498 第29話07:Piece of L-新たな芽吹き-




「美しいですね」


 そうつぶやいた彼女の横顔を見て、ロッシュフォード、通称ロッシュはあなたの方がよっぽど美しいですよ、と言いたくなるのをすんでのところで堪えた。


 そういった典型的な言い回し、所謂テンプレ的な口説き文句をロッシュは好まないばかりか、口に出したら最後、本当にそう思っていようが信じてもらえなくなるからだ。

 だからロッシュは、全く別の言葉を吐く。


「あなたに、この光景を見て欲しかった」


 前もって用意していた台詞だった。だが実際に口に出して言ってみると、何か違う。眼の前のメグライアもどこか驚いたように振り向き、キョトンとしていた。

 ロッシュは、言い直すことにした。


「いや……、この光景をあなたに見せたかった、かな」


 ワレンシュタイン領、領都オルレオン。王国の主要都市7つの中で緯度的に最も北に位置するこの都市は、1年間の平均気温こそ他の6都市、特に王都レ・ルゾンモーデルや古都ソーディアンとそれほど大差はないが、寒暖の差は激しく、暖かい季節の訪れが他都市よりも遅く、しかも一気に来る。そのため、木も草も全ての花が一斉に咲き乱れる、という現象が起こった。


 例えば、春の到来を感じさせる代表的な3つの花、梅、桃、桜だ。

 この3種が一遍に咲き乱れる様は、少なくともモーデルの他の地域では見られない、特別で豪華なものだった。

 花、花、花。

 オルレオンは元々が荒地を改良して建立した都市であるため、起伏に富んでいる。上に行ったり下に行ったりと、有り体に言えばデコボコだ。そのため、2軒先の、となりのとなりの家との1階床面の高低差が30メートル近い、なんて場所もザラにある。


 まるで段々畑のようなそれらの家々を繋ぐ通路は、当然、馬車を通行させることなど不可能な階段状となっている。場所によっては階段状でも急過ぎて、登山路のようにグルリと回り道を余儀なくされ、建設された道路もある。

 この都市の不便な面だ。


 だが、この不便な面が、この季節この時期だけオルレオンを豪奢に華麗に彩る。

 横に広がるだけではなく、上下にも連なる街模様、道路の街路樹、個人の家屋の庭木、公共施設に付随した広場の木々に公園の木々。普段は緑化という言葉から解る通り緑系統の色彩であったそれらが、見目麗しいそれぞれの花の色を全開で主張し、視界を楽しませてくれる。


 ロッシュとメグライアは街の外れに近い小高い丘の広場より、この光景を眺めていた。

 ロッシュお気に入りの場所である。いや、正確に言えばワレンシュタイン家お気に入りの場所と言えた。周囲に建造物が無いから視界を邪魔されることなくオルレオン全体を眺められるのだ。

 幼い頃、両親に手を引かれ、成長してからは弟や妹の手を今度はロッシュが引いて。リィズとも勿論訪れたことがある、何度も。要は思い出の場所と言えた。


 昼下がりの休憩時間。街を往来する人々の数もまばらだ。天気は快晴、風は微風といった感じである。

 そんな風がさわりと2人の髪を撫でた。連動するように、視界の先の花々が震えて、美しき吹雪が街を包む。

 どうしようもなく心を鷲掴みにされる光景だった。


「わぁ……」


 自分のすぐ隣から感嘆とも驚嘆ともとれる声が聞こえた。視線を移動させれば、頬を紅潮させて目を見張っているメグライアの横顔がある。

 彼女が自分と同じような感想を抱いてくれているであろう感覚に、ロッシュの胸に熱い何かが灯った。


 この想いを言葉にできれば良いのだが、どんな表現が適切だか分からない。考えあぐねている間にメグライアの方が口を開いた。


「この光景が、かの『赤髭卿』が目指した光景なのでしょうか」


「そう……だと思います。ここから見えるどの種類の花も、あのお方が広められたものですから」


「エルフの里、森都アルトリーリアから譲り受けたのですよね? 友好の証として」


「ええ。かのお方のほうから、是非にと申されまして」


「この光景を見ると、そのお気持ちがよく分かります。……本当に素敵」


 また感嘆の言葉をつぶやくと、彼女は再び景色の方に意識を戻した。

 メグライアの瞳の中から自分の姿が失せたことに対して、理不尽ながらロッシュの心の内に残念な気持ちが生じてくる。彼女にここからの景色を見せたかったのは元々自分自身だったというのに。


 半年強前から始まった、ロッシュ所属のワレンシュタイン家とメグライア所属のロズフォッグ家、この2家の間でその頃まだ1人の王女でしかなかったアルティナを支えるべく結ばれた秘密裏の協力関係は、今や蜜月とまで表現できるほどに強固なものとなっていた。

 これも全て、連絡役として両家の間を何度も行き来してくれたメグライアの働きが大きい。少なくともロッシュはそう感じている。


 今回も、もう何度目か分からないオルレオンへの訪問であった。本来であれば、もう彼女はとっくに帰路へとついている筈だったが、丁度花々の見頃の時期が近いことを思い出し、無理を言って3日ほど延ばしてもらっていたのだ。


