537 第30話:最終話36 I’m just a small part of the world,




 壁に叩きつけられた衝撃で、ハークは短い気絶から意識を回復していた。

 しかし、もう動くことができない。

 魔法力を全て使い果たしただけではない。左側にほぼ感覚が無かった。


〈……う……〉


 薄目を開けるだけで精いっぱいだった。

 視界もボヤけている。いつもはあんなに鮮明に見えるというのに。

 これが自身2度目の死が近づいている兆候であると、ハークは2度目であるがゆえに確信が持ててしまった。

 同時に、もう1つ頭に浮かぶことがあった。


 負けた、のだと。


 口惜しかった。ハークとて個人的な争いを除き、負けた経験はある。前世でのいくさがそうであった。

 戦では、個人的な力は自分が生き残ることには有利に働いても、最終的な勝利に導くには適わなかった。

 しかし、あの時の口惜しさとは質が全く違う。折角この世界にて他者の運命さえ変え得る力を手に入れつつあったのに、守ると誓った人々の未来を確保することができなかったのだ。


〈……これが、本当の、無念というものか……〉


 覆せるものなら覆したい。だが、既に結果には現れてしまっていた。立ち上がれるものならば立ち上がりたい。しかし、もう身体のどこにも力が入らなかった。


 この時のハークは左胸に大穴が空いている状態で、鎖骨から下の胸と呼ばれる箇所を丸ごと消失していた。左腕も千切れ落ちる寸前であり、辛うじて支えが残っているだけであった。

 この世界のレベルによる恩恵がなければ、とっくにショック死している筈の致命傷だった。

 また、虎丸が身を呈して庇っていなければ胴体の左半分が完全に消滅し、即死していたことであろう。


 視界の端に、ピクリとも動かない虎丸が映る。左半身に大きな傷を負っているのが分かった。

 手が届く範囲だ。

 鉛の如く重さの増した右の腕に少しだけ力が戻り、震える手を虎丸の背に伸ばす。

 何とか到達すると、暖かさが手の平にほんのりと伝わってきた。鼓動も僅かに感じる。


〈まだ……生きている……!〉


 すぐに逃げろと伝えたかった。だがもう声が出ない。虎丸は完全に気を失っているようで、念話が使えない。念話は本来虎丸の所持するスキルであり、ハークは虎丸を介して他の仲間に念話を送ることができていただけなのである。


 視線を移せばイローウエルの姿が見えた。ぼんやりとでも未だ立ち上がっていないのが解る。まだ右腕以外四肢の再生がどれも完了していないのだろう。特に左半身はほとんどハークが斬り落としている。

 それでも、その残った右手がハーク達に向けてかざされれば終わりだろう。『波動光』を撃たれるだけでもう凌ぐ手段が無い。


〈日毬は……上手く逃げてくれたであろうか……?〉


 首を動かす気力もないので、姿を探すこともできない。

 彼女のことだけが気がかりだった。ハークと虎丸は、片方の外見は兎も角、中身は大人だ。戦闘に際し、常に死の危険がつきまとうことも理解しているし、覚悟もある。

 だが日毬は別だった。まだ生まれて1年も経っていないのだ。絶対に死なせたくはない。


 イローウエルの白い歯が見えた。笑っているのか歯を剥き出しにしているのかは判然としない。

 やがて漸く、その右手がこちらに向けられた。


〈終わり……か〉


 ただただ無念である。

 わざわざ転生までさせてもらった阿修羅にも申し訳が立たない。

 またも満足のいかぬ死が迫っているのが分かる。だが、口惜しさは前回の倍以上にも感じた。それでも、どう仕様もない状況だというのは、ハークがハークであればあるほどに痛感できてしまう。


 全ての感情を押し殺し、ハークは眼を瞑った。

 まぶたの隙間より、紫色の光が垣間見えた感覚がある。

 だが、数瞬経っても何の衝撃もないことに訝しんで再び眼を開けると、信じられぬ光景が飛びこんできた。


〈…………馬鹿な!?〉


 目一杯まで無理矢理に開いたハークの瞳に映ったのは、無数の『風の断層盾エア・シールド』を展開してハークの前に飛ぶ、自身と同じ大きさにまで巨大化した日毬の姿であった。

