Case 2-2


 倉部は、固く口を閉ざす熊谷ユキを見る。

 事務所内の誰もが、ユキの話を固唾を飲んで待っていた。


 その場の緊張を破るようにユキは小さく咳払いをすると、皆さんにお見せしたいものがあります。と、言った。


「応接室まで移動しませんか? 長い話になりますし、お見せしなければならないものがキャビネットにあるんです」

 何か言いかけた鬼海に、ユキはそっと首を横に振る。

「酒井さんから、預かって欲しいと頼まれたものがあるんです。……おそらく、手記のようなもの。わたしも中身は読んでいないので、そこに何が書かれているのか知りませんが、おそらくあの時の事件のことが書かれていると思います」


 皆で応接室に移動しようと動きかけた姿を見て、柴崎は仕事に戻ると倉部に告げた。

「……何か分かったら、あとで連絡しろよ」

 二千円札を保管袋の中に仕舞うと、それを無造作にスーツの内ポケットに捻じ込んだ。

 鬼海の後頭部を軽く叩く。

「鬼海ちゃん。しっかりお仕事するんだぞ」

「……っで! 痛いですよ。まったくもう柴崎さんまで。自分の頭が悪くなったら、チーフと柴崎さんのせいですから!」

 鬼海が軽く睨むふりをすると、柴崎は鼻で笑って事務所を出て行ってしまった。


「さて、俺たちは応接室でユキの話を聞こうか」


 倉部の声に背中を押されるように、応接室へと移動する。

 ドアを開け奥にある長椅子に倉部と鬼海が座り、センターテーブルを挟んで向かい合う一人掛けの椅子のそれぞれに、龍之介と少し遅れて入ってきたユキが腰をかけた。


「ユキ。酒井に預かってるものは、どこだ?」

 両膝の上に肘をつき、組んだ両手を顎の下に置いた倉部が、下から掬い上げるような視線をユキに送る。

「……鍵を……給湯室に置いておいた鍵を、取ってきました」

 ユキが掌を開いてみせると、そこには確かにひとつの小さな鍵があった。


「スケルトンキー、か」


 その単純な美しいデザインの鍵が、ほんのりと桃色に染まる掌の上で鈍色の光を放っていた。軸は円筒状で、先端に小さく平坦な矩形上の歯がついたその鍵は、持ち手にあたる部分に丁寧な装飾が施された古めかしいものだった。

 秘密を宿すのにふさわしい光沢。


「それで開くのは鍵のついた本か何か、か?」


 ユキ儚げに笑うと小箱です、と言った。


「キャビネットの中に、小箱なんてありました? 自分は見たことないですよ?」

「正しくはです」

 立ち上がったユキは、キャビネットの上に並んだ段ボール箱のひとつを指差す。

 鬼海がそれを下ろす手伝いをした。

 埃が厚く積もった段ボールを、ユキが濡れた雑巾で拭うと、劣化したガムテープが所々ばらばらと崩れる。

 倉部が容赦なくガムテープを剥がした。

 龍之介も傍から覗き込む。

 中にはプラスチック製のパイプ式閉じ具のあるファイルと、紙で出来たバインダーファイルが雑多に入っていた。

 片手でそれらを掻き分けると、鍵穴のついた木目の美しい小箱がひとつ。


「これだな」

「ですね」


 倉部と鬼海が頷き合う。

 テーブルの上へ、取り出した小箱をそっと置くと皆の見守る中、ユキの白く細い指が鈍色の鍵を鍵穴に挿し、ゆっくり回す。


 かちり、と微かな音が聞こえた。


 中に入っていたのは一冊の手帳、束に纏められた写真、罫線の引かれた小さなノートが二冊。


「この写真……」

 龍之介が最初に手に取った一枚は、この事務所『come back home』を立ち上げた頃のものだろうか。

 古ぼけたその一枚に写る四人は。カメラに向かって誰もが少し戯けた表情で、雑居ビルの一階に入ることになった事務所のドアを掌で指し示すポーズをしている。

 その中にあって、あまり動きを感じられない人物がひとり。そのドアの前にしゃがみ込こむ男には

 また別の写真には、カメラに向かって恥ずかしそうに笑うひとりの男の子。そこにもまた、肩に手を置く顔の無い男がいる。

 さらにもう一枚、これは誰かの自宅前だろうか。おそらく顔の無い男の家なのだろう。表札は尖った針のようなもので消され、その傍に赤ん坊を抱く女性の優しげな眼差しと顔の無い男。

 残された身体から推測するに、それらはどれも皆、ひとりの人物のものだった。

 小箱に入っていた写真を、すべてテーブルに広げてみたが、残されたどれを見ても男の顔だけが無い。


「……酒井だ。ご丁寧に顔を切り取るなんてな」

 吐き捨てるように倉部が言った。


「どんな人だったんですか?」

 顔の無い写真に気味の悪そうな視線を送りながら、龍之介は首を捻る。

「いくらこんなことをしても、調べようと思えば簡単に分かってしまうような気がするんですけど……」

 

 覗き込んだ暗闇で、数多の虫が這いずり回るのを目にしてしまったかのような不快感。

 ぞわりと腕を這う感覚にふと目を下ろしたとき、まるでその虫がいたような錯覚。


 龍之介は身震いをする。


 灯りのない部屋で、ひとり。

 カッターナイフを押し出す音が響く。

 指先が白くなるほど力を入れ、手元にある写真を一枚いちまい切り抜いていく。

 切り取った自身の顔だけが散乱する様を、どんな思いで見ていたのだろう。

 その男の目に映るのは、どんな世界なのか。


 倉部が手にした手帳を開き、声を漏らす。

「……2009年か」






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