547 日はまた昇る




 顔にはメイクというか、隈取を想起させる紅と黒の縁取りが薄く痣のように施されていた。しかしそれは彼女特有の美しさを邪魔するものではなく、むしろ神秘的な印象を加えている。


『とっ、兎に角にもとりあえずは服を着よ! 眼のやり場に困るわ!』


 毛髪量の多い髪が重力に逆らってふよふよと際どい箇所を覆い隠してはいるものの、危険な感覚は拭えない。

 虎丸はその状態でまたもコケティッシュに首を傾げた。


『服? 服ッスか。着たことないッス』


『……そら当然よな……。仕方ない、しばし儂に委ねよ』


 ハークはそう伝えると、手を伸ばして少女の頭の上に己の手の平を置く。

 その感触が甲殻越しであっても、元の精霊獣形態の虎丸の額を撫でた時と余りにも変わらぬままであり、眼の前の少女が間違いなく相方の化身であると確信させてくれる。


『おっ? おおっ、何か頭に流れ込んでくるッス。面白ッスねコレ!』


『面白がっておる場合か。エルザルド、お主も協力せい』


『協力と申されてもな、我も服など着たこともないぞ?』


『分かっとる。せめて……ネタなどないか?』


『ふうむ、ネタか。しばし時をいただこう』


 一万年の記憶より多少の何かをエルザルドが検索してくれている間、ハークは遥かな昔、具体的には自身の前世にも同様のことをやらかした記憶を呼び起こす。雌雄を確認せずに、見た目の精悍さだけで名を決めてしまったのだ。後から家人に、せめて股座またぐらを確認してからにしてやってください、などと言われたものである。


『ハーク殿、こういうのはどうかね?』


 エルザルドからイメージ映像が流れ込んできた。虎丸とも共有している。

 アズハ=アマラの人間体での映像であった。


『何じゃこれは!? 破廉恥過ぎるわ!』


 恐らくは雰囲気が似ている、というより被っているから候補に選ばれたのだろう。輝く銀髪に雪のような白い肌。確かに同じ様だ。更に小柄なところまでよく似ている。

 しかし、肝心の服装が、ハークからすれば言語道断であった。帯のようなもので身体の各所、特に大事な箇所を覆っただけのものだったのである。


『いかんかね?』


『動きやすそうッスよ?』


『逆に動けんぞ。少しでも激しく動いたらすぐにズレ落ちてしまう』


 エルザルドも虎丸も、服を着用したことがないゆえに勘違いをしている。布の面積が少なくなれば少なくなるほどその分裸に近いから動きやすいと考えているようだが、少ない分とっかかりが減り、動いた際に遊びが無く外れてしまうものだ。


『動きやすさか。ではハーク殿、ヴァージニアのような服装はどうかね?』


 問われてハークはすぐに最強龍の一角、ヴァージニア=バレンシアの人間形態での服装を頭に浮かべる。

 あの服装ならばハークにも文句は無い。それに虎丸唯一の要望である動きやすさにも直結するだろう。


『良いな。そこに虎丸らしさも加えよう』


 ハークは虎丸が無意識下で操作していた防御障壁の一部にアクセスする。

 本来ならば自身と同等の存在が作り出した障壁を、今のハークであっても意のままに操るなど絶対に不可能だ。が、深い信頼と虎丸の意志がそうさせる。


 ハーク達が今現在いる場所は成層圏の際の際、もうほんの少しでも上昇、というより地表から離れてしまえば中間層に達してしまう。大気が存在する層はまだまだ続くが、ここまで来るともう存在しているだけだ。宇宙空間ではない、一応は、というだけで、生物がこんなところに裸で居れば忽ちの内に命に関わる。


