533 第30話:最終話32 My Heart Is Blazing③
安堵感から自然と涙が零れ落ちそうになっていた。
確かに生きている。自分と同じ、いいや、自分以上に危ない状態と思われたが、確かに息をしていた。恐らく残りHPは一桁台なのではないか。
視界を邪魔する眼の下に溜まった液体をヴィラデルは乱暴に手の甲で拭って、即座に懐の
すると、視界の端に砂の間から覗く豆粒のようなものが見えた。
(……まさか!?)
思いつき、ヴィラデルは砂の中に手を突っ込む。
何かを掴んだ感覚を元に、それを引き上げる。ズルリと砂の中から出てきたのは、千切れたシアの右手であった。
ヴィラデルはできる限り急いでその腕についた砂をはたき落とし、その接合部をピタリとシアの側にくっつける。そして、魔法袋から回復薬を1瓶取り出して、丸々、惜しげもなく全てを振りかけた。
ヴィラデルとて実例を見た試しは無いのだが、こうしてやるとくっついたことがあるとの体験談を聞いたことがあったのだ。欠損部もだいぶ大きいので難しいとは認識しつつも、試さずにはいられない。
一気に1瓶全てを勢いよくかけたのは患部についた砂を少しでも洗い流すためだ。
砂漠の砂は無菌だが、ここは元々の砂漠ではない。とはいえ熱でその辺りは心配する必要は無いかも知れない。それでも、塞がったとして傷の中に入ってしまうものは少しでも少ない方が良いだろう。
本当は経口摂取もしたほうが良いのだが、仰向けから動かせぬ状況である以上、眼を醒まさなければ無理であった。下手をすれば気道が詰まってしまう。
流れ出る血の量は少なくなっている。
ヴィラデルは更に魔法袋の中から予備の回復薬を取り出して、今度は患部に染み込ませるようゆっくりとかけた。
シアの呼吸がようやく安定し始めた。血もほぼ完全に止まって、肉が盛り上がり始めている。
(やった……! もう安心だわ……!)
シアの生命力値は高い。快方に少しでも向かえばもう大丈夫だろう。
少々楽天的に寄った達成感だったが、そう判断した途端にヴィラデルは急激な眠気に襲われる。
途轍もなく身体が重い。というより力が入らない。彼女も血を失いすぎたのだ。
マズイ、このままでは意識を保っていられない。そう確信したヴィラデルは、瓶の底にわずかに残った回復薬数滴を直接口をつけて吸い、次いで力尽きるように倒れ込んだ。
視界が真っ暗に閉ざされる直前、モログやハーク達のことが脳裏浮かんだものの、もはや彼女にできることはなかった。
◇ ◇ ◇
やっと殺気のようなものを叩きつけてくるようになったイローウエルに対し、ハークは遅い、と思った。
ハークからすれば戦うと決めた瞬間に出ても良いのだが、そこまでの経験と精神の持ち主ではないのだろう。或いはまだまだこちらを舐めていたのかも知れない。
「そうですか……。貴方が、私たちの計画をずっと潰していたのですね」
確信に満ちた言葉と共に、左眼はそのままで右眼だけがかっと見開かれていた。
奇妙な表情だ。そうハークは思った。
同時に倍化して叩きつけられてくる怒気にも似た闘気と殺気。
ハークは知らないが、片眼だけを大きく開くのはイローウエルが本気になった時の癖のようなものであった。
レベル75という存在の強大な全てが伴った圧力が襲いつつある。
普通ならば怖気づいても不思議ではないそれを受けて、ハークは何を今更と思った。
〈潰す? それは貴様の方だ。貴様がやってきたことだ〉
古くは古都ソーディアンに進入した巨大龍、エルザルドからだった。
そして、彼が傷つけようとしていた多くの者たちをハークは虎丸と共に救ったが、全員が等しく無事だった訳ではない。その場こそ切り抜けようとも、巨大龍襲来という異常事態が影響して、シンやユナたちの恩人がすぐ後に亡くなっていた。
それから半年後のトゥケイオス防衛戦でも矢張り犠牲は出た。最終戦で共に戦った冒険者や兵士たちもそうだが、事が明るみになる前の段階、ハーク達がまだ介入する前の『黒き宝珠』の起動準備から、実に多くの人々が傷つき死んだ。
トゥケイオスの街を含めた地域全体の領主ロズフォッグ家のご令嬢メグライア、彼女の恋人デュランもその内の1人であった。
彼は『黒き宝珠』によって骨の魔物と化して尚、操られることなく自我を保ち、最後の最後でハーク達に道を示してくれた。
デュランの奇跡的なその行為は、メグライアを含めた多くの人々を救い、結果、彼は1つの街を救った英雄として永遠にその名を刻まれることとなる。
しかし、最愛の人と添い遂げられなかった事実に変わりはない。
続いてワレンシュタイン領では頼もしい仲間たちを得て、幾度もの勝利を重ねた。
何度も何度も帝国の暗躍を未然に防いで、止めてみせた。
だが、どのような勝利であろうとも、兵士たちの血と犠牲は免れ得ない。抑えたとはいえ、負傷者もそして死者さえもゼロにすることは適わなかった。
彼らとて、しっかりとした覚悟を有していただろう。特に凍土国オランストレイシアでの遠征戦は、ハークも含め参加者全員が事前に遺書をしたためた。
もしも、も、決して絵空事で臨んだ者などいなかった筈だ。
しかしそれでも、誰かの親であり、誰かの子供であり、そして誰かの恋人であったのだ。
一方で生命こそ繋いだものの、その後の未来を大きく変えられてしまった者も多い。
先に挙げたメグライア嬢もそうだが、学友ロンの兄でモーデル王国第3将軍レイルウォード=ウィル=ロンダイトの長男であるロウシェンを始め『洗脳魔法』によって時間や立場、信頼さえ失うことになった者たちもいる。
その最たる例が、アルティナの兄でありモーデル王国第一王子アレサンドロ=フェイロ=バルレゾン=ゲイル=モーデル、通称アレス王子であった。
愚かな行いを彼はした、とハークも思う。
止まる機会も幾つかあったであろうに、とハークも思う。
だが、彼の全てが愚劣であったとまでは、ハークは思わない。
ヒトは誰もが間違いを犯す。若い頃であれば当たり前のことだ。既に前世のことだが、ハークとて憶えているものだけでも数多い。
彼の場合は帝国、ひいては眼の前の魔族によって過剰なる力を付与された挙句に、被害を衆人へと伝わる形にまで拡大させてしまった。
罪を償う必要があるのもまた当然。とはいえ、その源流は幼き頃に帝国にて植えつけられた思想、思考が元となっている。
病は治せても、癖までは治せない。三つ子の魂百まで。人格形成期に受けた教育による価値観は、そう簡単に拭えぬものではない。それこそ、本人が死に目にでも会わぬ限りは。
彼とて奪われたのだ。時間を、思考を、未来を、家族を、仲間を、友人を。
そして人生を潰されたのだ。
〈最早、贖罪など求めん。そんな時期はとっくに過ぎた〉
イローウエルからの強烈な敵意と殺気に曝されても、ハークは動じることはない。
何故か。同質のものを既に抱いていたからだ。敵をその眼で見定めた瞬間から。
相手のように漏らしていないのは、強靭な精神力と培った技能ゆえ。
だからこそ今更。
ハークは天青の太刀を握る手に尚一層の力を籠めた。
己の中に滾る怒りを確かめるかのように。
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