其の四 並行世界


 龍之介は、すぐには倉部の言葉を受け入れられず、困惑していた。

 掌の中にある硬貨を、しげしげと眺める。


「これが、並行世界の……?」


 倉部は、伏せていた残る二枚の写真を表に並べて、龍之介の前に置いた。

 

 二枚の写真には、同じ場所が収められている。


 それは、どこにでもあるような夜の住宅街の交差点を写した風景だ。

 斜めのアングルから撮られており、交差点を挟んで、向こうには小さな公園の入り口が見える。並びには、歯科の看板を掲げた三階建て煉瓦風タイルを貼った茶色のビル。その隣も同じ高さの建物で、花屋のようだ。シャッターが下りているが、上の窓には灯りが燈っている。住居兼店舗だろう。

 その向かいには、アパートや住宅が立ち並んでいる。

 アングルも同じ、日付けも同じ。

 ただ、公園にある時計の時間だけが違う。

 一枚は九時を少し過ぎたところ。

 もう一枚は、十一時三十分過ぎだ。


「間違い探しは得意だろう? この2枚の写真を見比べて違うところを教えてくれないか?」


 弾かれたように顔を上げ、龍之介は倉部の顔を覗き込んだ。

「間違い探しが得意だって、どうしてそう思うんですか?」


 食べ終えた皿を片方の手でテーブルの隅にずらし、倉部は両手を組むと顎を乗せ龍之介を見据えた。

「まぁ、いいから」


 龍之介は倉部を不審そうな目でちらりと見た後、目の前に置かれた写真を覗き込んだ。

「……ちょっと、手で持っても良いですか?」


「もちろん。好きにして良いよ」


 大抵の人の場合、写真をそれぞれ左右の手で持ち見比べるのだが、龍之介の場合はもちろん違う。

 一枚を両手で持ち、じっと眺めている……様にしか見えない。

 しばらくそのまま見続け、おもむろに両眼を閉じる。


 シャッターを押したな。


 倉部はその動作を見て、龍之介がやはり特殊能力の持ち主であるとの確信を持った。

 再び眼を開けた龍之介が、それまで手に持っていた方を伏せてテーブルに置き、もう一枚の方を持ち上げ視線を走らせた後、倉部の方に向き直り言った。


「答えたら、どういうことなのか説明してくれますか?」


「もちろん、そのつもりだよ」


 龍之介は手にした一枚の写真を、倉部の方を向くようにテーブルに置く。

「まずは、この信号です。青信号、と言うけど大概は緑色ですよね? もう一枚の写真は緑色でしたが、この写真の信号機は青色です」


 倉部は、続けて、というようにひとつ頷いた。


「写真は同じ日付けですけど、操作されたものじゃないんですよね?」


「操作はしていない。信じられないかもしれないけれど、そうとしか言えない」


 写真の日付けに指を指して倉部に確認をとと、そのまま歯科の看板まで動かした。

「歯医者の看板ですけど、この写真では『園部歯科』ってなっているけど、もう片方は平仮名で『そのべ歯科』って……掛け替えたのでなければ」


 倉部は頷く。


「別の日撮りではないよ」


「まだあります。このアパート、ここです。この二階の端の部屋。カーテンの色……照明の色かな? とも思ったんですが、違いますよね」


「そうだ。カーテンの色が違う」


「信号機、看板、アパートのカーテンの色……」

 言いながら指を折っていく。

「あと公園の時計の文字。ローマ数字と英数字の違いがあります」


 倉部は伏せられていた最初の一枚を、表向きにして並べ、龍之介の指摘が全て合っていること本人に教えた。


「……答えました。これは、どういうことなんですか?」


「どうも、こうもない。これはどっちも俺が撮った写真で、俺たちが存在している世界と、並行してあるもう一つの少しだけズレた世界ってだけだな」


「本当に? じゃあ、行き来出来るってことですか? 誰でも?」

 龍之介は思わず声が大きくなってしまい、その自分の声にうろたえる。


「……誰でも……? そうだな……誰でも並行世界への『入り口』『出口』が見えるなら、誰だって行きたい時に行けるんだろうが、そんな簡単なことじゃない」


「だけど倉部さんは、行ったじゃないですか。行って帰って来てますよね?」


 倉部は背もたれに背を預け、腕を組む。

「……『入り口』が見える奴がいるんだ。俺は、そいつに教えてもらった『入り口』から入ってるだけで、実際、俺自身は分からないんだ。帰り道も同じ。ちゃんと帰って来れたかどうかは、この写真のように僅かな違いが分からないといつまでも彷徨うことになるってわけだ」


「……!」


「それに誰も知らない『入り口』は、ごまんと有る。だからこそ突然、並行世界に行ってしまうという事件が起こるんだ。で、その『入り口』は移動していると思っていい。

 倉部は少し間を開けて続けた。

「……


 龍之介は写真に目を落とす。

「ここに……いつもある『入り口』が……?」


 倉部はテーブルの上の写真を片付け始めながら、龍之介に尋ねる。

「ところで、龍之介くんがカメラ・アイだとご家族は皆、知っているのかな?」


 何もないテーブルの上に視線を落としたまま、龍之介は答えた。

「……知っています。コントロールする方法を教えてくれたのが、兄でした」



 目に映るもの全てを記憶してしまう。最初に気づいてくれたのも兄だった。

 覚えてしまうというよりも、忘れられない、と言ったほうがいい。

 そのことは、幼い龍之介を苦しめた。

 産まれてからたった五年しか経っていないのに、膨大な記憶が龍之介を支配していた。

 周囲の大人は、龍之介を天才だともてはやす一方で、気味悪そうにしていた。

 ある時、何気なく言った兄の一言が、龍之介を救うまでは。

 

 「覚えておきたい時だけ、シャッターが押せれば良いのにな。ほら、カメラみたいにさ」


 古いデジタルカメラを、オモチャにして遊んでいた兄が言った一言だった。

 龍之介はこの日から、自分の眼がカメラであると自身に言い聞かせ、能力をコントロールするべく努力した。


 全てを写すのではなく、選択する。


 それが上手く出来るようになったのは、兄が龍之介の前から姿を消してから随分と後のことだ。

 だから、今でも龍之介は『あの日』のことを寸分違えずに思い出す。

 

 ビニールプールに飛び込んで消えた兄を。


 俯いてしまった龍之介に、倉部は一枚の名刺を差し出しながら言った。

「龍之介くんのお兄さんは、並行世界に居ると思って間違いない。他にも、お兄さんと同じような人がいるんだ。……必ず会えるとは言えない。助けられる、とも言えない。だがその力を貸して欲しい。……アルバイトだと思ってウチの事務所に来てくれないか?」


 名刺には、事務所の住所が記載されている。龍之介は、思わずシャッターを押してしまった。

 決して忘れられないシャッターを。




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