 初めてメグライアと会った時、ロッシュはまず彼女の聡明さに驚いた。

 歴史好きで、頭の良い女性だとは聞いていた。だが、これほどとは思っていなかった。

 現在ロッシュは領内の執務全てを取り仕切っている。領内にも荒事だけではなく頭脳労働に関して頼りになる部下は何人かいるが、たまに瞬間最大風速のように思ってもみなかったアイデアで自分を一時的に追い抜く者こそいるものの、今のロッシュと同レベルで話すことのできる人物はいなかった。


 メグライアはそんな彼と目線の高さを合わせて考えられる数少ない存在であった。

 驚きはすぐに彼女に対しての尊敬に変わる。そして、尊敬がまた別の異性に対する感情に昇華していくのに、あまり時は必要ではなかった。


トゥケイオスうちにはあまり『赤髭卿』が最も好きだったっていう桜の木の本数が少ないので、羨ましいです」


 メグライアが呟く。

 トゥケイオスは古い街だ。木を植えるには場所を新設するか、元々あった街路樹などをどかして植えるしかない。古い街では土地が余っていないから新設することは難しかろう。元々あったものを移動させるにも限度がある。移動先が満杯になればそれで終わりだ。

 そんな仕事に近い事柄を思考しつつ、ロッシュはメグライアの言葉から1つの雑談を思いつく。


「そういえば一般には知られていないのでしたね。『赤髭卿』が本当に好んでいたのは実は桃の花です」


「えっ、そうなのですか?」


 彼女が振り向く。興味があります、という表情をしていた。内心、ロッシュは苦笑する。


「はい。豪華で派手な桜の木よりも慎ましやかで好みだと仰っていたそうです。とはいえ、最も人々に好まれるのは桜の木であろうと、他者に植樹を薦める場合には桜が多かったようで、そこから『赤髭卿』が最も好みなのは桜であると考えられてしまったのでしょう」


「そうなんですか!?」


 メグライアのテンションが少し上がっている。そんなところもチャーミングだった。もう少し話してあげたくなる。


「ええ。それに2代目のウィンベル卿、ラギア=ウィンベルも、他を圧倒して桜を好んでいたといいます。そこからも混同されたのでしょう」


 ラギア=ウィンベルは獣人であり、『赤髭卿』最初期からの弟子にして、後に養子となった人物だ。両者の間に血縁関係は全くない。『赤髭卿』は実子を残さなかった。よって、後のウィンベル家、そこから分家した現在のワレンシュタイン家もラギア=ウィンベルの子孫である。言わば直接的な開祖というワケだ。

 ちなみに、代を重ねすぎて獣人族の血はかなり薄まっている。

 ただ、ごく稀に先祖返りのような人物が生まれることがあった。ランバートの並外れた頑強さタフネスさ、リィズのヒト族離れした柔軟性とバランス感覚はその典型である。


 しかし、そんなことはよく知っていることなのか、メグライアが興味を示したのは別のことだった。


「ラギア=ウィンベル、ですか?」


 同調を感じ取られてしまった。観念してロッシュは言葉を紡ぐ。


「……です。実は私も……、『赤髭卿』の境地には達していないのでしょうね。桜の木よりも桃、というのが未だに理解できていません。どうしようもなく桜が好きなのです」


「じゃあ、私とも同じですね」


「え?」


「私もどうしようもなく、桜が好きですから」


 ロッシュの心を暖かいものが満たす。

 次いで彼女は視線を景色に戻して感慨深げに言った。


「また、この景色を見たいなぁ……」


「見れますよ、絶対」


「え?」


 柔らかな風にあおられた後ろ髪を抑えながら、メグライアの顔が再び向けられる。


「絶対にが見せます」


 この平和で幸せな時間をもう一度。そう思って出た言葉であった。

 来年も。再来年も。きっとその先も。

 だが、本心を籠めすぎたのだろうか。メグライアの顔がぐんぐんと赤みを帯びていく。


(しまった!? 入れ込み過ぎたか!?)


 急に恥ずかしくなって瞳を逸らそうする瞬間、少し離れた草叢からガサガサッという音が聞こえた。

 反射的に眼をやると、直立した熊が鎧を着込んだような人物の姿があった。

 エヴァンジェリンである。彼女に覗きなどという悪趣味はないので、近づいたのが分かるようワザと草叢の音を派手に立てたのだろう。


「お休みのところ申し訳ありません」


「緊急事態か、エヴァンジェリン?」


「いえ。フーの奴が戻ってきました。ただ、少々大きさの分からない土産も持って帰ってきてまして……。我々だけでは判断がつきません」


「扱いかねる、ということか。よし分かった。すぐに行こう。メグライアさん」


「はい」


 彼女も既に仕事の顔に戻っていた。さすがだと改めて評価する。


「お知恵を拝借できますね?」


「勿論です。微力を尽くさせていただきます」


 2人は先行するエヴァンジェリンに続いて歩き始めた。

 歩幅と歩調を合わせて、並んで進む。

 今はこれでいい。

 今は。




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