 紫紺の光が分散、拡散し、幾つもの細い束となって日毬の周囲を飛び交っている。


〈何を……、やっているのだっ!!〉


 1つの『風の断層盾エア・シールド』では防げぬと数え切れぬほどの数を無数に配置、展開し、角度を変えて逸らし、分け、威力を減衰させている。

 それは解った。だがハークの『何を』とはその事ではない。

 ハークの心に怒りにも似た焦燥を呼び起こしたのは『何でそこにいるのか』であった。


 今再びハークの右腕に力が戻る。

 左腕の肘から先の感覚も戻ってきた。未だ天青の太刀の柄を握り締めているのが解る。

 ハークは立ち上がろうとする。生暖かいものが喉の奥からこみ上げてきて吐いたが、必死に足を動かそうと試みる。


 だが、呼吸がし切れない。どこからか抜け出てしまっていた。一緒に残った力まで抜けていくようであった。

 せめて声を上げたい。逃げろと叫びたかった。が、口を動かすだけで精一杯であった。


〈駄目だ……! 逃げろ、逃げろぉ!!〉


 心の中で叫んでも伝わる筈もない。

 一見、上手く凌げているように見えていても、『波動光』の威力に耐え切れず『風の断層盾エア・シールド』は次々と崩壊し、数を減らしていく。その度に日毬は新たな『風の断層盾エア・シールドを生成していくが、当然に日毬の魔法力も無尽蔵ではない。


 いずれ終わりが来る。

 それどころか、ハークに分け与えていたことで、とっくに残り3割を切っていた筈だった。既に尽きていてもおかしくはない。


 遂に、一筋の紫紺の光が日毬の防御を貫いた。それを彼女は避けることなく、身体で受ける。


〈やっ……やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!〉


 叫べるものならば叫びたかった。

 爆発はすぐに起こった。

 辺りは舞い上がる粉塵で満たされる。その中に、日毬の姿はもうない。周囲に漂う粉塵こそ、日毬であったものだったからだ。


 ハークの心中を怒りが満たす。憎悪が覆う。だがその矛先は無慈悲に日毬を殺したイローウエルに対してではない。

 無力な己に対してであった。

 ハークは奥歯を噛み締め、震える右腕と両足に最後の力を籠める。立ち上がるために。





『これは……日毬殿の魔力が空間を満たして……』


 何かの声が頭に響く。幻聴の類だとハークは気に留めなかった。念話の中継者である虎丸は未だ全く動かないのだから。エルザルド単体では何もできる筈はない。


『まさか……これを狙って……? これならばいけるか……!?』


 だが、またも声が続く。

 そろそろうるさい、と思えてきた頃合だった。


『ハーク殿! 聞こえるか!? 聞こえたならば返事をしてくれ!』


〈煩い、な、エルザルド……。儂は、奴を……〉


『何を申す!? そんな身体で勝機など無いぞ! しかし自暴自棄ヤケになるな! 日毬殿が命を懸けて最後の手段を授けてくれた!』


〈日毬、が……?〉


 その名を聞いて、ハークの中に昏い感情が湧き上がる。


『そうだ! 今、『可能性感知ポテンシャル・センシング』を使った! 魔法袋マジックバッグの中に手を突っ込め!』


 何故、肉体を失った筈のエルザルドが今更に龍言語魔法の『可能性感知ポテンシャル・センシング』を使えるのか、全く分からなかったが、とりあえずハークは頭の中に思い浮かべる。


〈駄目だ……。儂、の魔法袋は左の懐、に……〉


『そちらではない! 我の身体が貯蔵されている方だ!』


〈お主の、エルザルドの、身体……?〉


『そうだ! 虎丸殿の首元のたてがみの中に括りつけられ、隠されている方だ! 手を伸ばして中へと突っ込め! 我の死骸に触れるのだ!』


〈死骸に……? ……何故?〉


 考えても解らない。再びぼんやりとしてきた頭では考えることもできずに、ハークはエルザルドの言葉に従って右手を伸ばす。倒れたままの虎丸の方へ。


『頑張れ! まだ可能性はある! 日毬殿が作ってくれたのだ!』


〈日毬が……?〉


 その言葉で意識が幾分はっきりしてきた。


『そうだ、ハーク殿! これが正真正銘、最後の勝機チャンスだ! 我の身体を摂り込め! 我の肉体を吸収し、合体するのだ!』





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