490 第28話29終:リィンカーネイション④
この場に着くまで、特にハーク達とウルスラの間では多くの対話が繰り返されたかと思いきや、全員がここまでほぼ無言であった。
慰めようとでもしているのか、日毬はいつものハークの肩や虎丸の背中の上ではなく、ウルスラの頭にひっついている。
「日毬ちゃん、ありがとうね」
そんな日毬の気持ちが伝わったのか、ウルスラは頭の上の日毬にそっと触れつつ、地面から出っ張った小さな岩に腰掛けた。日毬が小さく、きゅ、と返す。
次いでウルスラは、眼下に広がる無数の光の煌めきを見ながらハークに問いかけた。
「ねぇ、ハークさん。私、どうなるのかな?」
ハークは立ったまま、横目でウルスラの横顔をちらりと見てから答える。
「どうなるのか、ではない。ウルスラがどうしたいか、だよ」
もっともらしいことを言ったつもりだったが、気休めの類に近い言葉でもあり、ハークにもそれは解っていた。
だが、他に何と言えというのか。たとえ選択肢が絶望的に狭まってしまっていたとしても、結局はウルスラ自身が選択するしかないのだ。
人が生きれば、何かを残し死ぬのはごく当たり前。財宝や家、権力や影響力に思想など様々で、そこに形があるかないかの違いはない。
問題は、それを受け継ぐ人間にとって良いか悪いかだ。幸か不幸かだ。
まだ死んだと決まった訳でもないが、帝国の皇帝がウルスラに残したと考えられるものは後者ばかり。まるで負の遺産という言葉そのものであった。
ハークにとって死んだ人間はそこまでだ。
怒りを向ける対象にも、憎悪を抱く対象にも値しない。現にコーノは下種な野郎だとは今でも思うが、それ以上でも以下でもない。
斬り結ぶという奇妙な縁を持った者の1人として、安らかに眠ってくれていればそれで良い。そう思うくらいだ。
皇帝はそんなハークにとって、数少ない例外の1人となるだろう。自らの怨念と復讐心を晴らすがために甥っ子の人生を全て狂わせ利用した鬼畜、とは思っていたが犠牲者はアレス1人ではなかったのである。
そう。
まさしくウルスラは犠牲者だ。
彼女には、皇帝が生み出した負の遺産を全て受け継がなければならない責任がある。彼女の事を知れば、多くの人間がそう思うことだろう。
これが多くの使用人に
不憫でしかなかった。
「うん……、そう、……ですよね」
彼女の声はか細くとも、しっかりとしていた。
10代前半としては理解力の高いウルスラの事だ。自分がこの先どう言う道を辿れば
誰かが示唆した訳ではない。ヌルの村を出てからこの地まで、ウルスラはただ1人、虎丸の背に乗って運ばれるがまま、誰とも会話をしていなかった。ハーク達にとって、その時間は彼女が自身の心を落ち着かせ、己との心と対話する時間として欲しかったのだ。
その自問自答の中で、ウルスラは自身の考えを既にまとめていたのかも知れない。
「ウルスラ、何にせよ、……何を選択するにせよ、全ては大人となってからだよ。それまでは誰も、お主に何かを要求することなどない。モーデルにいる限りは、な」
少なくともこれは保証できた。特にハークが良く知るワレンシュタイン領内であるのなら尚の事、事実とすら言ってしまってもいいくらいに信じられた。
これはランバート以下、リィズ、ロッシュフォード、フーゲインなどなど関わる者ら全ての功績とすら言ってもいいかも知れない。
ただ、この台詞も矢張り気休め程度でしかない。
ウルスラは彼女の告白によると最低でも12歳。この世界でヒト族の成人といわれる15歳まで、残り3年以下しかないのだ。
つまり、あと3年の内に己の逡巡に折り合いをつけて、残りの人生をどう生きるかの選択をせよ、と言っているようなものだった。
「ねぇ、ハークさん。私が……この地の責任者になれば良いんだよね……。操り人形になっちゃえば……」
ハークは両眼を見開いた。舌を巻く思いであった。
〈本当に頭の良い子だ……。……確かに、それが一番丸く収まることは……収まるであろうからな……〉
単に勘が鋭いだけかも知れないが、結果として同じことだ。
彼女の判断は概ね正しい。
この後の推移は幾分か流動的であるにしても、ハークたちが皇帝を討った謀反人を誅すれば、帝国は頭を失ったこと、失っていたことに気づき混乱期に入る。
頭目を失った盗賊団と同じだ。本来は治安維持機構側である軍が力ある者を中心に分裂し、互いに相争いあってこの地は彼らがもたらす混沌と戦乱の坩堝と化す。隣国であるモーデルや凍土国オランストレイシアへの影響も免れ得ないことだろう。
だが、前皇帝の忘れ形見であるウルスラの存在を公表し、彼女の後見としてモーデル王国が背後につけば、これらを防げる可能性が高い。忠誠を向けるべき存在と、向けなければ生きられない力が表面化するのだから。
