆発するのだろう?と疑問視するほど立派な寝癖ができていた。見かねた風音が、サイドテーブルの引き出しを開けてクシを取り出す。すぐにその頭をクシで撫で上げると、すぐに元に戻った。


「……それは良くないと思う」

「オレもそう思う……」


 と、歯切れの悪い回答に、クシが気持ち良いのか幸せそうな表情をするサツキの頭に「?」が浮かぶ。流石のユキもそこまで考えていなかったようで、珍しく焦っているではないか。


「気づかなくてごめん。すぐベッド入れる」

「というか同じ部屋で良いの?」

「うん、先生と生活したい」


 そんな焦りを物ともせず、サツキはケロリとした顔でそう答えた。焦っているのは、2人だけのようだ。

 ……いや、風音だけか。これからの生活を想像したのか、見る見るうちに表情がユキ曰く「からかい甲斐のある」ものに変化していく。


「そうか……」

「……先生、新婚生活1日目だっけ?」

「うるせえ」


 そんな彼の焦りように、ユキが黙っているはずはなく。早速、茶化しを入れる始末だ。自分が焦っても、仕方ないと諦めたらしい。

 とはいえ、風音自身でもそう思ったらしく、顔を真っ赤にしながらユキを睨みつける。いつも装着しているガスマスクがないので、その分赤さが目立ってしまっている。ユキが、それを見てさらにニヤついたのは、言うまでもない。


「先生、同じベッドじゃダメなの?」


 そんな中、サツキはなぜダメなのかがわかっていない。そんな純粋な瞳が、今は痛いほど胸に突き刺さってくる。先に耐えきれなくなった風音は、泳ぎまくっていた視線をサツキから外した。

 ユキはというと、


「……サツキちゃん、先生はオオカミだからダメなんだよ」

「え?人間でしょ?」

「いや、羊の皮を被ったオオカミだよ……」


 彼女の肩に手を置き、表向きは説得させているような態度を見せつける。しかし、それは格好だけ。その状況が面白すぎて真面目な顔で話せないらしく、ニヤニヤしながら言うものだから締まりが無い。


「まあ、……一緒でも良いけどいろいろ不便だと思うよ。オレ、任務とかで不規則な生活してるし」

「先生は一緒じゃ嫌なの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「じゃあ、今のままで良い」


 と、まあ風音の説得も虚しく。

 やはり意味のわかっていないサツキは、きょとんとしながらも風音の座り直した場所の隣に腰掛けてきた。体温を確かめるように肩をピトッとつけられると、彼の全身がビクッと動く。これからの生活は、彼にとっては前途多難なものになりそうだ。

 これは、別にキメラだからという訳ではない。元々、彼女が純情なのだろう。


「……先生、大丈夫?」

「多分……」

「サツキちゃん、先生が寝ぼけて襲ってきたらこれで対応してね」


 流石のユキも同情したのかと思いきや、これである。どこから出してきたのか大きめのモンキーレンチをサツキに渡すあたり、風音への気遣いは皆無だ。


「寝ぼけても襲わないって!!」

「え、サツキちゃんに魅力ないってこと?」

「違う!」

「え?襲う気満々じゃん」

「あ……いや、そうじゃなくて」


 ユキが、彼女から快楽を取っているのでその類の感情がない。それも相まって、こうやって意味をわかっていないのだろう。


「……?わかった」


 と、2人の会話を聞きながらレンチをもらうものの、半分も状況理解ができていないサツキ。両手にレンチを握りしめながら頷くという、なんとも言い難い光景が出来上がってしまった。

 風音がどこまで紳士でいられるのか。肩を震わせるユキは、きっとこれから皇帝あたりへ話に行き彼の行動を巡って賭け事を始めるに違いない……。


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