15:涙は3日で枯れ果てる



 執務室の扉がバーンと勢いよく開く。

 しかし、それはどこぞのユキに比べればずっとずっと優しい音。


「お父様!」


 血相を変えて飛び込んできたのは、彩華だった。肩で息をするほど、焦りが見える。

 1人で資料を読み込んでいた皇帝は、その騒動にゆっくりと顔を上げた。


「なんじゃ」

「ユキは?」


 稽古から直接来たのだろう、彼女は黒にピンクラインの入ったスポーツウェア姿で立っていた。

 彩華の稽古は、体術強化。魔法が使えない分、体術を身体に教え込むしかない。これは、彩華が皇帝に頼み込んでやっと実現したことでもある。


「あやつは任務中じゃ」


 彼女の額には、汗が光っていた。ただ事ではない様子を感じるが、皇帝はそのまま資料へと目を落とす。すると、彩華が近づいてきた。


「嘘つき!」

「本当じゃ」


 彩華の言葉に被せるように、口調が強くなる。そう、彼は嘘はついていない。しかし、真実も言っていなかった。それを敏感に察知する彩華は、相手が執務中だろうがなんだろうが御構い無しに食いつく。


「だって!ユキが帰ってきてるのに……。私のところに顔を出してくれなかった。いつもなら……いつもなら」


 その言葉を聞き、皇帝は眉をひそめた。

 再度書類から目を離し娘を対面すると、眉間にシワを寄せて悲哀に満ちた表情の彼女と目が合う。が、すぐに逸らしてしまった。


「わがままはいかん。ユキも忙しいのじゃ……」


 今、ユキに会わせるわけにはいかなかった。

 皇帝は、この状況を彼女に説明できる自信がなく口を閉ざしたまま。申し訳なさが口調の強さに拍車をかけていると言えそうだ。それが、彼女にとっては面白くない。


「お父様のばか!」


 このまま愛する人の部屋へ直撃するほど、彼女は不躾ではない。何か状況だけでもわかればと思うも、目の前でだんまりを決め込む自分の父親は何も教えてくれないらしい。

 そうわかった彩華は、彼を精一杯罵倒し部屋を出て行ってしまった。その扉は、開けっ放しになっている。


「……良いんですか」


 すると、その扉の影から今宮が姿を表す。親子ゲンカに直接口を挟まないよう、隠れていたのだ。


「……」


 皇帝は、今宮の言葉に黙り込む。

 その沈黙が、針のように鋭い。


「……まあ、今回はこれで正解だと思いますよ」


 ため息を吐くと、珍しく今宮が折れた。事情を知っているためか。

 意外な回答に、皇帝の目が見開く。しかし、すぐに暖かい笑みを浮かべ、


「お主も苦労人になるな」


 と、他人事のように言い放った。


「誰のせいですか」


 その反撃に、楽しそうに笑う今宮。書類の散らばっている机の前に置かれたソファへゆっくりと腰を下ろす。


「そういえば、先ほど千秋が解剖させてくれと来とったぞ」

「まあ、千秋さんなりの気の使い方でしょう」


 半分は本気だろうが。今宮が席を外している時に、彼女が訪れたらしい。

 その気遣いを信じユキに会わせた瞬間刃物を振っていたという話を皇帝がすると、それを聞いた今宮が笑い出す。やはり、彼女は変わっている。


「あやつは、いろんな人に見守られていることを自覚した方が良いのう」

「そうですね……」

「わしは、彩華が可愛い。しかし、それと同等にユキも可愛いんじゃ。どちらも傷ついて欲しくない」

「……それは、親としてですか」

「はて。親とはどんなものだったかのう。書類の山と対峙しすぎて忘れてしまったわい」

「そんなこと言っても、執務は減りませんよ」

「ふむ……」


 ユキの孤独は、そんなものでは入り込めない。それは、2人とも理解していた。

 しかし、ここで止まってしまったら前に進めない。大人として、子どもに伝えなくてはいけないことがあるのだ。もちろん、娘である彩華にも。


「そろそろアリスが帰ってくる。魔警につけられてる書類の件について、話し合っておいてくれ」

「御意」


 短く返事をすると、今宮は書類を簡単にまとめ手に持ち執務室を出て行く。その歩き姿は、いつも通り背筋をまっすぐに伸ばし規則正しい。


「……」


 それに笑うと大きく息を吐き、眉間のシワを伸ばすように手で抑える。そして、目を開き、


「避けきれそうにないんじゃな……」


 と、皇帝は呟いた。