誰しも負けると解っている戦に挑みたくはないだろう。少なくとも最初期の混乱は防止できるに違いない。
ウルスラにとっても悪くはない筈だった。
支配者としての矜持などないウルスラにとっては、政治の傀儡とされたとしても抵抗は少ないであろうし、彼女は帝国だけではなく王国にとっても大切な人間となる。アルティナかアルゴスか、はたまたランバートが選出した人材かは知らないが、きっと良くしてくれるに違いない。
だが、ハークは否定する。
「そんなことはない。お主どころか、この国のことすらも知らぬ地に行ってしまえば良い」
責任などクソ喰らえだ。そもそも何故に先代が愚行の限りを尽くしたツケを、ウルスラが支払わなければならんのか。そんな必要などない、と言ってやりたいくらいだった。
ただし、これは茨の道であることが確定している。
強くなければ常に野垂れ死にの危険と、隣り合わせとなるのだから。そして彼女は強くなるために、大いに時間が必要だった。度を越した大器晩成型なのである。巨大な風呂桶に、毎日1滴の水しか垂らすことができないようなものだった。
それでも、ハーク達が、ハークと虎丸、日毬が共にいるとなれば問題などない。
「モーデルは広いが、西の先にはまだまだ他の国があるという。そこまで行ってしまえば良いのだ」
逃げるなと言う者もおるだろう。責任を果たせと言う者もおるだろう。
だが、知ったことではない。聞こえぬ場所まで行ってしまえば良いのだ。
これはウルスラにとって決して逃亡ではない。彼女は皇族の責任も義務も、そして矜持も始めから知らぬ者なのだから。
無論、全てを捨てる結果にもなる訳だが。
ウルスラはこの言葉を聞いて、きっと耳にする前は考えにも上らなかったのだろう、一瞬だけ呆けた顔をし、次に少しだが嬉しそうな顔をした後、最後に喜と哀が心の内で喧嘩した末に哀が勝った表情をした。
ハークが彼女の心中を推し測る。そんなウルスラが言う。
「ふふっ……、まるで……生まれ変わるかのようですね……」
何もかもを捨て、自分を知らぬ土地で新たに生きる。言い得て妙だ。確かに生まれ変わり、転生かのようであった。
この世界では、それは確実にあるという。虎丸や古き龍族、エルザルドを始めガナハ、ヴァージニアも確証をもって何度も語っていた。
虎丸によると人間種が転生というものを真に信じ切れないのは、本能深くに刻まれた魂の記憶を感じ取ることができないからであるらしい。
ハークとて本能に刻まれただの、魂の記憶だのは解らない。理解していない。
それでもハークが真に転生というものを信じ切れるのは、前世の記憶を宿しているからであった。
思い出す。
自分を転生させた、己が阿修羅と呼称した存在を。感謝と共に。
同時に、今の自分があるのは前世を精一杯、懸命に全力で生き抜いたからである、と。
「そうだな。だが、お主にはまだまだ先の話さ、ウルスラ。それに、共に生きる者がいれば、どう転んでもそれほど悪くはないものだよ」
実感のある言葉だった。ちらりと隣に立つ白き毛皮の相棒へと眼を向ければ視線が合う。
そして、ハークが逆に視線を移せばウルスラもハークを見上げて、ゆっくりと肯いていた。レトのことを思い出したのだろうと、ハークは思った。
「ねぇ、ハークさん」
「何だね?」
「もし、本当に生まれ変われるとして……、ハークさんが一番その時にかけて欲しい言葉は、何ですか……?」
彼女にとっては他愛のない質問だったのかも知れない。もし相手が普通の人間、ハーク以外の人物であれば一笑に
だが、ハークは真剣に考えた。思い起こすはあの時の記憶。1度目の臨終の
謎の声の主がハークに送ってくれた言葉。
「―――大いに生きて、暴れろ。だな」
今にして思えば、あの時の言葉があったからこその今であるのかも知れない。
思いのままに、自由に、力の限り。
本当に、感謝しかない。
ウルスラは顔を上げ、吹っ切れたように言った。
「私も―――、そう生きます。モーデルに行っても、きっと……!」
ハークは肯くと、ウルスラの頭を優しく撫でた。
次の日、彼女はレトや400人余りの非戦闘民と共に、ワレンシュタイン軍に連れられ、モーデルへと旅立っていった。
楽観している訳ではない。だがそれでも、彼女の瞳にはもう、憂いがあるだけではなかった。
第28話:Shape of you完
この後は第30話:最終話に続きます
次回第29話はハーク達、帝国殴り込み部隊はほぼ登場せず、オムニバス的な短編集となります
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