Case 1ー3
「この事件、どうやら『入り口』が特定できているらしいってとこまで、ユキさんには話してあるんですが……」
鬼海は、倉部と龍之介の顔を交互に見ながら話し始めた。
「……龍之介くんが指摘してくれた水溜り。オフレコで柴崎さんから教えてもらったんですが、これが今回の入り口だと特定されているそうなんです」
ドライブレコーダー……。
事務所に居る全員が、瞬時に理解した。
「なるほど。当たりだったな。どうやら押収してみたら、がっつりヤバいものが映ってたってわけだ。で、関係者以外誰にも見せられないって言いながら、実際のところ誰にも見せられないってやつだな」
倉部が面白くなさそうに、鼻を鳴らす。
「柴崎さんから事務所に連絡が来たのは、朝いちばんです。折り返し家族の方から依頼の連絡がありました。……で、皆揃ったので今回の依頼内容を最初から確認したいと思います」
倉部の指示で、常には応接室の隅に置かれているホワイトボードをデスクのある部屋まで運んで来ることになり、ユキは龍之介に声を掛けて手伝ってもらうことにした。
キャスターが付いているとはいえ、なかなか重たくひとりで運ぶには煩わしい。
「ちょっと待て鬼海。ドライブレコーダーの映像は、ホントにどうにか出来ないのか?」
途中まで背中に倉部の詰め寄る声が聞こえていたが、それに答える鬼海の声は応接室までは届いて来なかった。
「えーっと、熊谷さん?」
後ろについて歩いていた龍之介が、戸惑った表情でユキに声を掛けた。
ユキは龍之介に微笑み返す。
「あ、そっか。ごめんなさい。紹介がまだだったよね? 熊谷ユキです。で、さっきの人は……」
「鬼海さんですよね?」
よろしくお願いします。と、お互いに頭を下げて笑う。
「事務所に来た初日から、こんなことになるなんて……なんて言ったらいいのか……うーん。いつもはこんな感じじゃないのって言われてもアレよね? まぁ、でも龍之介くんは落ち着いてるよねって言われるでしょう?」
何も考えずに喋り出したユキは、ガタガタと力任せにホワイトボードを引っ張り出すこの感じと、会話の着地点を上手く見つけられずにうやむやな質問で誤魔化している自分に少し嫌気が差す。
ようやく引っ張り出したホワイトボードはしばらく使われていなかったせいか、動きがぎこちない。キャスター周りに埃がついているせいだろうと腰を屈めて埃を取り除いた時、片方にだけロックが掛かっているせいで動きがぎこちなかったことに気づき苦笑する。
「……のんびりなだけですよ」
密やかな笑いを含んだ龍之介の声が、硬いロックのつまみを起こそうと奮闘しているユキの頭の上に降ってきた。
カチッ。
龍之介の柔らかな声が合図だったかのように、ロックが外れユキの肩の緊張が解れる。
隅から引っ張り出したホワイトボードに残る、微かなインク汚れ。
前回このボードを使ってからもう随分になる。
その文字を書いたのもユキだった。
「さっき鬼海さんが言ってましたよね? 今回は『入り口』が特定されているって。ってことは『入り口』が分からないことの方が多いってことですか?」
ぼんやりとホワイトボードを見ていたユキは、龍之介が言ったことにすぐに反応することが出来なかった。
「……えっ? あ、入り口?」
「そうです。『入り口』です。初めてお会いした時、倉部さんはこれとはまた別の『いつもある入り口』ってのを教えてくれました。そこから入る並行世界と今回の特定されている『入り口』の何が違うんですか?」
ユキは真剣な顔でこちらを見ている龍之介と、出会ったばかりの頃の『あの人』の年齢が同じくらいであることに改めて気づき、胸の辺りがギュッと締め付けられる。
「……並行世界は、わたし達が分かっているだけで今のところ『八つ』。どの世界と繋がっているのかは、入ってみないと分からないの。闇雲に探すのは大変なのは分かるでしょ? 『入り口』が分かれば、同じ世界に繋がっている可能性が高いわ。それだけに『入り口』が特定されているっていうのは、探すうえではとても重要なの。入ってみたら、その八つとはまた別の世界かもしれないっていうこともあり得るし……」
「じゃあ……入った『入り口』の分からない行方不明者は、いま分かっているだけでも八つのどの世界に居るのか、それすらも分からないってことですか?」
「そういうことになるわね」
龍之介の顔に浮かぶのは、絶望?
いや違う。どちらかといえば喜色。
そう。
龍之介の兄は、彼の目の前でビニールプールの中に消えたのだ。
「……聞いてもいいですか?」
動きが滑らかになったホワイトボードを、ユキが引っ張り龍之介が押す。そうやってホワイトボードの両端に分かれて応接室の扉を潜ろうとした時、唐突に龍之介がユキに問う。
「もしかして『入り口』を見つけることが出来るのは、熊谷さんですか?」
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