 視線の先には、彩華とミツネ、そして、皇帝のいる写真が。全員が笑いながらこちらを見ている。

 もう、その日は戻ってこない。目の前の写真立てを見ながら、何かを思い出すように皇帝は優しい笑みをこぼした。そして、


「…………」


 彼は何かを決意したように、口元を引き締める。




 ***




「お父様のばか……ばか」


 彩華は、廊下を歩きながら泣いていた。袖で涙を拭くものだから、両方ともびしょびしょだ。

 そして、歩きながら泣くので通りすがりの傭兵がびっくりして振り向く。が、声はかけない方が良いと判断したのかそのまま申し訳なさそうに遠ざかる。


「……会いたい」


 ユキは、家族だ。彼女にとって、恋人よりも世話のかかる双子の弟という立ち位置の方が強い。家族の心配をして、何が悪いのだろうか。彼女にはわからなかった。


「……」


 いつも蚊帳の外だ。

 自身が魔法を使えないから。魔力がゼロだから。でも、それがなんだというのだろう。

 彩華には、体術がある。その辺の傭兵にも負けないくらい、力をつけている。それに、ある程度の知識なら空で言えるし、政治にも口出しできるほど情勢も学んでいる。なのに、誰も認めてくれない。


「……魔法がそんなに偉いの?」


 悔し涙半分、ユキのことが心配なのが半分。それ以外にも、泣きたい理由があったがぐちゃぐちゃの感情を整理できず思い出せない。


「彩華ちゃん……?」


 廊下で立ち止まっていると、とても久しぶりな人が通る。


「アリスさん……」


 目が合うと、彩華はスーツ姿のアリスに駆け寄り勢いよく抱きついた。


「アリスさん……。私、私……」


 そして、子どものように声をあげて泣きじゃくる。この感情は、自分1人では止まらないものだった。

 急な展開に驚くアリス。ただ、理由はなんとなく察したので、そのまま抱きかえし頭を撫でてくれる。


「どうしたの?」


 聞いても、彩華は顔を上げない。アリスの胸に顔を埋めて、肩を震わせるだけ。言葉が、涙で出てこない。


「……またユキのこと?」


 ユキが倒れたこと、彼女が蚊帳の外になっていることは知っていた。アリスとしては全て話したいが、それを皇帝もユキも許してくれない。故に、こうやって彼女の話を聞いて慰めることしかできない。


「あんな女心がわからないやつ、ほっときなさいよ」


 本来の事情を知らないアリスは、ユキが青年だと思っていた。いつか、目の前にいる彩華とくっつけば良いと考えているが、皇帝代理と管理部メンバー。叶わぬ夢なのも知っている。

 アリスが彼女の立場だったら、全く同じことを嘆くだろう。大事な人を守れずに、何も知らずに、「姫」と呼ばれているのが辛いのだ。魔力がない、というだけで自分を他人より下に見てしまうのも、それを自己嫌悪する時間も、全てが辛い。

 アリスには、痛いほどわかる。


「しばらくこっちに戻るから、もう大丈夫よ」


 そういうと、彩華が顔を上げる。目を真っ赤に腫らして、驚いた顔を見せた。


「……」


 そして、それはみるみるうちに眉間にシワがより口元に力が入る。


「アリスさあああん、うわああああん」


 そのまま、彩華はアリスに顔を向けながらしばらく泣いていた。感情が爆発した彼女は、幼い子どものように泣きじゃくる。


「(ユキ、あなたはこんなにも人を惹きつけるのに……独りなのね)」


 こんなにも心配してくれる人がいるのに、ユキは心を閉ざしている。以前に比べると明るくなったが、それでもたまに心が冷たく感じる瞬間がある。まだまだ、時間が必要なのだ。自分と向き合う時間、誰かと共有して得る時間。彼だって、まだまだ幼い子供。


「後で、皇帝に内緒で連れてってあげる」

「え……」

「だから、それまでにちゃんと泣き止んでなさいね」


 そういうと、彩華の頭を優しく撫でる。

 それでもすぐ泣き止まず。今まで我慢していたものが、せきを切って止め処なく流れてくる。彩華は、涙が枯れるまで泣き続けた。


「ほら、いい子いい子」


 アリスは、そんな彼女を無言で抱きしめながら泣き止むのをひたすら待つ。

 廊下には、彩華のすすり泣く声以外何も聞こえない。



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