 低かろうが高かろうが、外からの圧力斥力に対する完璧な防御能力を備えていたところで、十代の乙女のような瑞々しさをさすがに保っていられる筈もない。

 美しいその表面までもが未だに無事であるのは、眼に見えぬ防御障壁のおかげであった。

 虎丸が無意識下で形成していたそれを、ハークは一部分だけ物質変換し、別のものへと変える。


 彼女の下半身と胴体部を覆い隠す道着状の厚手の服は、ヴァージニアの他にフーゲインの意匠も織り交ぜた。


『おっ、おっ、おおっ? 不思議な感覚ッス!』


 ハークは更に上から被せるように精霊獣形態の虎丸によく似た虎柄の毛皮を作成し、外套として袈裟懸けに彼女を包ませた。


 こうして追加で物質変換を行ってやるのは、今の形態の虎丸にあまりにも余剰魔力が多い所為でもあった。

 要するに制御し切れていないのだ。でなければ無意識下でのコントロールなど、有り得る話ではない。


 ハークは己の作業が完了すると同時に虎丸の頭から手を離した。


『わ~~、何かカッコイイッス!』


『気に入ってくれて良かったよ。やり方は憶えたか?』


『はいッス! 次からは一人でできると思うッス!』


『そうか。ならば良かった』


 ハークは安心したように言う。実際にひと安心していた。

 虎丸は元々、魔法を使えない。

 種族的に魔法の源である魔導力が低く、使えたとしてもあまり役には立たなかったであろうが、属性魔法を使用できぬ原因は、主に感情の偏りが少ないことに起因する。

 虎丸もこの条件に当てはまり、属性魔法の使用、つまりは事象改変を自らの意志で行った経験は無い。


 だというのに特別意識をすることもなく、地表のわずか千分の一という極薄な気圧状況下において、異常の一切を防ぎ得る力を急に手に入れてしまったのだ。コントロールなどできよう筈がない。

 強固過ぎる盾が時に武器へと変わるように、超々絶対的な鎧でもある防御障壁が下手に発動した状態で今のハーク以外の相手と接触した場合、対象がモログ並みの頑強能力を備えていないと爆発四散してしまう。制御方法を教え込むのは急務であった。


『ところでご主人、さっきからずっと、エルザルドの声がご主人の内側から聞こえてくるんッスけど……』


『ああ、儂と融合したぞ』


『はいっ!?』


 急に虎丸の雰囲気が変わった。


『どうした、虎丸?』


『おい、エルザルド! もしもご主人の身体を乗っ取ったりしたら、絶対に許さんぞ!』


『心配は要らんよ、虎丸殿。我の側には、すでに魂が無い。乗っ取りたくとも手段が無いよ』


 その言葉を聞いて、虎丸の勢いがしなしなと失われていく。


『あ、そっか……。妙な疑いを向けて悪かった、エルザルド』


『謝る必要などないよ。疑うのも当然であるからな』


『いや、そんな事はない。エルザルドの好意を……』


『それは違うぞ、虎丸殿。我は選択を実行しただけだ。我ら全員にとってベストな、当然の選択をな。大体からして、我はすでに貴殿らに救われた存在なのだ。気が引けるのであれば、その恩返しであると考えてくれ』


『解った。改めて感謝する、エルザルド。ご主人を救ってくれて』


『やるべきことを行っただけだよ。そうだ、今の内に説明しておこう。記憶と人格の混同を避けるため、我からの知識の伝達は行わぬようにしておる。全て一方通行だ。ハーク殿が必要と感じた知識を、我から吸い上げる仕組みとなっている』


『それは……、ある意味今までと同様ということではないか?』


『そうだな。だが、速度が違う。これからはハーク殿が知りたいと考えた瞬間には、もう知っている・・・・・ことだろう』


 ここでハークも話に加わる。


『エルザルドの豊富な知識と記憶を、儂が残らず受け継ぐ形だ』


『本当に残らず受け取ったら、エルザルドはどうなるッス?』


『その頃には完全に儂の中に溶けて融合、なくなるであろうな』


『何だか寂しいッスね』


『そうだな』


『どれくらい先の話なのだ、エルザルド?』


『そうさな……、凡そ千年から一万年といったところではないか?』


『何だ、随分と先なのだな!?』


 虎丸の、心配して損した、といわんばかりの声音に、ハークとエルザルドが笑いを漏らす。

 虎丸まで混ざってひとしきり笑い終えると、ハークが再度語り始めた。


『エルザルドの記憶の中にある知識と能力を儂のものと融合することで、儂らは全てを辿り、解明し、導き出すことができた。儂自身のことも含めて、な』


『ご主人自身、のことッスか……』


『ああ。儂は、この世界とは別の、異世界からの転生者などではない。と、いうか、そもそも異世界などというものは存在しない。儂の前世も今世も、全ては地続き時続き。……則ち儂は、普通に転生した・・・・・・・だけの存在であったのだ』




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