549 トゥモロー・ワールド②




 ここで、ハークはぴんと人差し指を立てた。


『しかし、彼女は1つ思い違いをしていたんだ。過去に干渉できても過去は変えられない。時は不可逆的な現象だ。限りなく停止に近いほどに遅く、停滞させることはできても、戻すことは絶対にできない』


『え? できないッスか?』


『ああ。過去は観測するのが精々だ』


『じゃあ、今のご主人は、どう転生したんッスか? ご主人を転生させたのは未来の、今から一千年後のウルスラなんッスよね?』


『そこがまず違うのだ。今の儂も、前の儂もない』


『へ? へ?』


『混乱するよな。順を追って説明しよう。まず事の発端は、儂が崖から落ちたことだ』


『オイラがまだ精霊獣ですらなかった頃ッスね。……いや、逆ッスかね。オイラが初めて精霊獣に進化した日ッスね』


『そうだ。200メートル以上落下して、儂の身体は木々の枝に引っかかりつつも減速し、最終的に敷き積もっていた落ち葉の山に受け止められた。お陰で外傷らしい外傷は負わなかったが、衝撃で儂の身体は複数の被害を受ける。まず、心臓が止まった』


『そういう話だったッスよね? その間に魂が入れ替わったって』


『ああ。前の儂の魂が死に、今の儂の魂がこの身体に入った。そう考えていたが……事実は全く違う。儂は仮死状態に陥り、走馬灯を見た。ただし、今を生きる儂のではない、過去の、前世を生きた儂の走馬灯だ。一度身体から離脱した魂が勝手に引き出したんだ。ここで、停止した筈の、この身体の心臓が再び鼓動する。即座に儂の魂は、身体に戻った。普通なら、臨死体験中に見た記憶なんぞ、朝起きた夢の如く後には残らない。残っても、自分の記憶というより、何かの映像を第三者の視点から覗いたかのようで実体験が伴わぬものだ。ところが、ここでもう一つの問題が起きた』


『問題……ッスか?』


『落下によるもう1つの被害だ。強い衝撃を頭部にも受けたことで、儂は記憶も失ったんだ。記憶には、超大雑把に分けて意味記憶、手続記憶(筋肉記憶)、エピソード記憶の3種があるが、儂は全部をまとめて失った。全くのまっさらとなってしまった訳だ。そこに、直前に見た前世の、1万年以上という非常に長い期間の開きがあるので正確には前世の内の1つなのかも知れんが、兎に角その時の記憶が全て流れ込んだんだ。こうして、今の儂の下地ができあがった』


『え? ってコトは……』


『そう。魂など入れ替わってはいないんだ。前のハークも、今のハークもない。儂の、ハーキュリース=ヴァン=アルトリーリア=クルーガーの魂はずっと同じ1つの魂だったんだよ』


『こう表現しては何だが、まるで興味深い実験の結果を観るようだ。同じ魂であっても育ち方や環境で、驚くほど結果は変化する証明であるな』


『……エルザルドの言う通りよな。できあがったのがこうまで別だとは、儂自身のことながら驚きだ……』


『ご主人は、もう思い出しているんッスか? ……その、失った前の記憶の事……』


『うむ。だが、思い出したというより、少々無理に蘇らせたに近いな。エルザルドの記憶にアクセスするのと同じく、別人の体験を主観映像で観させられているかのようだ』


『何か増々混乱してきたッス……』


 虎丸は頭を抱える仕草をした後、何かを見つけたようですぐにハークの顔を見上げた。


『ご主人! 腰の剛刀が無いッス!』


 虎丸の記憶に依れば、ハークの腰の愛刀は彼の大切なものであった筈だ。だがハークはあっけらかんと答える。


『ああ、そうだな。あの場に置いて・・・きたよ』


『え? 取りに行かなくて良いんッスか? アレはご主人の大事なものじゃあ……?』


『うむ、その通りだよ。前世の儂が造り、我らが家系が受け継い・・・・できた大切な刀だ。……あの刀も儂にとっては信じられぬほどのまさかの1つだ』


『製造されてから、1万数百年経っておるとはな。状態が良いのは適切な保管による期間を経て、途中から圧縮空間にも入れられたからだろう。知っての通り、圧縮空間は通常空間よりも時間の流れが遅い。流れの遅さはその空間の圧縮度合いで異なるが、我の肉体と同じ圧縮空間が使われておれば、合計経過年数は確実に千を下回るに違いない』


『そうだな。恐らく柄糸や金具など幾つか交換されてはいただろうが、違いに気づけなかった。儂の魂と共に、時を超えたのだとばかり考えていたからだな。阿修羅様、つまりは未来のウルスラが、名の代わりに今の儂に授けてくれたものだと。……ところが実際のところは、違ったんだ。彼女の助けが無くとも、儂は今の状態となることができていた』


『じゃあ、ウルスラの干渉は全く意味が無かったッスか?』


 ハークは首を横に振る。


『そんな事はない。意味は確かにあった。過去を変えることはできない。実際に起きたことを止めたり、または起きなかったことを発生させることは不可能だ。起きたことは起きたこと、起きなかったことは起きなかったこと。結果はそのままだ。しかし、過去の結果、発生した事実に対しての意味を変えることはできる。失敗や敗戦を糧とし、次に進む材料とするか、或いは悲嘆にくれて無為にその後を過ごす原因とするか。全ては考え方次第だからだ』


『ウルスラ殿の干渉は、今のハーク殿にとっての大きな道しるべとなった。行動に直接的な影響を及ぼすことは無いにしても、彼は迷うことがなくなったのだ。干渉がなければ、ハーク殿の記憶上では前の人生で死を体験した直後、突然見知らぬ場所、見知らぬ世界で、しかも見知らぬ少年の姿で放り出されることになる。それを彼女は変えたのだ。転生したことを伝え、生きて暴れれば良いという行動指針も与えた』


『あれがなければ、儂は己の過去の名を憶えておらぬことをずっと迷い悩むことになるであろうな。記憶に所々欠けがあることもそうだ。しかし、名を憶えておらぬことに理由がつけば、その関連であろうと己を納得させられる。ま、転生後に儂のしたことのほとんどは巻き込まれたか、或いは依頼されたものばかりだ。訳も原因も解らず、迷いがあっても同じことをしただろう』


『じゃあ、ウルスラはこれから約一千年の後に、ご主人に対して恩返しをするっていうことッスか?』


『結果的にそうなる。が、彼女本来の主たる目的は、儂やモログが先の戦いを生き延びることだろう。彼女はそうすることで未来が、彼女にとっての今が変わるかも知れない。そういう、藁にも縋る思いがあったんだ』




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